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平成18年度厚生労働科学研究
障害保健福祉総合研究成果発表会報告書

地域づくりと関連した効果的な地域生活支援サービス体制の在り方と「地域力」の再構築に関する研究

平成18年12月9日(土)

第1部 研究成果報告

(3)「地域力」の増大や強化に果たしてきた「やっさ祭」の役割と機能

従来、カリスマ的人物が存在しない三原市や尾道市では、介護保険制度にあたっての御調(みつぎ)町(現在は尾道市)に見られるように、トップダウン方式でのアプローチは不可能であった。したがって、ボトムアップ的な手法を使わざるを得ないと考えながらも、具体的手立てに苦慮していたところ、障害をもつ市民に対するニード調査からプラン作成までの全てを手作りで成し遂げる「三原市第2次障害者長期行動計画」の作成が現実のものとなり、『人にやさしい祭り委員会』の主要メンバーが関与することもできた。数値によって、市民の意見を行政施策に反映させるという機会に恵まれたことも、障害者福祉を中心とした「地域力」を増大させていく出発点の一つになっていたように感じた。

「やっさ祭」は、わずか3日間で終わってしまう。「残りの362日を、どのようにしていくのか」を考えることが、大きな課題になってきていると主要メンバーは語り初めている。「やっさ祭」が終わると、近隣の障害をもつ人たちは、三原への転居を真剣に考えるという意見も聞かれている。30周年記念の「やっさ踊り」において「明日に架ける橋チーム」は、200名を越える大集団を結成し、30周年記念審査員特別賞を受賞して、大きな存在感を示した。

三原市福祉のまちづくり推進協議会(旧 三原市障害者児福祉推進協議会)は、『人にやさしい祭り委員会』を「福祉の町づくり」の部会に位置付けたことにより、「さらなるパワーアップを図ることになった」と、ボランティア連絡協議会の会長である盛谷氏は語り、まちおこしにもなり、住民同士が助け合うことのできる“安心して暮らせる街”を実現させていく牽引車となったのである。

三原市では、やっさ祭が終わった後、街全体が障害をもつ人たちに優しくなるという話題を耳にしたことがある。障害をもつ人たちやボランティアの踊る姿を見て、地域力の構成要素である「共助」が増大したと考えられる。画期的な学生の活動として始まった「明日に架ける橋チーム」の動きが、住民や行政に大きなインパクトを与え、地域力を増大させていく小さな核(コア)を生み出した。

しかしながら、学生を中心とした不安定な核は、大きな外圧によって破裂し崩壊する危機的状況を向かえることになる。その時、危機的状況にあった組織体に対して誰も援助の手を差し伸べなかったら、現在の発展はなかったと考えられる。通例では考えられなかった学生の提案に対して、賛否両論がある中で、地域力の発展という観点を持ちながら、新しい目を育んできたボランティアの人たちは、重要な存在だったと言える。

調査対象地区でも取り上げた善通寺市と三原市は、学生を中心とした「共助」の出現から始まったことを含め、共通点が多い地域であると認識している。しかし、地域力という観点で見たときには、学生が生み出した「共助」の芽に暖かい栄養素を与えたか、放置してしまったかの違いがあり、栄養を与えられた芽は育ち、花が咲き、実を結ぼうとしている。三原市における「やっさ祭」が果たしてきた役割としては、住民の意識改革とボランティアの活性化が大きく目立ってはいるが、地域社会に出現してくる「共助」の小さな核を暖かく受け止め、育てることができる環境を作ってきたことが大きいと言えるのではないだろうか。

このような事柄を発表するにあたり、「やっさ祭」や「明日に架ける橋チーム」に関する情報や資料を提供してくださり、重要なアドバイスもくださった三原市にある清浄山眞観寺の住職である 鐙本 智昭 氏に心からの御礼を申し上げたい。

4.「地域力」を高めていくための必須項目と課題

この研究を通して、さまざまな地域の「地域力」を見てきたが、地域に内在する力を増大させ、実用的なものにしていくためには、実行していかなければならない課題が存在した。「地域力」を高めていくために必要とする項目を整理すると、次の6つに集約された。

1.旧来の地域社会に存在する地縁のみに基づかれた「地域力」ではなく、新しい形の「つながり」を考えていくことが必要

旧来の日本社会が持つ地縁による「互助」という関係性から生み出される強度の束縛感を取り除いた新しい地域共同体意識を個々の構成員が持ち、「互助意識」の再構築を必要としている地域が多く存在している。

地域社会が持つ「地縁」関係は、互助に基づかれた安心した生活を営むためには、欠くことのできないものであるが、特に若い世代には「地縁」を面倒臭く感じたり、プライバシーの侵害感を持つ者も少なくない。例えば、味噌や醤油を買い忘れて、調理の際に必要となったときは、以前であれば近隣の家庭に借りにいき、できあがった料理をお返しとして持参するという常識があった。しかしながら、現在は、そのような関係を築くこと自体に拒否的であり、家庭をプライバシー空間として家族以外を拒絶するという傾向が強くなってきている。そのような様相は、大都市圏のマンション生活を営む人たちに顕著であり、壁の向こうには誰が住んでいるのかさえ知らない状況である。

「地縁」が弱くなってしまっている現状は、「地域力」を高めていくという観点からすれば、マイナス要因と認識せざるを得ない。しかし、旧来の地域社会が持っていた「地縁」関係を取り戻すことは、現在の地域社会を構成する人員の考え方からしても不可能と言えるのではないだろうか。旧来の「地縁」を呼び返すことができないならば、新しい「つながり」を創造していくことが必要になってくる。この研究では、新しい「つながり」を特定し、証明するまでには到らなかったが、「地域力」が強くなってきている新しい動きを継続して観察していくことにより、明らかになっていくことが予想された。この「つながり」を築いていくことが、「地域力」を向上させていく鍵概念になると確信した。

2.地域の「たまり場(サロン的空間)」を作り、市民が「地域力」を構成しているメンバーであることを自覚させる

地域において、気軽に集うことのできる場所として「たまり場」の重要性や必要性を強調しておきたい。“ラウンド・テーブル”という言葉が使われてきているが、「サロン的空間」を共有することにより、地域社会で起こっている問題に関する情報や意見交換を行ない、住民意識を向上させ、問題解決にあたる凝集性を高めることになる。

近年になり、障害をもつ人たちの地域生活を援助する「地域生活支援センター」では、地域社会で生活する障害をもつ人たちの外出し、仲間を作り出す「場」として「サロン」を設けているところが増えてきている。精神障害をもつ人たちの支援センターは、以前から「たまり場」的な空間として重要視されていたが、他の障害分野にも、その重要性が認識されてきたと理解できる。

子育てをしている母親は、子どもと二人きりの時を過ごしてきているが、地域社会の母子が集まっている公園へ、どのようなタイミングで飛び込んでいくかが大きな課題となっている。すなわち、「公園デビュー」がサロンに参加するタイミングと同様なイメージを持つと考えられる。この公園で同じような悩みや苦しみをもつ母親たちと出会うことにより、有効性のある情報や知識を得ることで精神的な安定を得るとともに、地域社会の一員として認識を深めるのである。

「ラウンドテーブル」というように、テーブルを取り囲むようにして座り、深い論議を繰り返すことで、連帯性が深まることにより、地域の問題解決能力が向上すると考えられるのである。

3.地域を牽引する個人や組織を要にしたネットワークを形成し、メンテナンスを心掛ける

「地域力」を高めていくには、一人の人間や一つの組織が孤軍奮闘しても、その能力には限界があり、専門家や専門機関ばかりではなく、一般市民を基本にしたネットワークを形成していく必要がある。また、ネットワークの網は破れやすく、常にメンテナンスを心掛け、修復に努めなければならない。そのネットワークの破れた箇所を発見し、専門家や専門機関に通知するばかりではなく、自らも補修に対して積極的に関わろうとする姿勢を持つ者が増えていくことにより、生活する場面での「地域力」が増大していくと考えられる。

「箱物」と呼ばれる施設や機関を建設し、社会資源の増加を試みたとしても、その資源を結ぶネットワークが機能していなかったり、ネットワークを形成していくべきスタッフの意識が低かったりすると、重要な社会資源が有効に機能しないことが多々ある。このような社会資源が有効性のあるネットワークを形成しているかを監視し、ネットワークに機能上の問題が発生していないかを専門家は意識しておかなければならない。さらに、その専門家や専門機関がネットワーク形成に力を注ぎ、メンテナンスにも気を配っているかを見ていくのは、その地域で生活する市民の重要な役割でもある。

ネットワークを形成していく時のエネルギーは、一時に集中し、大きな原動力となるが、ネットワークを維持していく努力は、永年にわたり継続されなければならない。メンテナンスを心掛けるということは、専門家だけではなく地域住民の一人ひとりが自分の問題として捉えていかなければならないことが理解できるのである。

4.地域社会に在住する専門家は、社会資源の一つとして十分に機能していくように、地域住民と頻回に会って、話し合うことが必要である

地域福祉や障害者福祉などに関係している専門家と呼ばれる人たちは、所属機関や事業所で勤務しているときのみが専門家であり、家庭に帰れば一般の地域住民と変わらないという考え方を改め、自分自身が地域に存在する資源であることを自覚する必要がある。そして、サロン的空間に自ら出向き、地域住民の志気を高めることに寄与しなければならない。

地域社会への潜入探索調査における旧和泉村に見られるように、障害者福祉に関わる村職員や保健師等も同一地域に居住し、勤務時間の内外を問わず、地域リーダーとして機能している姿を見ると、「公助」と「互助」と「共助」が一体化してネットワークを形成していることが理解できる。他の地域を見ても、専門家が地域住民の一人として一般住民と同じ立場で、リーダーシップを発揮している地域は、結果として「地域力」が高くなっていることが理解できる。「地域力」を増大させるためには、必須条件として「地域リーダー」の存在があり、ソーシャル・アクションの理論からしても、大きなものを最初に動かすときには、カリスマ的な大きな起動力を必要とする。「自分が住んでいる地域に戻れば、専門家も一住民に過ぎない」という考え方を改め、多くの専門的知識を持った者が地域リーダーとして機能していくことにより、迅速に地域ネットワークが形成され、「地域力」が高まっていくのである。

5.地域に居るリーダーは、より広く、より深く情報や知識を得て、専門技術を駆使して、地域の「つながり」を強化していく

「地域力」を高めていくには、民主主義的な運動展開が最も大切ではあるが、その流れが軌道に乗るまでは、力強いリーダーの存在が必要となる。また、どのような地域社会であっても牽引車的役割を担う“リーダー”を求めており、その存在感と安定感に支えられていることが多い。そして、“リーダー”は牽引車であるという自覚を持ち、最新の情報と豊富な知識を保有し、専門技術を駆使して、住民同士のつながりを強化していくことが大切である。

専門家が果たさなければならない重要な役割は、上でも述べたが、常に新しい知識や情報の獲得に努めなければならない。古い知識や情報は誤りでなかったとしても、地域社会に混乱を招くことが多いと思われる。最新の情報を得て、新しい動きや方向性を示していくことが大切である。

また、地域リーダーは、次の世代を育成し、引き継いでいく役割があることを忘れてはならない。一人の専門家が地域リーダーとして長い期間にわたり君臨している例も少なくないと思われるが、カリスマ的リーダーは、起動時には大きな力を発揮すると言っても、長期になれば民主的なリーダーを求める行為に妥当性はある。地域の「つながり」と言われるネットワークは、強制的に形成していくのではなく、地域住民のニーズから生まれてくることが重要であり、これが「地域力」を形成していく基本であることを忘れてはならない。

6.「地域力」を高めようと尽力している個人や組織に対して、マイナスになるような動きをしてはならない

地域住民の個々が「地域力」を構成している重要な存在であることに気づき、「地域力」を高めていくことが自分や家族を幸福にする基礎であることを認識し、地域で活動を続けている個人や組織の妨げになる行為をしてはならない。順調に動き出した乗り物も、何らかの原因で停止させられ、再度動かすときには、以前よりも大きな力を必要とする場合が多く、動かすことを諦めることにもなりかねない。

「地域力」を高めていくときに、自分の問題ではないとか、メリットよりもデメリットを意識して主張する者が存在すると、その推進力は弱くなっていくことが地域での聞き取り調査で明らかになった。以前から「総論賛成、各論反対」を主張とする日本人と言われるが、「障害者施設は必要であると思うが、自分の地域には立てないで欲しい」という言葉を聞くと、社会資源やネットワークという考え方が、やはり他人事としか捉えられてはおらず、自分や家族の問題として考えられていないことが分かる。どのような問題に対しても賛成して協働体制を築いていくよりは、代替案も出すことなく反対していた方が楽であることは明白である。「地域力」が増大していこうとする勢力にストップを掛けるような行為は、やがて自分に対しても不利益となることを忘れてはならない。

一旦破壊されたネットワークは、メンテナンスという簡単な補修作業では終わることのない深いダメージとして、地域社会や個々人に内在し、残っていくものである。

以上の六要素にまとめることができたが、これらの要素の全てを兼ね備えないと「地域力」が増大しないということではない。自分が生活する地域において、さまざまな地域特性や住民の興味・関心を考慮にいれて、どの要素が不足しているのかを考え、地道に取り組んでいくことが重要なのである。

この研究を通して、十分に理解できたことは、住民個々の意識が高まっていかなければ、「地域力」が増大していかないことであった。一言で言えば、地域住民の「福祉力」が増大していくことにより、必然的に「地域力」も高まっていくのである。

「公助」のみに頼るようになると、住民の「福祉力」は弱くなっていくと考えられる。公のサービスは、制度によって簡単に変化していくが、「地域力」を増大させるには多くの時間と労力を必要としている。公的介護保険や支援費制度、さらには障害者自立支援法が動き出し、公的なサービスが充実してきてはいるが、「地域力」としては急激に衰えているのではないかと懸念される。これからは「公助」を中心としながらも、「互助」や「共助」の再構築に尽力し、さらに「自助」をも高めていく意識が必要である。障害をもつ人たちが「公助」により生かされているのではなく、自らをエンパワメントさせて生きるには、「自助」の強化も必要不可欠であると考えている。

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