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平成18年度厚生労働科学研究
障害保健福祉総合研究成果発表会報告書

調査地域の各事例にみる「地域力」の状況

時間の関係で飛ばし飛ばしになりますが、ここに書いてあることは報告書の中に書いてあることを箇条書きにまとめたものですので、また報告書を皆さんお手元にきたら読んでいただけるとありがたいなと思います。

まず「防御可能な生活空間」ということですが、ここは2つの基盤に分けて考えました。一つは「在宅ケアサービス」。これが基盤としてちゃんとあるのかどうか。それと「近隣との関係」ですよね。つまりは互助で語られる部分の中で関係性というのはあるのかというところで見たわけです。

まず「在宅ケアサービス」。居宅介護、支援費のサービスというふうに考えますと、知的障害を除く身体障害の事例では、かなりの利用状況が見られております。どなたも利用されている。これは前述のように、14名の方達が地域の核となる人たちによって把握されている人たちですから、当然必要な公的サービスを受けていらっしゃるということが前提になるからであると思っております。

次に「近隣との関係」でみますと、けっこう関係性がないか孤立している状況が見られます。①の「事例2、3、12、13、14」で現れています。2、3というのは郡山ですよね。12、13、14というのは狩俣ですよね。つまり、郡山は資源がかなり整っているところなんですよ。ところが事例でみると、その人たちが近隣の人たちとの関係を積極的に持っていなかったり、近隣から疎まれている、こういう状況が見えてきているのです。

狩俣について言えば、これは互助で支えられているような隣の顔が見える地域なのにも関わらず、本人たちからみると実は近隣との関係があまりない。つまり、戦前の地域社会といいますか、日本固有の地域のコミュニティの中に、村八分でない限りは全べてに助け合いがあるんだろうなと思ってみたのですが、実は障害を持つと、必ずしもそうでもないということがここで見えていると思います。

③のところで見ますと、「障害児(者)を見守る体制がある程度存在している」。1、7、8、11という事例ですが、これは後ほどちょっと説明しますけれど、近隣とアクセスする核が実はあるわけなんですね。例えば、自助の場合ですと親御さんがその地域の中に溶け込んでいらっしゃる。「あそこのA君のことだから」、ということで周りがみてくれるわけですね。つまり親を介して当事者に対する支援が可能となる関係を持てているという場合があります。

また渋谷区の例ですと、活動的な知的障害者の方が、普段から地域の中を歩き回っているわけですから、そういう中で靴屋さんとか、マンションの管理人さん等と関係ができてきているのです。でも普段はさりげなく関係を持っている。声はかけてくれる。当然気にしてくれる。そうすれば何かあったときには、即応的に支援してくれる。こういう関係を持つことができる。大都市でも小規模な地域でも関係なく、そういう関係を持つことができているのです。つまりは、誰か介在者がいるか、あるいは本人がその地域の中に積極的に出ているかによって関係性を得ることができているのだろうと思っております。

それから⑥ですが、「地域に認められていないと思うことが関係性を持つことに自信をなくしている」。これは狩俣の事例なのですが、ご本人がかなりナーバスになっておられる方で、今まで健常の時にはそんなことはなかったのでしょうが、自分はこの地域の中でお荷物だと思ってしまう。あるいは地域の方たちがいろいろと手を焼いてくれることが過度に、つまり過干渉になってしまっている。そういうふうに本人が受け止めるがために、どんどん地域から遊離していってしまう。そういうことが見受けられております。

次に、「外出や余暇のために確保できる資源」。2番目の枠組みのところですが、やはり自らが出ていくことによって得るものが非常に大きいということが、ここでは見えております。ただ単に移動の手段を得るための外出ではなくて、やはり自己実現を進めていくうえで外出というものの必要性が非常に今回見えたなと思っております。そういうことが1番等でも、①でも語られております。

ただ、③のところに書いてありますように、渋谷区の方というのは交通アクセスもいいですからどんどん外に出ていかれるというような報告になっていますが、外出の目的が知的障害者をサポートするサークルなどへの参加とか、同じ障害をお持ちの方との外出というのが非常に多いのですね。渋谷あたりでしたら当然、健常者を対象とした様々なサークルをどこでも見つけられそうなのですが、そういうところのアクセスはほとんど見受けられない。これはどこにも共通することですけれども、地域というのは全体で障害者も健常者もないという世界でとらえるべきであるにも拘らず、障害者が障害者同士の中でしか自己実現できていないという状況にあるという点を指摘しておかねばならないと思っております。

④の郡山で見られたことですが、ILの会が、ILPの各プログラムをかなり持っていらっしゃいます。ところが今回の、3人の事例では3人ともこれには参加していないのです。それが何故かというと、本人たちから見たら、ニーズを満たすものではないということなのですね。簡単に言いきってしまえばそうなります。反論があればあとで宮下さんからご指摘いただけるかと思いますが。やはり当事者であっても支援者だけでプログラムを考えるというのはかなり無理があるのだろうと思います。実は郡山ではその点はもう課題として認識されていまして、地域の様々な活動をしている一般の方たちを巻き込んだいろいろな講座が模索されております。そういった意味では、少しずつ広がってくるもので、一朝一夕にはなかなかならない課題かもしれませんが、やはりニーズに応じたプログラム開発というものは多種多様に、臨機応変に作られることが必要かなと思います。

それからここで特筆すべきことは、サロンを持っている尾道ですよね。商店街に誰でも入れるサロンがあって、そこにいろいろな人が集う。その中に高齢者もいれば障害者もいる。そこに対して市も一部助成をして、自由なサロン活動というものを保証している。公助と共助がうまくミックスされて運営しているものです。そういった、地域の中の誰でも集まれる空間づくりというのは非常に重要なのだろうと思います。

次に、「生活を成り立たせるために必要な知識や技能を確保できる機会」。3つ目の枠になりますけれども。いくつかのパターンが出てきております。要するに、そういう知識や技能を身につける場所というのはどういうところがあるのと言うと、たとえば①で語られているような知的障害者の青年教室。児童の場合②になりますけれども、やはりこれは保育所、学校というのが当然ここでは基盤になってくるわけですね。

ちょっとこれは特殊ですが、就労に関して言えば和泉村のBさん。これは就労のところに丸がついていたと思いますが、ジョブコーチを受けている。このジョブコーチを受けるという機会も非常に重要になってくる。

もう一つ、これは物理的な地域の枠を越えますけれども、④にあるように、尾道市のK氏が利用されているように、同じ頸髄損傷というキーワードでネットワークを持っている部分。ここから情報や知識を非常に受けていらっしゃる方ですね。こういう広域的な資源も必要なのだろう。いくつかのパターンというのは、今言ったようなパターンが見られたということであります。

4つ目は、「生活を成り立たせるために必要な情報を得る機会」です。

ここでもちょっと最初に但し書きで書いてありますけれども、地域の核になる人にピックアップされている事例ですから、当然必要な情報提供を受けている方達として見ていたのですが、お一人お一人をみるとどうもそうとは言えないところが何点かありました。

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