概説

『障害者アートの足跡』

【草創期】

明治30年、我が国で初めての知的障害者のための福祉施設『瀧乃川学園』が立教女学院の教頭だった石井亮一によって開設されます。(前身である『聖三一孤女学院』が設立されたのは明治24年)

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滝野川学園本館玄関前にて

石井亮一は、二度にわたり知的障害児教育の研究のために自費で渡米、E・セガン博士のもとで治療教育を学びます。帰国後、『動作に依れる教育』を提唱。そのなかで“切貼帖”を推奨しています。

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石井亮一

切貼帖とは、今でいう切り絵あるいは貼り絵のことでした。絵具がいまほど安価に手に入らなかった時代でしたから、印刷物をとっておいて、それを切り切り貼りして絵をつくらせたわけです。これが障害者アートの源流ではないかと考えられます。亮一の死後、瀧乃川学園は日本の近代女子教育者の1人でもある石井筆子(夫人)に引き継がれ、戦争を乗り越え現在に至っています。

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石井筆子

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自著「動作に依れる教育」の中で”切張帳”を奨励。

【萌芽期】

大正時代になると、石井亮一に触発された人々が各地に知的障害児(者)の福祉施設を開設します。昭和11年に開催された瀧乃川学園創立45周年の出席者の顔ぶれをみますと、茨城・筑波学園の岡野豊四郎、京都・白川学園の脇田良吉、大阪・桃花塾の岩崎佐一、東京・藤倉学園の川田貞次郎、千葉・八幡学園の久保寺保久、広島・広島教育治療院の田中正雄などが出席しています。ほかに、東京・小金井学園、東京・カルナ学園、埼玉・久美学園、兵庫・三田谷治療教育院などが当時あったことがわかります。

石井亮一の治療教育を継承したこれらの福祉施設でも切貼帖が取り入れられていました。残念ながら当時の作品は散逸していますが、『異常児とその作品:逞しき成長』(昭和18年 石田博英著 新紀元社刊:絶版)等に垣間見ることができます。

当時は障害者アートなどという言葉もない時代であり、芸術的観点からではなく治療・療育的視点で作品が取り扱われていた時代でした。明治・大正・昭和初期にかけて、素晴らしい作品が生まれていた可能性は否定出来ず、今後も写真等記録を残す作業は必須でしょう。

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『猫』(カルナ学園 久保久子)
写真 絵
『稲荷祭』(瀧野川学園 村田澤男)
写真 絵
『園内の人々』(白川学園 宮川一)
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『人物』(藤倉学園 ピーター)

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写真のネーム左から、石川謙二(1926~1952年)、野田重博(1925~1945年)、沼 祐一(1925~1943年)、山下 清(1922~1971年)

【開花期】

1940年代、こうした福祉施設のなかから出てきたのが八幡学園の山下清でした。映像のような抜群の記憶力と緻密な作業能力とが貼り絵という絵画手法と出会ったことで次々と素晴らしい作品がうみだされていきます。

ひとり山下清だけが脚光を浴びていますが、当時の八幡学園にはほかに、石川謙二(26歳)、野間重博(20歳)、沼祐一(28歳)たちもいました。残念ながら彼らは山下清が注目を集める前に亡くなっていたため、世に知られることはありませんでした。

同時期にこれだけ多くの作家が育っていた背景には、学園創設者の久保寺保久と、その久保寺に私淑して指導にあたった主事の渡邊實があったからでした。久保寺はいいます。「踏むな、育てよ、水そそげ」と。

写真 石川謙二拡大図・テキストデータ

写真 沼祐一拡大図・テキストデータ

写真 野間重博拡大図・テキストデータ

写真 山下清拡大図・テキストデータ

【第二開花期】

戦後間もない1946年に創設された近江学園から別れ、労働の場を求めて信楽にやって来たのが信楽学園でした。次いで学園を終えた人たちのために信楽青年寮が創設されます。

そのころは陶芸が主で、絵画活動は余暇や趣味の域を出ていませんでした。ところが、1985年に絵本作家の田島征三氏が画材の和紙を求めてやって来たことによって、寮生が描いていた趣味の絵画が脚光を浴びることにます。田島氏は、その作品の素晴らしさに魅せられ、1991年には寮生の村田清司氏との共同制作で3冊の絵本を出版します。

これを契機に、ふたたび障害者アートが注目されるようになります。次いで、おなじ絵本作家の、はたよしこ氏なども障害者の福祉施設に目を向け始めます。いわゆる第二開花期とも呼べる時代が始まります。ちなみに、1950年代に一世を風靡した“汽車土瓶”は、信楽学園で造られたものでした。

写真 三冊の絵本
1991年、絵本作家の田島征三氏は寮生の村田清司氏の絵に見せられ三冊の絵本を同時出版した。

【成長期】

1960年にはいると障害者の福祉施設における絵画指導が本格化してきます。その代表といっていいのが京都府亀岡市にある「みずのき寮」でした。日本画家の西垣籌一が指導にあたります。西垣の指導は始めからアーティストの育成を目指したものでした。スイスのローザンヌにあるアールブリュットのコレクションに日本で最初に加えられたのが西垣の指導を受けた作品でした。

このころから精神障害者の福祉施設や病院などでも絵画療法が取り入れられるようになりました。1950年代中ごろから絵画療法を取り入れたのが佐賀県にある嬉野温泉病院創設者 中川保孝でした。今日、治療の過程で生まれた数々の絵画・陶芸作品が「アートセラピー美術館」※※で公開されています。

60年代に東京の足立病院で安彦講平※※※、70年代になると京都市にある京都府立洛南病院で山崎俊生が絵画教室を始めます。

一方、養護学校(現在の特別支援学校)においても療育としてのアート活動が取り入れられるようになります。とりわけ盲学校における陶芸などの造形活動が盛んになりました。

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安彦講平氏の主宰する東京・八王子の平川病院の造形教室の展覧会より。

西垣 籌一 にしがき ちゅういち

明治45年(1912)~平成12年(2000)

兵庫県に生まれる。昭和8年(1933),京都市立絵画専門学校本科に入学。在学中,吉岡堅二,福田豊四郎らによる新日本画研究会の結成に参加。同11年(1936),同校を卒業。同年秋,文展鑑査展に《ピアノ》が初入選する。同12年(1937),第1回新文展に《新妓》が入選。同13年(1938)には新美術人協会に参加する。同18年(1943),京都市立絵画専門学校助教授となる。同24年(1949)からは京都市の高等学校の教諭となり,同47年(1972)に退職を迎えるまで美術教育に携わった。また、同39年(1964)には京都府亀岡市の知的障害者施設「みずのき」内にアトリエを設立,絵画教室を通じて障害者による創作活動の支援に尽力した。 (C) 京都市立芸術大学芸術資料館

社会福祉法人松花苑 知的障害者更生施設(入所) みずのき
〒621-0007 京都府亀岡市河原林町河原尻下五丹12 TEL 0771-23-2101

※※

医療法人財団 友朋会 嬉野温泉病院
〒843-0301 佐賀県嬉野市嬉野町大字下宿乙1919 TEL:0954-43-0157

※※※

安彦講平 早稲田大学文学部芸術学科卒業。東京足立病院(1968-)、丘の上病院(1970-1995)、平川病院(1995-)、袋田病院(2001-)など都内の精神科病院にて「造形教室」を主宰している。

造形教室は、参加者それぞれが自由に描き、身をもって自己表現の体験を通して、自らを癒し、支えていくことを志向している。また、これら患者さんの作品を一般の方々に理解を深めてもらうため、「造形教室」の作品展を行っている。

2007年には平川病院内のアトリエに通う作家の人間模様を延10年間かけて映像化したドキュメンタリー「心の杖として鏡として」が映画化され、その映画が文化庁映画賞「文化記録映画優秀賞」を受賞、フランス・ヴズール国際アジア映画祭でドキュメンタリー部門最優賞を受賞するなど高い評価を受けている。

【躍進期】

1983年にスタートした国連の「障害者の10年」を契機に各地の福祉施設で絵画などのアート活動が盛んになります。財団法人日本チャリティ協会が、誰でも自由にアートを学べる場所としての「障害者カルチャースクール」を開設したのもこの時代(1986年)でした。

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1985年に始まった第23回東京都障害者総合美術展の審査会場風景(平成20年8月)。

前後して社会福祉法人東京コロニーは障害者アートバンク、現在の“アートビリティ”を開設、障害者の自立支援の一助として作品をインターネットを通じて公開、販売を始めます。1995年には奈良県の財団法人たんぽぽの家と、東京の日本障害者芸術文化協会(現エイブル・アート・ジャパン)とが共同で“エイブル・アート”運動を展開。多くの企業からの援助や行政機関を巻き込んだこの運動によって、障害者アートが広く世の中に認知されるようになりました。

パンフレット拡大図・テキストデータ

【発展期】

2008年、文部科学省と厚生労働省とが連携して『障害者アート推進のための懇談会 ~ぬくもりのある日本、みんなが隠れた才能をもっている~』を開催、行政が本格的に障害者アートに取り組み始めました。

その一方で、企業も障害者アートの世界に進出しつつあります。人材派遣会社のパソナグループは1992年に、働く意欲がありながら就労が困難な障害を持った方々の“アート”(芸術活動)による就労支援を目的に、「社会貢献」事業として“アート村プロジェクト”を設立。やはり人材派遣会社のセルフサポートは、「障がい者アーティストの経済的な自立」を目的にビジネス支援を行うパラリンアート事業を展開しています。

美術館・アートギャラリーでも動きがあります。1984年、村山亜土(故)・治江によって「ギャラリーТОМ」が創設されています。盲人(視覚障害者)が彫刻に触って鑑賞できる場所です。2001年には、栃木県那珂川町の里山に建つ明治大正の面影を残した旧小口小学校の校舎を再利用して「もうひとつの美術館」が開設されました。

北海道旭川市にはボーダレスアートギャラリー「ラポラポラ」(NPO法人ラポラポラ)、岩手県花巻市には「るんびにい美術館」(社会福祉法人光林会)、熊本県熊本市に「よつばんち」(2008年10月12日開設 NPO法人クローバーアート)など、障害者のアートギャラリー、美術館が次々と誕生しています。

◇以下参照

ボーダレス・アートミュージアムNO-MA
〒523-0849 滋賀県近江八幡市永原町上16
Tel:0748-36-5018 Fax:0748-36-5018

ギャラリーTOM
〒150-0046 東京都渋谷区松涛2-11-1
Tel:03-3467-8102 Fax:03-3467-8104

もうひとつの美術館
〒324-0618 栃木県那須郡那珂川町小口1181-2
Tel&Fax:0287-92-8088

ボーダレス☆アートギャラリー LapoLapoLa
〒070-0037 北海道旭川市7条通6丁目シャンノール緑道101
Tel&Fax:0166-29-3836

るんびにい美術館
〒028-3171 岩手県花巻市星が丘1町目21-29
Tel&Fax:0198-22-5057

clover art gallery よつばんち
〒860-0023 熊本県熊本市河原町2
Tel:096-354-1007 FAX:096-354-1007

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