鼎談 これからの教育の改革に向けて

菊地 一文
弘前大学大学院教育学研究科 教授、全日本特別支援教育研究連盟 副理事長
山中 冴子
埼玉大学教育学部 准教授、全国障害者問題研究会 研究推進委員
松矢 勝宏
東京学芸大学 名誉教授、本大会実行委員長

松矢

つたない基調講演でしたが、配布されている抄録も参考にして、鼎談に入りたいと思います。私の基調講演では、抄録原稿の12頁から始まる「3.これからの教育を展望して」の部分は時間が足りなくなり、お話しできませんでした。この部分は鼎談のはしがきとして記しましたので、菊地先生と山中先生のご提言をいただく前に、述べさせていただきます。よろしくお願いします。

(1)まずは子どもたちへの願い

キャリア教育の項目でもふれたように、私が特別支援教育の教員養成で仕事をし、知的・発達障害教育にたずさわる教員の研究会である全日本特別支援教育研究連盟の理事長を経て現在も顧問として活動している理由ですが、幼児期を含め学齢期に特別支援教育を受け高等学校段階までの教育を終えた卒業生が、地域社会で市民として権利を行使し、自分らしく充実した生活を送ることを願うからです。私の仕事のすべてを共生社会、インクルーシブな地域社会の実現にかけてきたつもりです。障害がある幼児児童生徒が通常学級に原籍や副籍があり、障害のない仲間をもち、交流教育や共同学習を通して生活を共にできる時間をもつことを大切にしたいです。交流教育と共同学習の機会では、特別支援学級や障害別を考慮した特別援学校での積極的な実施を望みたい。通常学級で学ぶ児童生徒の皆さんには、点字、手話・指文字等のサイン・補聴器の活用、車いすや支援機器の活用、生活単元学習・作業学習等々を体験して学び、特別支援教育における多様な学びの文化を知ってほしいです。それと同時に特別支援学校・学級のみならず、通常学級における教育においても幼児児童生徒の特別なニーズを満たすことができる教員の専門性向上と授業がしやすい学級規模や教育環境条件の整備を願ってやまないです。

(2)子どもの意思の尊重を前提とする保育や就学支援の実現

私は学大定年後に赴任した目白大学で4年制保育士養成の子ども学科発足に関わり、学科長として必修授業の「子どもの権利」を担当し、私自身が真剣に「子どもの権利条約」を学習しました。子どもの意見や意思を尊重することの難しさと大切さについてです。障害のある幼児や年少な子どもについて、療育や保育の場を選択する前の体験学習、就学支援における体験学習を保護者の同意をえて時間をかけ丁寧に準備することで、望ましい保育や就学の場の選択と合理的配慮の準備ができることを願ってやみません。インクルーブ教育の進展ためにそう考えるのです。2012(平成24)年の中教審初中等教育分科会特別委員会報告を子どもの意思の尊重の観点で見直してほしいです。今回研究大会の第3セッションの協議に期待します。

(3)共生地域社会づくりには多様性の理解を進めるダイバーシティの理念の浸透が大切です。

アメリカ合衆国(以下、米国という)における黒人差別と分離教育の克服は民族・種族・皮膚の色等の違いを許容し認めるダイバーシティ理念の浸透が必要でした。障害のあることへの偏見・差別の克服にも同じことがいえます。交流教育・共同学習(保育を含む)は幼少期からのダイバーシティ理念の育成に必要です。障害児・者に開かれた地域(共生社会)でたまり場としての喫茶コーナー等が公共施設にあってほしい。共生社会を育むイベントも数多くあってほしい。学校祭はもちろん特別支援学校の地域開放によるイベントも有効です。学大附属知的障害特別支援学校は、毎年8月第1週土曜日に地域福祉作業所連絡会に校庭を開放し、納涼会開催を支援しています。附属校の生徒も参加する屋台でにぎわい、市民を交えての盆踊りと打ち上げ花火大会で盛り上がります。今回の研究大会では生涯学習支援のセッションで、相模原市と相模女子大学によるインクルーシブプログラムの開発によるオープンカレッジを取り上げますので。ぜひ注目してほしいです。

(4)インクルーシブ教育システムの構築からユニバーサルな教育課程・支援方法を含めたインクルーシブな教育の探求へ

第47回総合リハ研究大会の趣旨を検討する過程で、私たちは学校で学ぶ幼児児童生徒の教育ニーズの多様化を含めた次期学習指導要領の改訂に向けた議論や昨年12月に中央教育審議会が諮問した「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について」において示された「柔軟な教育課程」「各教科等の中核的な概念」等というキーワードに注目しました。10年前に日本授業UD(ユニバーサルデザイン)学会が発足していますが、特別支援教育の考え方を生かすことで、クラスの子どもたちが、楽しく「わかる・できる」授業をつくるユニバーサルデザインの実践研究が、次期学習指導要領改訂の時機をとらえて発展することを願っています。

文部科学省においても施策の拡充を図っています。インクルーシブな学校運営モデル事業です。「特別支援学校と小・中・高等学校のいずれかの学校を一体的に運営し、障害のある児童生徒と障害のない児童生徒が共に学ぶため新しい授業の在り方や指導体制などの実践的な研究」を進めています。文部科学省としては、来る2028年の障害者権利委員会の審査に対し、わが国におけるインクルーシブ教育システムの推進状況について、しっかりと説明したいとしています。私もぜひそうあってほしいと願ってやみません。

(注)文部科学省特別支援教育課長 生方 裕 『インクルーシブ教育システムの推進について』「特別支援教育研究」2024年12月号、1~2ページ

それでは、これから鼎談の講師としてお招きした弘前大学大学院教育学研究科教授の菊地一文先生と埼玉大学教育学部准教授の山中冴子先生からご提言をいただきたいと思います。

まず、菊地先生からお願いします。

菊地

こんにちは。

今日はこのような場に登壇させていただき、大変恐縮しています。

松矢先生の話を聞き、これまでの歴史と取組、そして今に通じる部分をたくさん伺いながら、思いを新たにしています。

ちなみに、先ほど松矢先生から紹介のあった「主体性を支える個別の移行支援」や全特連の書籍を持っており、たくさん学ばせていただきました。

私ですが、全日本特別支援教育研究連盟(全特連)の機関誌「特別支援教育研究」の編集に14年間携わり、インクルーシブ教育システムの構築に向けた学校現場や教育行政等の取組を発信してきました。また、ここ数年間は文部科学省との関わりで、中教審、研究開発学校、そしてインクルーシブな学校運営モデル事業の委員として関わってきました。

本日は、これらの経験を踏まえ、インクルーシブな教育の現状とこれからについて思うことをお話ししたいと思います。

さて、次期学習指導要領の改訂に向け、2025(令和7)年9月25日に中央教育審議会教育課程企画特別部会が13回にわたる検討の結果を取りまとめて公表した「論点整理」を受け、各ワーキンググループにおいて議論が始まったところです。

「論点整理」では、検討の基盤となる考え方として、「主体的・対話的で深い学びの実装」、「多様性の包摂」「実現可能性の確保」の3点を示し、多様な子どもたちの「深い学び」を確かなものにし、「自らの人生を舵取りできる、民主的で持続可能な社会の創り手」の育成を目指しています。このことはまさに特別支援教育が従前から大切にしてきた「自立と社会参加」や「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システムの構築に向けた特別支援教育の推進」と軌を1つにするものと捉えられます。

また、この「論点整理」に関する説明資料の中には、補足イメージとして「『好き』を育み、『得意』を延ばす×当事者意識を持って、自分の意見を形成し、対話と合意ができる」という文言が示されています。このことは、まさに一人一人の障害による学習上又は生活上の困難を対象とする「自立活動」や特別の教育課程全般において踏まえるべき大切な視点であると同時に、近年注目が高まっている「ウェルビーイング」や「エージェンシー」の考え、そしてこれまで重視されてきた「キャリア発達」の理念や方向性と重なるものであり、大変興味深く捉えています。

現在進行中の中央教育審議会の特別支援教育ワーキンググループでは、先般文部科学省から小・中学校に在籍する障害のある子どもたちの学習活動の充実に向けた方策として「重層的な指導・支援のイメージ」の考え方が示されました。この図は、改めて現状を整理した基盤となる構造と言えます。

土台には「特別な教育的支援を必要とする子供たちも念頭においた学級全体での指導方法の工夫」として「多様性・包摂性を尊重した学習者主体の授業づくり、学級・集団づくり、教室環境の整備等」が示され、これらは「通常の学級における基礎的環境整備にあたる」としています。そしてその上に通級による指導、特別支援学級という階層が示されています。

これらのイメージ図の前提としては、多様性を認め合い、つまずきや失敗を許容する、インクルーシブマインドに基づく、児童生徒が心身ともに安心で安全な環境で過ごせる学校経営が基盤となると考えます。そのうえで通常の学級の授業の柔軟性が大きなカギを握っていると考えます。

インクルーシブな教育には学校全体として多様な子どもたちを支えていくという考え方が不可欠です。ここは論点整理で示された「多様性の包摂」を各学校が、そして教員一人一人がどのように受け止めるかにかかっていると思います。

多様性の包摂は、特別支援学校の学習指導要領や自立活動だけの問題ではありません。多様な子どもたちが学校の中にいることを前提に教育を考えていかなければならないステージに、私たちは立っているのだと思います。

このような流れの議論の中、学校現場では、現行学習指導要領が示した「社会に開かれた教育課程」「育成を目指す資質・能力」「主体的・対話的で深い学び」「カリキュラム・マネジメント」の4つのキーワードを踏まえた実践が進められてきました。そのことによって、小・中学校等の通常の学級では、発達障害だけでなく、多様な教育的ニーズのある児童生徒に応じるために、いわゆる「教育のユニバーサルデザイン」や「UDL」等の視点を踏まえた柔軟な授業、「イエナプラン教育」や「SWPBS(学校規模ポジティブ行動支援)」などの考えを踏まえた指導・支援が展開されるようにもなってきています。また、知的障害教育を中心とする「特別の教育課程」においても各教科の目標や内容のつながりをより意識するようになり、知的障害のある児童生徒の学びの充実を図っています。これらの取組は学習指導要領が示した4つのキーワードなどの共通言語によって同じ方向性に向かい、両者の重なりが増してきていると捉えています。

また、現在文部科学省が進めている委託事業「インクルーシブな学校運営モデル事業」では、全国13地区が指定を受け、発展させた交流及び共同学習の実現を目指し、取組を進めています。

私は「インクルーシブな」という言葉に、非常にチャレンジングな方向性を感じています。

現行制度を柔軟に捉え、効果的な取組を重ねていくことによって、多様性に応じる運用につながり、ひいては制度設計に資するのではないかと考えています。

指定地域の中には、特別支援学校と小・中学校が一体化した学校や、隣接する学校もあります。このような設置形態の学校が増えてきていることは、今後のインクルーシブな教育の方向を考えたときにとても望ましいことだと思います。

私が関わっている京都府舞鶴市は、知的障害特別支援学校と地域校が場所としては一体化していませんが、さまざまな実践を積み重ねてきています。

具体的な取組としては、小・中学校の空き教室を特別支援学校の分教室的に活用したり、併任する教員が両校をつなぎ、コンサルテーションしたり、年間を通じて交流及び共同学習を継続したり、そのために両校の教師が日常的にオンライン会議でやりとりをしたり、教育課程の違いを超えて共に学習活動を展開するための「つながるシート」で授業改善を図ったりしています。そしてこれらのアウトプットが引き出したアウトカムとして、教員や児童生徒同士のインフォーマルなかかわりの増加、小・中学校教員の児童生徒に対する見方や応じ方の変化、授業の柔軟化、特別支援学校教員の教科視点や小・中学校教員の特別支援教育的視点の高まり、児童生徒と保護者との対話や学校を超えた教師間の対話の促進が見られています。

さらに文部科学省研究開発学校として指定を受けた特別支援学校(知的障害)では、通常の学級の各教科を取り入れた教育課程の開発とOECDが示すエージェンシーの育成を目指した教育課程の開発に取り組みました。

通常の学級の各教科を取り入れた教育課程の開発では、指導内容の取り扱いや指導・支援の手立てなどを工夫することなどによって、彼らの学びの可能性を高める成果や知見が挙げられてきています。また、エージェンシーの育成を目指した教育課程の開発では、新たな領域を位置付けて、高等部生徒が自分で目標を設定し、実行し、振り返ることを繰り返し、対話を通して意味付けていくという取組が進められ、知的障害に限定しない生徒のエージェンシー育成やキャリア発達につながる成果や知見が挙げられました。これらの成果や知見は、今後の学習指導要領の改訂やインクルーシブ教育システムのさらなる推進、充実に資するものと捉えられます。

このような背景や現状から、教育全般の方向性は、特別支援教育分野における先人たちが大切にしてきたことと重なってきていると捉えています。これらの動向を受け、「不易流行」や「格致日新」の視点を踏まえ、改めて特別支援教育が大切にしてきたことを再確認し、今後目指すべき方向性や課題について学校種別や学級という場や枠組みを超えて対話し、より一層協働していく必要があると考えます。その先に目指す我が国としての「インクルーシブな教育」があるように思います。

松矢

菊地先生、ありがとうございます。先生は所属される現場教師の実践教育研究団体の指導者として、インクルーシブ教育システムの構築のための学校現場や教育行政等へアドバイスされてこられ、また最近では文部科学省との関わりで中教審、研究開発学校、そしてインクルーシブな学校運営モデル事業の委員をなされているという貴重なご体験からのご提言でした。

それでは次に山中先生にお願いします。

山中

埼玉大学の山中です。

このような高いところに座らせていただいてちょっと緊張していますが、貴重な機会をちょうだいしまして、私も勉強不足ですがお話しさせていただきます。資料の配付もお願いしています。そちらと同じものを前のスライドに出しています。

私は普段、埼玉大学で特別支援教育の仕事をしています。研究としてはオーストラリアのインクルーシブ教育について取り組んでいます。オーストラリアはインクルーシブ教育を推進しているのですが、いろいろな学びの場を設置しており、示唆を得られるのではないかという思いから、長年追いかけています。一つの国を理解することはなかなか難しく、歩みは遅いのですが、地道にやっています。松矢先生のお話では、大学時代から学ばせていただいている先生方の紹介もあり、胸が熱くなりました。私も紹介された本を持っています。院生時代は、オーストラリアのキャリア発達、移行支援の研究に関わって学ばせていただきました。記憶力も落ちているので、改めて学ばないといけないと思っています。

本日は、インクルーシブ教育システム構築に向けて、個人的に考えている論点を2点挙げます。抄録集にも書かせていただいています。まず、先ほどから話題になっている当事者、この場合は子どもですが、意見表明をどう保障するのかということです。次に、学習指導要領の話もありましたが、教育課程の柔軟性をどのように理解して実現していくか、より深めていかなければならないと思っています。以上から、「インクルーシブ教育システム構築に向けた課題を考える」と題し、国際的議論、とくに国連機関から発信されているものを中心に取り上げて整理させていただきます。よろしくお願いいたします。

日本政府に対して国連の障害者権利委員会から勧告が2022年に出され、マスコミにも取り上げられ話題になりました。まず主要分野の懸念点として、障害のある人へのパターナリズムが非常に強いこと、障害の医学モデルが依然として強いことが指摘されました。これらは、もちろん教育分野にも影響を及ぼしています。

教育に関しては特に2点指摘されました。1点目は、「分離された特別教育」が永続していること。2点目は、通常学校の在り方に対する指摘です。例えば、通常学校での合理的配慮が不十分ではないか、先生方のインクルーシブ教育に関するスキルが足りないのではないか、否定的な態度が示されているのではないか、などといったことが指摘されています。そして、インクルーシブ教育は子どもたちの権利であることをきちんと認識し、国として計画を策定することが求められました。インクルーシブ教育は「質の高い」教育でなければならないので、それを実現するための具体的な計画を立てる必要があるわけです。

「分離された特別教育」という表現は、早い段階でマスコミが特別支援教育の廃止と受け取った面もありましたが、私はそうではないと考えています。勧告の全体や背景を丁寧に見る必要があると思っています。いろいろ勉強する中で感じるのは、現在行われている特別支援教育が、国際的には、少なくとも障害者権利委員会からは、従来の特殊教育と変わらないものとみなされているのではないかということです。特別支援教育は、障害のある子どもがどこで学ぼうと、ニーズに応じた教育を受けられるようにするための取組であったはずですが、そうはみられておらず、場所や内容・方法などの「特別さ」に依拠した制度として理解されているように思います。むしろ通常学校の在り方に関する課題が具体的に多く指摘されており、特別支援教育の廃止を求めたものとは個人的には読めません。

勧告の背景には、障害者権利条約の「インクルーシブ教育を受ける権利に関する一般的意見第4号」があります。それを読むと、すべての児童生徒の学習能力を認め、高い期待を持つこと、子どもを既存の仕組みに合わせるものではないこと、柔軟なカリキュラムやニーズに応じた教授学習方法が必要であることなどが述べられています。そして、そのための具体的なシステムを作っていくときの要件として、4つの観点が示されています。利用可能性、アクセス可能性、受容可能性、適合可能性の4つです。これらはそれぞれ独立したものではなく、相互に重なり合い、連動しながら成り立つ要件として整理されています。障害のある人にとって、教育は量的にも質的にも十分に確保されなければなりませんし、制度そのものが利用しやすいものである必要があります。そのためには、障害のある人の要望や文化、見解、言語などを十分に考慮して制度を設計しなければならず、多様なニーズに応じられる柔軟性も求められています。カリキュラムはまさにこの点に関わり、児童生徒のニーズに合わせて調整される必要があることが、この文書に限らず、各所で繰り返し指摘されています。こうした観点から日本の現状を見ると、不十分な点が多いということになります。

そもそも、インクルーシブ教育をどのようなものとして捉えるかについては、さまざまな見解があります。国際的な議論、とりわけ国連の動向をみると、完成された最終形が存在するわけではなく、不断の改革理念として発展させていくものという理解が重要だと感じます。つまり、あらかじめ決まった形があるわけではなく、それぞれの国や地域が、歴史的背景やこれまでの蓄積を踏まえながら、具体的な在り方を検討していかなければならない。したがって、日本はこれまで指摘されてきた課題に向き合いながら、日本としての形を主体的に作っていく必要があるということです。

ユネスコの報告では、SDGsの取組の一環として、障害のある人だけでなく、さまざまな多様性を念頭に置いた議論がなされています。そこでは、特定の集団のアイデンティティや慣習、言語、信念が脅かされたり、損なわれたりするような形であってはならないとされ、インクルーシブ教育の改革は対話、参加、開放性に基づかなければならないと述べられています。また、多様性を包摂するという価値そのものは重視しつつも、個々のニーズや選択肢を無視してはならないともされており、非常に現実的で重要な指摘がなされています。

さらに2024年には、子どもの権利委員会と障害者権利委員会が共同で、質の高い教育を受ける権利について改めて確認しています。そこでは、主流の教育システムと、特別あるいは分離された教育システムの二つを存続させることは、質の高いインクルーシブ教育を受ける権利とは両立しないと明言されています。ただし、インクルーシブ教育はあくまで不断の改革理念であり、特定の形を一律に押し付けるものではありませんし、特定の場所に行かなければ必要な教育が受けられないという考え方とも相容れないものです。これまでの国際的な議論を踏まえれば、この理念は、国や地域の歴史的背景や蓄積とともに発展していくものであり、対話と参加を基盤として、当事者である子どもや関係者とともに具体策を検討していかなければならないものです。

このような理解のもとで、私が考える論点の1つ目が、障害のある子どもの「意見を聴かれる権利」についてです。一般的には意見表明権と言われます。

子どもの権利条約にこの権利についての条文があり、それを受けて、障害者権利条約でも障害のある子どもについての条文があるのですが、意見表明権についてよく読むと、大人に意見を聴かれる権利であり、それは大人との相互の共有に基づく対話であるとされています。子どもの権利条約は「子どもの最善の利益」を重視しますが、何が最善の利益なのかを考える際には、本人の意見を聴かなければ分からないことが述べられています。したがって、子どもの最善の利益の考慮と子どもの意見を聴くことは、相互依存の関係にあります。

障害のある人についても同様で、意見表明については障害者権利条約にも明記され、関連文書も出されています。子どもが自分の意見をもち、何らかの形で表明する以上、大人はそれを聴かなければなりません。そのためには、情報を子どもに分かりやすい形で提供する必要があり、コミュニケーションの方法についても多様な準備や支援が求められ、専門家の訓練も必要とされています。ここでの「意見」は英語では Viewであり、Opinionではありません。つまり、子どもが自分自身や周囲をどう見ているか、何を思い、何を願っているかという意味合いです。そのようなビューを、大人がどのように聴くのかが問われます。まずはビューを育てることが必要であり、大人は子どもに寄り添いながら、多様に表出されるビューを受け止め、正当に考量しなければなりません。これこそ、インクルーシブ教育を質の高いものにするための不可欠な要素とされています。

子どもの意見を聴かれる権利は、子ども個人の権利であると同時に、子ども集団としての権利でもあります。学校でいえば児童会・生徒会の取組など、組織や機関に代表として参加し意見を表明することは権利です。子ども集団として意見を聴かれる権利は、子どもの結社の自由や平和的集会の自由(第15条)とも関係し、きわめて重要です。

子どもが個人としても、集団としても意見を聴かれる権利には、自分の意見がどのように考量され、どのような結果につながったのかを子ども自身が学ぶという大きな意義があります。また、教育の中にある差別を払拭していくうえで、非常に大きな力にもなります。先ほどパターナリズムについての指摘もありましたが、子どもを保護することはもちろん必要である一方、「その子のため」という思いが強くなりすぎて、かえって本人の意見を聴くことがおろそかになりがちということも起こりえます。そのため、意見を聴かれる権利の教育的意義を改めて確認することが重要だと思います。

カリキュラムや個別の教育計画に本人がどのように参加するか考えねばなりませんし、そもそもビューを育てることも重要です。そのための環境として、どのような学級をつくるのか、子ども同士の関係をどう築くのかなど、検討すべきことは多くあります。あらゆる場面で子どもの意見が正当に考量されていることが重要であり、これは制度的な課題であると同時に、実践的な課題でもあります。

インクルーシブ教育を質の高いものとして実現することと、意見を聴かれる権利との関係については、先の障害者権利条約一般的意見第4号でも触れられています。そこでは、インクルーシブ教育は、通常学校の文化や政策、調整に継続的かつ積極的に取り組んだ結果として実現されるものとされています。また、インクルーシブ教育の計画・実施・モニタリングにおいては、子どもを含む障害者団体と積極的に関わらなければならないとされています。障害のある子どもを理解しようとするとき、ステレオタイプによる評価や過小評価に陥ってはならないとも指摘されています。障害者権利条約そのものも、多くの障害者団体との協議を通して形成された経緯があります。このように、子どもの意見を聴かれる権利はインクルーシブ教育と密接な関係があるため、その実現について改めて考えたいところです。

もう1つの論点は教育課程、カリキュラムのあり方です。新しい学習指導要領について現在議論されていますが、そこでもキーワードとなっている柔軟性は、インクルーシブ教育に向けたカリキュラムにおいても不可欠とされています。

ユネスコの資料では、カリキュラムの配慮や修正について言及されています。日本でも合理的配慮という言葉が教育の場にかなり浸透し、先生方もさまざまな工夫をされていますが、目標を達成するためのプロセスに焦点を当てた配慮であったり、個々の達成基準を柔軟に設定するような修正の考え方が示されています。

またOECDもカリキュラムの調査研究を進めています。OECDの調査研究では、カリキュラムの柔軟性を考える前提として、カリキュラム設計における平等性・公平性・包摂性が整理されています。多くの国がこれら三つの観点を組み合わせており、同一の内容をどの程度保障するのか、付加的な要素をどう組み合わせるのか、カリキュラムそのものの包摂性を高めるにはどうしたら良いのかを検討しています。ちなみに、私が研究しているオーストラリアは、インクルーシブなカリキュラムを謳い、日本のように学校種別で教育課程を分けていませんので、個人的に強い関心をもっています。OECDの調査研究では、カリキュラムには子どもたちの多様な能力やニーズに対応するための柔軟性をもたせる必要があると同時に、学校や教員には子どもたちに合わせた教育実践を創造するための自律性が必要であるとされており、まさにそのとおりだと思います。OECDではこれから各国の事例が検討されていくと思いますが、そこでの議論をみながら、日本についても考えていきたいところです。

現在の学習指導要領は、日本型インクルーシブ教育システムを念頭に、通常学校と特別支援学校の連続性を確保しており、通常の学校においても合理的配慮の実施が求められています。合理的配慮がどうなされているかも含め、特別支援教育と通常教育双方の実態をどのように評価するのか、それを踏まえて、次期学習指導要領における柔軟性をどのように考えるのかが問われていると考えます。その際にも、障害のある子どものビューを正当に考量することが、やはり鍵となるのではないでしょうか。

私の個人的関心に寄った発言で恐縮ですが、松矢先生、菊地先生のお話を受けて、このようなことを考えた次第です。長くなりましたが、私からの論点とさせていただきます。

松矢

ありがとうございます。山中先生も教育現場の実践研究にかかわっておられるので、菊地先生と同じようにインクルーシブ教育の基本的な考え方について深い理解に基づくかみくだいたご提言をいただけました。とくに児童生徒のビュー(View)、意見(Opinion)ではなく、彼ら彼女らが自分自身や周囲をどう見ているか、何を思い、何を願っているかをしっかり傾聴し理解することが大切というご提言に共鳴しました。

理論的に言うと難しい面もありますが、少なくとも文部科学省ではモデル事業が始まっており、教育課程の柔軟性や児童生徒のビュー、子どもに即した、子ども自身の授業に対する感想といったものをリアルに捉えていくことが必要だと思っています。そういう意味では、文部科学省のモデル事業がある程度進んでいくことが大切だと思います。

日本でもユニバーサルデザインの考え方のもと、子どもたちが楽しく「わかる・できる」と感じられる授業を少しでも増やしていこうという努力が行われています。それは当然、子どものビュー、つまり楽しいかどうかという思いに関わるものです。「わかって楽しい」という授業が必要だと思います。

具体的な授業の研究が、これから少しでも進んでほしいと私は思っています。その意味では、子どもの考え方をきちんと聞いていくことが大切です。

実際に就学する段階で、どういう教育の場で学ぶのが楽しいのか。「こうあるべきだ」という大人の思いよりも、「こういう場で学ぶのが楽しい」という、授業がわかって楽しい、満足できるという子ども自身のビューが反映されるような就学の機会を作っていくことが、とても重要だと思います。

一歩一歩進んでいくことが重要だと思います。

今回の鼎談は、その意味では、先生方の考え方が提起され、それが権利委員会からというだけではなく、日本の現状から提案されていくという点で、とても大切なご提言をいただいたと思っています。これは障害の有無に関わらず、楽しい授業、わかる授業が子どもにとって共通して大切であるということです。そういう観点で授業を作っていく、インクルーシブという言葉だけでなく、子どもに適した授業を作っていくという観点が、今回の教育課程改革の中で、特別支援教育においても通常の学級においても進んでいくのがよいのではないかと思っています。

国際的には国連の権利委員会から提言が出されていますが、「特別支援教育研究」の昨年12月号では、インクルーシブモデル推進事業を展開していく中で、次の権利委員会の審査に対して、文部科学省としてもより積極的に対応していきたいという趣旨が述べられています。この間の議論が少しずつ具体化していくとよいと思っています。

その意味では、両先生が今日提言された内容が、これからの教育課程の改善やインクルーシブ教育の推進に関するさまざまな委員会、あるいは民間の研究会などで成果として報告され、共通の場で活用されていくことが期待されます。

今回は鼎談という形で、もう少し時間があれば研究会の形が有効だったかもしれませんが、まずはきっかけ作りということで受け止めていただければと思います。必ずしもインクルーシブ教育だけではなく、これからの教育全体の課題について、私自身も考えていきたいと思っています。その中にインクルーシブ教育がある、という位置づけです。今回の進行について、私自身の運び方が十分ではなかったと反省もありますが、このような形で鼎談ができたことは非常に有効だったと思っています。

では、ただ今のお二人の提言を受けて、また私の話も含め、これからの教育のあり方や、インクルーシブ教育も含めて、フロアからのご意見を伺います。いかがでしょうか。

会場

東京都内で通常の小学校の校長をしています。インクルーシブ教育についても取り組んでいます。山中先生が「柔軟性」とおっしゃっていましたが、基本的に現状では、多様な子どもがいる中で、やはり学習指導要領の内容が多すぎるという印象を持っています。思い切って学習指導要領を半分ぐらいにしないと、インクルーシブも進まないでしょうし、実践的にも学校現場の余裕は生まれないと思います。本日、松矢先生も含めて、学習指導要領の量的な問題についてお考えを伺いたいと思います。

松矢

今のご質問はかなり具体的でしたが、もうお一方、いかがでしょうか。

会場

横浜市総合リハビリテーションセンターの伊藤です。インクルーシブ教育について、いろいろ考えるのですが、大変難しい課題だと感じています。不断の努力が必要ですし、「柔軟性」という言葉もいただきました。頭では理解できるのですが、実際には経済的な問題もありますし、技術的な課題、先生方のお考え、国民の意識など、すべてを含めて総合的に考えなければいけないと思います。実践となると大変難しい。そこで、例えば10年先にどのような教育が行われているのか、全体像でなくても構いませんので、少し具体的なイメージを示していただければと思います。

松矢

それぞれの先生方に、今、2つご質問が出ました。ざっくばらんなご質問だったと思います。

菊地

鼎談の感想を含めてお話させていただきます。

山中先生の視点は重要だと思います。論点の1つは「ビュー」です。学びを舵取りするのは学ぶ本人ですから、柔軟性とは切り離せないと思いました。

量の問題については、論点整理の中でもさまざまな意見が出ています。「量が多い」「分かりやすくしてほしい」「もっと具体化してほしい」という3点です。

そう考えたとき、私が抄録に書いた教育のユニバーサルデザインは、授業そのものだけでなく、学校全体の柔軟性、学び方に応じた枠組みとして捉える必要があります。単一の目標ではなく、複数の目標を多様な方法で進めていく実践を工夫している学校が出てきていることに注目しています。

ところが、一学級あたりの子どもの数は地域によって少なく、1学年1学級しかない学校も多く、学び合いの構成に難しさが生じています。

柔軟さは基盤となる考え方ですが、中教審で議論されている「柔軟な教育課程」とは少し異なる方向ではないかと捉えています。現在の議論は、教える内容の柔軟性に焦点が当たりがちですが、そうではなく、学んでいる主体は子どもです。

やはり山中先生がお話しされたように、ビューをどう育てていくかが重要で、実はその点が特別支援教育ワーキングでも中心的なテーマになっています。つまり、本人が「なぜ、何のために学ぶのか」、願いや思い、よさや強みをどう生かしていくかが大きな柱です。社会モデルの考え方を進めると同時に、本人主体・主権をより大切にしなければ、学びの柔軟性だけでは本人が舵取りできることにはなりません。

個別の指導計画等に本人が参加するキャリアデザインや、キャリア・パスポートの活用により、自分の学びを振り返り、対話を通して意味を見出していくことが必要になります。教える側の論理だけでなく、子ども側の視点をしっかり見据える必要があると思っています。10年後はこれらのことが大切にされた教育になっていることを願っています。

山中

ご質問ありがとうございます。

本来は宿題として持ち帰らなければならないほどの問いだと思っていました。なかなか明確にお伝えできず申し訳ありません。

学習指導要領の量的な問題も感じつつ、インクルーシブ教育の10年後の姿に重ねてお話ししたいと思います。

どのような力を子どもにつけたいのか、現在の学力観が妥当かどうかを考える必要があるのではないかと思っています。

今は「何を知っているか」よりも「何ができるようになるか」が重視されていますが、これは国際的なトレンドで、オーストラリアでも同様です。

確かに重要な観点ですが、それが子どものビューや発達、子ども発信の学力観なのかを問う必要があるのではないかと感じています。

また、「楽しい」「わかる」授業を、障害のある子もない子も一緒に実現できればよいのですが、現実には「交流及び共同学習」と言われながら、交流はできても共同学習は難しいという指摘があります。

本当の意味で「ともに学ぶ」とは何か、そのときの学力観はどのようなものが妥当なのか。子どものビューを大切にしながら明確にし、実践をつくる必要があると思います。

10年先を考えるなら、共同学習の在り方を具体的に検討していくことが重要だと感じています。

十分なお答えになっていないかもしれませんが。

松矢

学習指導要領の量についてのご質問は私も答えなくてはならないのですが、菊地先生と山中先生のお答えを共有させていただきたいと存じます。特別支援教育の実践研究でご活躍のお二人の先生をお招きできたことはまたとない機会なので、残された時間で補足のご提言をいただきたいです。

菊地

先ほど話題提供させていただいたインクルーシブな学校運営モデル事業について、少しお話させていただきます。

舞鶴では、学び支援チームのコーディネーターが小・中学校に常駐し、空き教室を活用してサテライト教室化することで、日常的に一緒に学ぶ環境をつくっています。通常の学級の教員は、それを見ることを通して自立活動の支援方法を自然に学び、研修会とは異なる形で理解を深めていくようになってきました。

一方、支援学校の教員は通常学級の授業を参観し、教科書を手がかりに「ここなら一緒にできそうだ」と可能性を探るようになってきました。

総じて日常的な対話の中から、つながりや学びが生まれています。「共にいること」が当たり前になると、関係はフォーマルなものからインフォーマルなものへと変わり、授業以外にも広がっていきます。

また、舞鶴では、ろう学校との交流が40年以上続いており、保護者世代と子世代が世代を超えた経験として家庭で話題にしていると聞きいています。このような取組の継続は文化として根付いていくと思います。

しかしながら、実際にはこうした経験をする子どもと、そうでない子どもがいます。私たちも含め、まだ知らない人がたくさんいます。どのような経験を積んでいくかが、これからの大きな鍵になると思います。

最後に関連してキャリアについて触れたいと思います。

キャリア教育の定義に示す「一人一人の社会的・職業的自立に向け、必要な基盤となる能力や態度を育てる」―これはこれまでも重視されてきました。しかし大事なのは「キャリア発達」であり、キャリア発達とは、本人にとっての変化、社会との向き合い方の変化とも言えます。

社会の中で役割を果たすことは、ウェルビーイングにおける協調的要素でもあります。また、自分らしい生き方の実現は、自己実現にとどまらず、他者との関わりの中で「誰かの役に立った」という実感につながります。

私たちは失敗や成功を通して、どのように環境設定を行い支援していくかが問われています。そこには、支援する・されるという関係を超えた「相互発達」の考え方があります。なぜなら、支援する側である私たちも、彼らから多くを学び、影響を受けているからです。

このような視点をすべての学校種別に共通する教育の考え方として、今後の新たな展開を展望していければと思います。

松矢

山中先生、お願いします。

山中

日本型インクルーシブ教育システムの特徴の一つは、交流及び共同学習であると思うのですが、障害のある子どもと障害のない子どもは対等な関係にあるということを、すべての子どもが実感をもって理解できるような、道徳的扱いを超えた実践づくりが広く求められていると考えます。つまり、各教科でも、教科外活動でも、お互い違うところがあるけれど同じなのだということ、必要な支援は人それぞれだけど誰もが支援を受ける権利をもっていて自分ごとでもあるということ、皆が相互に関係しあっているということを、すべての子どもが年齢や発達等に即して理解していけるように取り組まれる必要があると考えます。

実践するにあたっては、障害の有無を問わず、子ども個々の自己理解と他者理解、そしてその先に結ばれる関係性を丁寧にみて、皆が大切にされている実感を持てているのかを検討したいところです。そもそも自分が大切にされてこそ、自分とは異なる存在を受け止めることが可能になるように思います。

特に、障害のある子どもに関しては、特別支援学級や特別支援学校において、どのように自分や仲間を理解し、障害のある子ども同士でどのような関係性を築いているのかといったことからも、示唆を多く得ることができるのではないかと考えます。これは、特別支援学級と通常学級の交流及び共同学習の実践をいくつか教えていただいた中で、障害という共通性がある仲間との出会いや関わり、そして、必要な支援及び指導を受けての手応えある学習や生活が自分自身を支え、障害のない子どもと関わる際にも助けになる可能性を考えさせられたためです。

子どものビュー、特にどんな自分になりたいのか、どのような関係性を築きたいのか、それはなぜなのかといったことを、きちんと受け止められているかが問われているところであり、特別支援学級や特別支援学校の先生と通常学級の先生が、この辺りを共に模索しながら対話することが大切なのだろうと思っています。今日、インクルーシブ教育は良質であることが求められていますが、このような協働の方針は、まさにインクルーシブ教育の質に関わるのではないでしょうか。

一方で、先生が目の前の子どもに丁寧に目を配り、柔軟に実践を試行錯誤したいと思っても、なかなか出来にくい状況があるように感じています。先にお話しさせていただいたカリキュラムなど制度のあり方が実践課題に直結することも念頭に置きたいと考えています。

松矢

菊地先生、山中先生、本日はどうもありがとうございました。今回の鼎談の企画は、総合リハビリテーション研究大会常任委員会の意向によるものです。私も委員ですが、「インクルーシブ教育を含めての今日の教育課題について」という意向は、基調講演を受けての企画となると、私には荷が勝ちすぎていると思いました。しかしお二人の講師をお招きでき、とても充実した内容のあるご提言をいただきました。ありがとうございます。先ほども申し上げましたが、インクルーシブ教育の具体化と推進の課題は、実践研究に基づく議論と考え方の共有が必要です。今回いただきましたご提言は報告集に掲載されますので、本日ご参集の皆さまによって、ご所属の学会やいろいろな研究会で抄録集と合わせて活用していただければ幸いと存じます。それではこれで鼎談を終了いたします。ご清聴をいただき、ありがとうございました。