セッション1 不登校の理解と支援 ~不登校経験者の報告から学び、支援のあり方を考える~
- 話題提供者:
- ヤマダ 不登校経験者(10代大学生)
- 西浦 寛和 不登校・ひきこもり経験者(50代男性)
- タザキ 不登校経験者の親
- 井村 良英 認定NPO法人育て上げネット 執行役員
- コーディネーター:
- 伏見 明 東京都教育庁 都立学校特任相談役
- 伏見
-
それでは始めさせていただきます。
司会から登壇者の名前をご紹介いただきましたので、個別の経歴等につきましては、それぞれのお話の中で詳しくご紹介いただきます。
改めまして、本日のコーディネーターを務めます伏見です。
簡単に自己紹介をさせていただきます。
東京都立の特別支援学校の教員として長く勤務してきました。専門は知的障害教育で、とりわけ職業教育を中心に取り組んできました。
教育庁での行政と教員を半々ほど経験し、定年退職後は相談役という立場で教育庁に関わっています。特別支援学校に長く携わってきましたが、現在は小・中・高等学校における発達障害教育を中心に担当しています。
今回、「不登校」をテーマとする本セッションを松矢実行委員長から任され、この一年、学び直してきました。そのことで、自分自身の思い込みや、知らなかったことの多さを痛感しています。
先ほども少し触れましたが、不登校の児童生徒数は、この12年間、増加し続けています。
お手元の資料にもありますが、直近の昨年度のデータでは、小・中学校を合わせて3.86%の児童生徒が不登校の状態にあります。特に中学校では6.79%に達しており、1クラスに2~3人の割合で学校に通えていない状況です。
実際に中学校を訪問すると、教室には4~5席ほど空席が見られることがあります。学校に来られていない生徒もいますが、登校はしていても教室に入れず、サポートルーム(名称は学校によって異なります)で過ごしているケースもあります。あるいは、朝は来られず昼頃に登校する、早退してしまうといった形で、十分に学校生活に参加できていない生徒も少なくありません。
さらに、席には座っていても、授業中はウィンドブレーカーをかぶって眠っている、板書のときだけ手を動かすものの学習活動には参加できていない、といった「教室にはいるが授業に参加できていない」状態の子どもたちも、かなりの割合で存在します。こうした状況は、ここ数年、少しずつ増えているという実感があります。
中央教育審議会でもこの問題が検討されています。
令和5年度のデータを基にした資料では、中学校の40人学級(実際には30人程度が多い)において、不登校の生徒が約2.7人、不登校傾向の生徒が約4.1人と示されています。つまり、毎回の授業に十分参加できている生徒ばかりではないという現状があります。
加えて、学習面や行動面で著しい困難を示す生徒、日本語を家庭であまり使用しない外国ルーツの生徒など、多様な背景をもつ生徒が同じ教室で同一の授業を受けているのが現状です。
そのため中央教育審議会では、各学校が編成する単一の教育課程だけでは対応が難しく、すべての子どもを包摂する教育課程の必要性が議論されています。
不登校の背景には、学習の問題だけでなく、友人関係、教師との関係、いじめなど、さまざまな要因があります。こうした複合的な理由により、学校に来られない状態が学校現場で現実に起きています。
文部科学省は令和元年に通知を出し、「学校に登校することのみを不登校支援の目標としてはならない」と明確に示しました。一方で、学業の遅れが進路選択の不利益や社会的自立へのリスクになり得ることも指摘しています。
また、不登校の期間が子どもにとって自分を見つめ直す意味をもつ場合がある、という点にも言及されています。
令和5年の通知では、不登校特例校の設置、校内教育支援センター(スペシャルサポートルーム等)の整備、従来の適応指導教室にあたる教育支援センターの設置など、学び直しの場を整備する施策が中心となっています。
つまり、「学びたいと思ったときに学べる環境を整える」という形で、学校教育制度の枠内で対応が進められているのが現状です。
しかし、自らの進路を主体的に捉え、社会的に自立していくためには、単に学習の遅れを補うだけでは十分ではありません。
自己否定感を抱えている子どもたちが、自分自身を取り戻すプロセスがなければ、将来の自立にはつながりません。
本来、より力を入れるべきなのは、不登校の時間がもつ「自分を見つめ直す積極的な意味」を支えることです。しかし、その部分を学校教育だけで担うことには限界があります。
以上、現状の報告と課題の共有をさせていただきました。
このあと、様々な経験を重ねてこられた皆さんのそれぞれのお話を通して、より具体的に考えていきたいと思います。
本日登壇してくださるのは4名です。
お手元の抄録集もご覧いただきながら、お話をお聞きください。
それでは、ヤマダさんからお願いいたします。
- ヤマダ
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今回、話題提供者として登壇することになりました。元不登校で、現在は毎日楽しく大学に通っています。
私は中学校時代に不登校だったのですが、なぜ不登校になってしまったのか、すべての原因は私自身も把握しきれていないのですが、その一部の紹介と、自分にとって学校がどう見えていたのかをお話しします。
まずはこちらのスライドで、自分がどうして不登校になってしまったのかを分析してみたので、ご覧ください。
学校環境において何をストレスに感じ、どうして不登校になったのか。
1つ目、当時の私は校則が窮屈に感じていました。
例えば、髪ゴムの色が黒か茶色か紺であればいいという校則がありました。
なぜピンクや水色はダメなのか。
先生は、勉強に支障が出る、気が散るからだと言っていました。
私はそれが納得できませんでした。
髪ゴム以外にも、靴下とか、ちょっとした校則について腑に落ちない点が多々ありました。
後々、成長してから、経済的な格差を目立たせないためという意味もあると知るのですが、当時はそれが分からず、ストレスでした。
2つ目、教科書などの荷物が重いことです。
私の中学は9教科あって、1教科に1冊必ず教科書がありました。最大9冊、1日で5~6限ありますから、多い日は6冊になります。クロームブックや水筒も入れると、毎日4~5kgを抱えて登校し、家に帰るという生活でした。
登下校そのものもストレスと感じていました。
3つ目、得意なイラストや音楽は重要視されず、活躍の場が特になかったことです。
勉強が得意な子や体育が得意な子は、学校でもほめられる機会や仲間を作る機会が多かったりしますが、美術や音楽は副教科なので、ほかの授業と比べて授業数が少なく、それを得意としている子たちがあまり活躍できる場がありませんでした。
褒められる機会も少なく、子どものころに大切な自己肯定感が得られずに、成長につながりにくかったと思います。
4つ目が、体育が苦手で授業に不満があったことです。
みんなそろって跳び箱を跳んでくださいという状況では、常に他人との協調を求められます。
必然的に苦手でできない子が浮いてしまいます。
そのうえ、周囲から連携を求められると、足を引っ張るのではないかと不安がたまります。
本人は悪気がないのに、みんなに迷惑をかけているという自責の念がたまり、目立つ行動をしたくなくなってしまいます。
周りはそれに対して、もっと堂々としてほしいと言いますが、それがかえって悪循環の、いわば公開処刑のような状況になってしまうことがありました。
小学校でも中学校でも、こうした状況が私にはありました。
これがすべてというわけではありませんが、こういったちょっとずつの不満がたまり、だんだんグラデーションのように濃くなって、私は不登校になりました。
不登校になるとどうなるでしょうか。
まず、学校とのつながりが絶たれます。子どもにとって唯一の社会活動が途切れてしまうんです。日常の過ごし方にも影響が出ます。家にひきこもることになるので、外出頻度が低下して、人と関わる機会がぐっと少なくなります。それが心と体の変化にもつながります。
外出しないので体力が低下します。友達と会う機会もないので、毎日の楽しさが半減します。
そして、自分は不登校なのだという罪悪感の中で過ごします。
この気持ちはかなり重いもので、私の場合、学校に行っていないことにすごく罪悪感がありました。自分だけがずる休みをしているのではないかというのが怖かったし、親も自分も、将来どうなってしまうのだろうと不安をかなり抱えて、つらかったです。
どれぐらいつらかったかというと、「よし、今日こそ学校に行くぞ」と決心し、用意を済ませて玄関を出て、「行ってきます」と言っても、学校に足を進めていくごとに足が重くなって、だんだん涙が止まらなくなります。そんなこともありました。
そうやって学校とのつながりが消えて、心と体のバランスが崩れ、日常の過ごし方が変わり、その結果、健康状態が悪化の一途をたどる。これが、不登校児童が抱える問題だと思っています。
先ほど説明した原因の4つ目、体育が苦手ということについて、具体的に話そうと思い、イラストと文章を自分で作成したので読み上げます。
まず、会場の皆さんの中で、サッカーをやっていた人、得意だよという人はいらっしゃいますか?
サッカーはやらないけど観戦するのは好き、スポーツは好きという人は? あ、たくさんいらっしゃいますね。ありがとうございます。
手を上げてもらったことで分かるように、サッカーが得意な人と苦手な人、それぞれいるのは当たり前です。それを責める人はいません。
小学校でも一緒で、苦手な人、好きな人がいても、そのことに対して子どもたちはどうこう言いません。
でも、チームを組んで、チームごとに分かれて対戦しましょう、という場面があります。そういう場面になると、先ほどまで互いを認め合っていたのに、勝負事という条件が加わることによって、邪魔な子が出てきてしまうんです。
苦手な子は、勝ちたい子にとってはどう扱っていいか分からない。あるいは、助けてあげようと思った子たちが干渉して、逆に不自由になってしまったりします。
その人自身がその人らしく楽しむという、本来あるべき余地がどこにもなくなってしまいます。周囲が結果だけを求め、当事者の声を誰も聞いていないんです。
人間らしく、自分らしくいることが許されない人が出てきてしまいます。
こういう人は中学校でも小学校でも存在していて、しかし異を唱えることもできません。唱え方が分からないからです。
特に体育が大変苦手な私は、小学校でも中学校でもこのような場面に何度も遭遇し、嫌な思いをしてきました。
もっとお互いの声を聞き合えて、そこにいることを認め合い、同じ状況を楽しめる環境があれば、もしかしたら不登校になるきっかけが少しずつ減っていくかもしれないと思っています。
その雰囲気について、言葉だけでは伝わらないと思い、イラストを描いてきました。お手元の資料でご覧いただけると幸いです。
私からの話題提供は以上になります。ありがとうございました。
- 伏見
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ヤマダさん、ありがとうございました。
お手元の資料に、今見ていただいた文章やイラストが印刷されていますので、改めてご覧いただければと思います。
もうお一人、抄録集に掲載されている、ののかさんが登壇予定だったのですが、いろいろな事情で欠席になりました。ここに書いてあることには、ドキッとさせられるところがあります。彼女からはいろいろなお話をお聞きししました。彼女は、自分は「生産性のない」人間だと思っていたそうです。家にひきこもっているそんな生産性のない自分が、エアコンを使うことや、夕飯を食べることさえ、してもいいんだろうかと、ずっと思っていたとおっしゃっていました。
とにかくずっと家から出ることができなかったのですが、まず、3秒だけ玄関を開けてみることから始めて、次に家の周りを歩き、できることを広げていって、今では1人でインドネシアまで旅行できるようになったそうです。現在は大学に通っています。実際に、ご本人からお話が聞ければ良かったのですが、今日は参加できなくなりましたので、報告させていただきます。
続いて、西浦さんからお話を聞きます。
- 西浦
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西浦です。
私自身は発達障害を抱えています。でもその診断がつくのが遅かったんです。
長い間、支援が受けられず、空白の時間を過ごしました。
一言申し上げたくて登壇しました。文章を読み上げる形でお話しします。
先生のスライドで、いろんな生徒が教室にいると話がありました。私自身も障害を抱えているにもかかわらず、それが分からず、何かと遠回りをすることがありました。
また、高校を卒業するまでは一応学校にも通いました。勉強もそれなりにできていたので、特に障害があるような人間には見えなかったんです。
高校卒業で受験をし、浪人することなく入学したのですが、1年間在籍したものの、その後退学しました。
その後は家にひきこもる状況になりました。32歳のときに発達障害の検査を受け、典型的な発達障害だと診断がつくまでは、一般の健常者と同じような活動をしていました。
就職活動もして、健常者と同じ条件で動いていましたが、まったく相手にされず、居場所がなくなりました。
20代前半から診断がつくまでの間、ほぼひきこもりのような生活を送りました。
そういう状況を見かねた親が、心療内科や精神科などに何か所か連れていってくれました。その中の精神科の先生に、自閉症の傾向があるとズバッと指摘していただいたのが30歳のときでした。
専門的な検査を受けて、やっと分かりました。私の場合、見た目は普通で、ある程度話もできるので、何も知らない人から見ると怠け者のように映ってしまいます。ですが、少し見方を変えて、「ちょっと脱線した人間なんだ」と理解していただけることが私の願いです。
最後に、接し方や見方を変え、指摘してくれる人がいれば、人生が大きく変わるきっかけになるということだけは強調しておきたいと思います。私からは以上です。
- 伏見
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この間、西浦さんとお話ししていたときに、変なヤツだと思っても自分に気づいてほしかった、とおっしゃっていましたね。変なヤツだと思っても、自分がいることに気づいてほしかったと。その話を聞かせていただけますか。
- 西浦
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「変なヤツ」が教室の中にいると思うんです。
私が中学生のときにも、クラス全員にいじめの標的にされて苦労している同級生がいました。
私はそれを目にして、自分自身が標的にされないように、器用に逃げ回るようになったんですね。
私には、そういう小細工はできたのですが、いざ社会に出て、自分の足で歩み、生きていこうという段階になると、逃げ回るというそんな表面的な小細工はまったく通用しませんでした。
社会と隔絶した世界にいる方が楽だったので、家から出なくなっていきました。
- 伏見
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ありがとうございます。
また後ほどのディスカッションの中で、お話しを伺いたいと思います。
では、次にタザキさんからお話しいただきます。タザキさんは、お子さんが不登校になった経験をお持ちです。よろしくお願いします。
- タザキ
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よろしくお願いします。
娘が中学校3年生のときに、不登校になりました。
最初は、「いじめられているのではないか」ととても心配になり、何度も本人に聞きました。しかし、そういうことではありませんでした。クラスの中で、ある一人の子がいじめられているように見え、その子をみんなでからかうような雰囲気があったそうです。
その子自身は嫌がっていないように見え、先生も一緒になって冗談のように関わっていたのですが、その様子を見ていることが娘には耐えられなかった、と後から話してくれました。
そうしたことがきっかけで、学校に行けなくなりました。
最初のうちは、何とか学校に行ってもらおうと思い、私も付き添って学校の近くまで一緒に歩きました。でも、どう頑張っても校門までたどり着く前に「帰りたい」と言うのです。
中学生ですから、本来なら一人で通える年齢ですが、どうしても学校に行けなくなってしまいました。
そのうち家にひきこもるようになり、だんだん朝起きることもできなくなっていきました。
ちょうど中学3年生で、高校受験を控えている時期でしたので、中学校では進路指導も始まっており、「どうしたらよいのか」と悩みました。
学校には行けていませんでしたが、スクールカウンセラーに相談してはどうかと勧められ、娘と一緒に学校へ行きました。何度か相談を重ねる中で、「朝も起きられないのであれば、一度病院を受診してみてはどうか」と言われ、心療内科に通うことになりました。
そこで、起立性調節障害ではないかと診断され、薬を処方されて治療が始まりました。
体質のようなもので、障害とは少し違うかもしれないけれど、治る人もいれば長く続く人もいる、と先生から説明を受けました。「何年か先にはおさまる人もいますよ」と言われ、そのときは本当にほっとしました。理由が分かったからです。
学校に行けなくなったきっかけはありましたが、その後は体調を崩し、精神的にも追い詰められていったのだと思います。
体質や特性が関係して学校に行けない、クラスになじめないということが分かっていれば、少なくとも自分を責める気持ちは少し軽くなるのではないか、と私は感じました。
ただ、これはあくまで親の思いで、本人は「学校に行けない自分はダメな人間だ」「親にも迷惑をかけている」と強く思い詰め、口もききたくないという状態になっていました。
家族もなかなか理解できず、受け止めるまでに時間がかかりました。
午前中ずっと寝ていて、夜になるとテレビを見て笑っている様子を見て、「怠けているのではないか」と責めてしまっていた時期も、何か月も続きました。
しかし、病気だと分かってからは、家族も病院に付き添ったり、声をかけたりするようになりました。
家族だけで抱え込んでいた時期は本当に辛く、何か特別なことができるわけではなく、ただ応援したいという思いだけで、長いトンネルの中にいるような感覚でした。
その後、進路を決めなければならない時期になり、スクールカウンセラーや神経内科の先生から、「今は学校に行けないのだから、病気で休んでいると考えてはどうか。骨折で入院しているのと同じことですよ」と言われました。
進学しないという選択肢もある、と勧められました。
一方で、中学校からは、定時制や通信制など、何らかの形で所属先を持つことも提案されました。
ただ、そのとき「休んでもいい」と言われたことで、娘も私もはっとしました。
娘が「行きたくない。無理。今行っても何もできない」とはっきり言ってくれたので、高校には進学しないという決断をしました。
その決断は、家族にはすぐには理解されませんでした。「怠けているだけではないか」という見方もあり、兄弟もいる中で、受け入れられるのは簡単ではありませんでした。
けれども、本人はその後、自分で何とかしようともがき続けました。
1年後、単位制の高校を受検しました。まだ朝起きられない状態ではありましたが、友達を作り、自分なりの居場所を少しずつ築いていくことができました。
その学校には、同じような症状の生徒もおり、支えてくれる先生方もたくさんいました。「無理しなくていいよ」と言ってもらえる環境が、本人にとってはとても心地よかったのだと思います。
通えたり通えなかったりを繰り返し、結果として卒業はできませんでしたが、そこで心を取り戻したように感じました。
今でも、その当時の友達や先生方とのつながりが続いています。その後、高卒認定試験を受けて、専門学校に進んだときも、周囲の人たちが変わらず支えてくれました。
起きられなかったり、ちょっとしたことで傷ついて立ち上がれなくなったりしても、そのまま受け止めてくれる人たちがたくさんいたのです。
結局、応援してくれる人を本人が求め、そういう人たちのそばに行くことを自分で選び続けたことが、今、社会の中でいろいろな人と関わりながら生活できている理由なのではないかと思います。
親としては、あまり大したことはできなかったな、という思いもありますが、以上です。
- 伏見
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ありがとうございます。
こんなことを言うのも変ですが、このセッションを組んでおきながら、つらいことを思い出させてしまっているのではないかと、申し訳ない気持ちもあります。
それでも、こうして登壇してくださった勇気に本当に感謝しています。
だからこそ、このセッションをぜひ意味のあるものにしたいと思います。
このあとは、井村さんからお話しいただきます。支援者の立場から、さまざまな課題を抱えている人たちをどのように支援しているのか、現在どのような取組を始めているのかについてお話しいただきます。
- 井村
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では、支援者の立場からお話しします。
今日、午前中に松矢先生から「小学校の前で挨拶をしている人がいる」というお話がありましたので、急きょスライドを差し替えました。これは、先週、小学校の前で挨拶をしているときの写真です。
5月9日から、ボランティアで小学校の前に立ち始めました。あるきっかけがあって始めたのですが、半年くらい経ったころ、子どもたちがふわふわしたものや動物が好きだと分かってきました。それで妻に作ってもらい、今は動物ハンドパペットと一緒に挨拶をしています。
後ほど自己紹介もしますが、西浦さんとは大阪で21年前に出会い、26年前から、ひきこもりの方の就労支援をしています。
基本は就労支援をしているのですが、今は仕事という形ではなく、ボランティアとして小学生に関わっています。
ここに書いてあるように、困っている子どもや保護者を励ますというより、「かたわらで声をかけ続ける」ことを大事にしています。
「ええで、ええで」と。
いろんな若者と現場で関わっていますが、皆さん本当に傷ついています。
勉強ができる・できない、スポーツができる・できないに関わらず、その人の良いところを、学校のものさしだけではなく、社会のものさしや、周りの人たちが「ええで、ええで」と認めていくことが必要だと感じています。
今の世の中、それがまだ十分にできていないと思っています。私はNPOで働いているので、そういうことを実践しています。
支援や教育の話もこの後出てきますが、根本にあるのは、「支援や教育が本人に届くためには、まず良い関係が必要だ」ということです。
今日は、その良い関係をどう届けるか、ということを話題提供としてお話しします。
ちなみに、こちらにあるのは、西浦さんと20年以上前に出会った、当時20代でひきこもりだった方です。先日、西浦さんと奈良へ行ったときに、約15年ぶりに再会しました。就労支援に関わったあと、再びひきこもっていたのですが、2人で会いに行ったら出てきてくれて、久しぶりに話ができました。
その方がくれたのが、仏像のシールで、そこには「ええでええで」と書いてあるんです。
「あのとき井村さんが私に『ええでええで』と言ってくれた。このシールを見たとき井村さんを思い出した」と言って、プレゼントしてくれました。
松矢先生から、「子どもたちは本当に幸せなんだろうか」という問いかけがありました。
これは字が小さいのですが、今年2月の文科省通知による速報値で、児童生徒の自殺者数が527人になったというデータです。
今年も同じ時期に速報値が出ると思いますが、子どもの数は減っているのに、過去最多の子どもたちが亡くなっている状況が続いています。
この数字を見ながらその問いを考えると、とても「幸せだ」とは思えない、というのが正直な実感です。
では、何ができるのか。
これは昨日の写真ですが、私は「複数の良い人間関係を子どもたちや先生に届けること」が大事ではないかと思っています。
「おはよう」と声をかけ、人形を持っていると、人形が「おはよう」と言ってくれるので、もう一声かけることができます。
「今日も学校楽しんでね」と言うと、多くの子は「はい、行ってきます」と返してくれますが、中には「楽しめるわけねえだろう」と言う子もいます。そこから相談が始まるんです。
相談室で行う相談ではない、日常の中の相談です。
言葉にならないメッセージもあります。例えば金曜日になると、本当は平地なのに、まるで登山しているかのような重たい足取りで来る子もいる。そういう非言語のサインも伝わってきます。
また、かつてのタザキさんのように、保護者が付き添って来られる姿も見えます。校門の前に立っていると、本当にいろいろなことが分かってきます。
松矢先生から「本人がどういう希望を果たしたいかを聞いていく」とありました。
また山中先生からは「ビュー」の話もありましたが、学校と一緒に個別支援を本人の声を聴きながら、みんなで子どもたちを育てていくことが大事だと感じ、実践しています。
校長先生が「学習指導要領が半分になればいいのに」とおっしゃっていましたが、私も同じ気持ちです。
現実には難しい。だからこそ、教員ではない立場の人間がどう関われるかが問われています。
西浦さんは「卒業する前に気づいてくれる人がいてほしかった」と言われました。
これは西浦さんだけでなく、多くのひきこもりの方が口にする言葉です。
学校に行けない、あるいは通っていても、机に伏して耐え忍んでいる、教室に入れない――そうした状況があります。
こうした現実と子どもの自死の増加は、無関係ではないと私は思っています。
だからこそ、「よりよい未来を残すために、一人ひとりが何ができるか」を考え、私は朝、校門の前に立っています。
今後、皆さんと建設的な議論ができればと思います。
この会場の受付の横に展示してありますが、ここに来られなかった不登校経験のある高校生が協力してくれて、自分のライフチャートを「皆さんに伝えてください」と預けてくれました。
抄録に掲載されているイラストも、その一人が描いてくれたものです。
一番つらかった不登校の時期を表現してほしいとお願いしたところ、左側のイラストを描いてくれました。
女性で、自分のことを「僕」と呼ぶ高校生です。
左の肩に傷が描かれています。これはどういう状態なのかと聞くと、「誰にも話を聞いてもらえない。親も厳しい。自傷に頼ることしかできない、そんな自分だ」と話してくれました。
どうでしょう。僕はその話を聞いて絶望的な気持ちになり、自分がどのような支援をしていいか分からなくなりました。そこで、「そのとき、どんな人がいたらよかったの?」と聞き、イラストにしてもらったのが右側です。
ハートを持っている人がいます。「すべての自分を受け入れてくれる人」「心の安らぐ人」「みんながみんな同じじゃないけど、君は決してひとりではないよ」――そういう存在です。
僕は、朝の挨拶をするとき、そういうつもりで立っています。
これはその高校生が書いたライフチャートです。小学校2年のとき、信じていた友達に仲間外れにされ、テストで80点を取ったのに父親からビンタされ、ストレスが限界に達して、うつ病と診断された。でも、今はやりたいことが見つかった、と書いてあります。
ヤマダさんの話にもありましたが、若者に関わっていると、学力よりも大事なものがあると感じます。それは健康です。
伏見先生が冒頭で、「学校に行くだけが目標じゃない」とおっしゃっていましたが、現状では学力以外の目標が十分に設定されていないように思います。
子どもたちの健康度をどう上げるか。もし分かる先生がいらっしゃったら、ぜひ教えていただきたい。なぜなら、子どもたちが自ら命を絶ってしまっているからです。
報道で発表されているのは、亡くなった人の数です。救急救命の現場にいる方ならご存じだと思いますが、毎日のように自殺を図った高校生や大学生が運ばれています。
なぜ僕がそれを知っているかというと、「医療だけでは足りないから一緒にやってほしい」と、多くの医療関係者から言われているからです。
実際、ライフチャートの作成には20人ほどが協力してくれました。そのうち半分が、「小学生のときに自殺を考えたことがある」と教えてくれました。僕は26年間この仕事をしていますが、その現実を十分に分かっていませんでした。
文科省の「誰一人取り残さない学びの保障」には、学びの保障についてしっかり書かれています。ただ、それだけでは十分ではないのではないか、と感じています。批判しているわけではありません。
展示もされていますが、ヤマダさんが不登校だった当時、「どういう人がいたらよかったか」をもとにキャラクターを作ってくれました。それが「おばけのふたくん」です。ぜひ休憩時間にお手元で見ていただきたいと思います。
そこには、「明日来るのが怖いので、夜一緒にいてくれる人がほしかった」と書かれていました。
僕はこれまで、ひきこもりや不登校の支援をしてきましたが、このイラストを見たとき、夜に支援できる人が、行政を含めてどれだけいるのだろうかと考えさせられました。
午前中の講義にもありましたが、私たちがしなければならないのは、大人からの押しつけの支援ではなく、子どもの声を聞きながら行う支援です。
子どもたちの声を教えてもらう中で、「できていないことがたくさんある」と思い知らされました。
そこで、子どもたちと仲良くなる大人を学校の中に増やそうと考えました。まず始めたのが、小学校での活動です。これは2年前ですが、草が伸び放題になっていたビオトープがあり、「草むしりをさせてください」と校長先生にお願いしました。
草むしりをしていると、登校してきた子どもたちが話しかけてくれます。そうやって少しずつ関係ができていく。それを毎日続けました。
すると、学校の中に子どもたちの応援者が増えていき、子どもたちも先生も少しずつ楽になっていきました。
「小ボラ」と呼んでいますが、小学校で活動するボランティアを地域で募り始めました。先生方は、運動会のテント張りも始発で来て行っています。本来、先生でなくてもできる仕事があります。そうした作業を地域に出したところ、月に100人ほどのボランティアが来てくれるようになりました。
もう少しスライドがありましたが、時間を超過しているので、ここで終わります。お話を聞いてくださって、ありがとうございました。
- 伏見
-
ありがとうございます。
ここからは、パネルディスカッションの形で進めていく予定です。
私はコーディネーターという役割が一番苦手でして……。特性もあり、人の話を聞くと、その内容が頭の中で渦巻いてしまい、次の話を聞きそびれてしまうことがあります。人の話を聞きながらメモを取ることもできないので、ここからは、みんなで自由にしゃべっていく形にしたいと思っています。
特に井村さん、助けてください。
- 井村
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30分ほど私たちで話をして、その後、フロアの皆さんともお話しできればと思います。
- 伏見
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とはいえ、最初は話題を振らないといけませんので、皆さんに、不登校やひきこもりの時期に「こういう人がいてほしかった」「こういう支援がほしかった」ということを、お一人ずつお話しいただければと思います。
- ヤマダ
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私が不登校だったときにほしかった支援についてお話しします。
先ほど井村さんが映してくださっていた、オバケのキャラクターを描いたのは私です。当時の私は、いちばん怖かったのが「朝」でした。
どれだけ夜中、長く起きていられるかという、耐久レースのようなことを毎日やっていました。そんなときにほしかったのは、夜にそばにいてくれる人です。
話を聞いてくれる、頷いてくれる、反応してくれる――そういうことではなく、本当に、ただ黙って隣に座っていてくれるだけでよかった。誰かがいてくれたらいい、当時はそう思っていました。
このキャラクターをどういうコンセプトで描いたのかというと、「とにかく夜そばにいてくれる存在がほしい」という思いからです。夜ということで、まずオバケのイラストを描こうと思いました。
描くにあたって、口はあえて描きませんでした。しゃべってほしいわけではなかったからです。
月のポシェットは、「夜のオバケですよ」という象徴です。同時に、ただのオバケだと商標などに引っかかると困るので、特徴としてポシェットをつけました。
また、オバケなのに足を生やしています。
足がないと、座っていることが分かりづらいと思ったからです。ちゃんと隣に座っている存在だと伝わるように、あえて足をつけました。イラストとしての便宜でもあります。
これが、このオバケが生まれたきっかけです。
- 井村
-
これ、3時間くらいで描いてくれたんです。
「おばけのふたくん」は、ヤマダさんとの約束で版権フリーにしています。教育委員会などで使いたい場合は、ぜひ使ってください。大歓迎です。
- 西浦
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いてほしかった人、という意味では――
一緒に食事をするとか、お酒を飲むとか、そういうことを共にできる人が一人いるだけでよかったと思います。
24時間ずっと下を向いているような生活が長く続いていました。父親との折り合いも悪く、息苦しい状況だったので、そこから少しガス抜きをしてくれる人が一人いれば、もっと楽になったのかなと思います。
- 伏見
-
タザキさん、いかがですか。娘さんにとってでもいいですし、ご自身のことでも構いません。
- タザキ
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娘はアイドルが好きで、当時SNSでつながった方が、ずいぶん長い間娘を支えてくれていました。娘は決して一人ぼっちではなかったんです。
夜中にアイドルの話をする――それだけのことが、たぶんとても大事だったのだと思います。
一方で、私自身は、娘が不登校で家にいること、高校に行っていないことを、周囲に言えませんでした。
親として批判されている、責められているように感じていたからです。
もう少し打ち明けて、同じように苦しんでいる人と、「今は子どもを信じて待ってみようね」と話ができていたら、どれだけ気持ちが楽だっただろうと思います。
- 伏見
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実際に、何か声をかけてくださった方はいましたか。
- タザキ
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親なら、なんとしても学校に連れて行くべきだ、努力すべきだ、と一生懸命言ってくださる方はいました。
娘の学校は教育熱心なお母様が多く、中学受験を経験された方も多かったので、「ここで負けてはいけない」という空気もありました。
親として評価されている、という感覚も強く、それがかえって、常に競争にさらされているようで……。娘も申し訳なさを感じていたのではないかと思います。
- 伏見
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保護者の方も、お子さんが不登校になると、1割強の方が離職したり、職を変えたりしています。
家族で抱え込まざるを得ない状況があり、本来なら社会全体で支えるべきところが、逆に「何もしていない」と攻撃されてしまう。保護者も追い詰められていく現実があります。
- 井村
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今日のプログラムのテーマは「不登校の理解と支援」です。
不登校といっても本当に三者三様で、何をどうすればいいか、この場で結論を出そうとは思っていません。
ただ、ここでの話を聞きながら、「理解と支援」について考えていただきたい。
伏見先生がおっしゃっていたように、まず理解すること自体が支援になる――その点について、ぜひお話しいただければと思います。
- 伏見
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1年前に松矢先生から「不登校のセッションをやってほしい」と言われたことがきっかけでした。そこから井村さんと出会い、話を聞き、今日の皆さんともオンラインで話をする中で、私自身の認識が大きく変わっていきました。
「ああ、自分は全然知らなかったんだ」と気づいたんです。
どこかで社会からドロップアウトしてしまった人たち、という印象を持っていましたが、そうではなかった。
今の子どもたちには、正解主義や同調圧力がとても強くあります。
中教審でも言われていますが、「こうでなくてはいけない」という枠に強く縛られている。これは学校の先生たちも同じです。
そこから少し外れてしまうと、排除されてしまうような構造が、現場に生まれてしまっている。
もちろん、先生たちは排除したいわけではありません。本当に一生懸命、子どもたちのことを見て、何とかしてあげたいと思っています。
しかし、やらなければならないことがあまりにも多すぎる。
少しでも苦しい子に手を差し伸べようとすると、自分がつぶれてしまう――そんな現場の状況があります。
少なくとも東京では通級がすべての学校で受けられるようになり、「まず通級で受け入れてもらえませんか」という話になりがちです。
そうせざるを得ない構造の中で、本人の問題というより、社会や学校の側の問題として生み出されてしまっている部分があるのではないか。
この1年間で、それが本当にそうなのだと実感しました。
本人が感じていることを理解すること――それが支援の出発点なのだと思います。
今、私が考えているのは、かなりネガティブな感情が出てくるテーマではあるけれど、それを一生抱え続ける問題として終わらせるのではなく、ポジティブに転換できないだろうか、ということです。
こんなことを言うと怒られるかもしれませんが、貴重な経験をした人として、その人の発言はとても重みを持っています。
その経験を社会にとって意味のあるものに変えていけないだろうか――それが、今の私の関心事です。
- 井村
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ありがとうございます。伏見先生は「不登校のことは分かりません」と言いながら、どんどん理解を深めてくださったのではないかと思います。今日のセッションに込めた思いは、皆さんと分かち合いたいということです。
このあと、会場にご参加の皆さんからも意見をお聞きし、共に考えてみたいと思います。ヤマダさんや西浦さん、タザキさんのお話は、きっと皆さんの胸にも届いたのではないでしょうか。時間は限られていますが、「お二人に聞いてみたいこと」や、ご意見でなくてもご感想でも構いません。よろしければ、マイクがありますのでお話しください。そうすると伏見先生の進行も楽になると思うのですが、いかがでしょう。
- 伏見
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お名前とご所属を、よろしければお願いいたします。
- 会場
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都内の小学校で、本年度から東京都の巡回教員として勤務しています。
- 井村
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学校の先生はなかなか外に出られないのですが、東京都の制度で外に出られるんですね。そのあたりをご説明いただけますか。
- 会場
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現在、杉並区では不登校対応教員が1人配置されており、5校を巡回しています。各校を月曜日から金曜日に回りながら、拠点校と巡回担当校を持ち、主に校内委員会等を通じて、不登校の未然防止や早期支援、具体的な対応の進め方の検討を行っています。また、校内教育支援センターの運営のお手伝いなどもサポートしています。
本日は、私たちの想像以上に、つらく悲しいお話を聞かせていただき、ありがとうございました。私自身、4月から巡回支援をしていますが、1人で動いているわけではなく、伴走者として一緒に仕事をしている方がいます。その方から最初に教えていただいたのが、「居場所は場所ではなく人です」という言葉でした。
先ほど井村さんからもあったように、支援は学校内だけでなく外部の専門家の方々とも連携し、本人やご家族も含めて、みんなでどうしていくかを考えていくものだと、今日のお話を聞きながら改めて感じていました。
それを踏まえてお聞きしたいのですが、タザキさんのお話の中で、お医者さまから「お休みしてみるのはどうかな」という言葉があったと思います。ヤマダさんと西浦さんに伺いたいのですが、タザキさんのお子さんのように、ターニングポイント――この人がいたから、この言葉があったから、一歩前に進めたという経験があれば、可能な範囲で教えていただけますか。
- ヤマダ
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まず、私からお話しします。私の場合、大きなきっかけがあったわけではなく、小さなターニングポイントが、人との出会いの中にいくつもありました。
最初は母です。私の不登校に対して何も言わず、「そうか」と受け止めてくれた最初の人でした。
その母が「一度病院に行ってみようか」と言って、よい先生を見つけてくれました。地元のクリニックの先生で、とても親身に話を聞いてくださいました。
三つ目は個人ではありませんが、地域のフリースクールに一時期通っていて、そこで出会った所長さんや、小学生から高校生までの幅広い仲間たちに心を支えられました。
また、卒業間際に週1回の別室登校をしていた時期があり、そこで出会った先生や、同じ別室登校の先輩たち――そうした一つ一つの出会いが、私の心を支えてくれました。
「居場所は場所ではなく人である」というのは、本当にそのとおりだと思います。不登校や苦しんでいる生徒に寄り添おうとしている気持ちは、当事者にはとても敏感に伝わります。ですから、ぜひその姿勢を大切にしていただきたいと思います。
- 西浦
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私の場合は、間違いなく井村さんが恩人です。父親と完全に折り合いが悪くなり、母親も元中学校教師だったこともあって、なかなか本音を話せませんでした。
30歳になったばかりのころ、井村さんを紹介され、「こういう場所があるから見てみる?」と母が資料を持ってきたのがきっかけでした。そこから井村さんと関わりを持つようになり、外に出られるようになったという経緯があります。
医師から自閉症の傾向があると言われ、最終的に診断がついたことで、35歳のときに人生が大きく変わりました。そういう背景があります。
- 会場
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ちょうど今、小学校5年生から不登校になったお子さんの保護者の方と面談をしているところです。お二人ともご家族のお話が出ていたので、今日のお話をその保護者の方にもお伝えし、少しでも安心していただけるようにしたいと思います。ありがとうございました。
- 井村
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私の発表タイトルに、「困っている子どもや保護者を励ましたり指導したりするのではなく、まずは『ええでええで』と傍らで声をかけ続ける」とありますが、これはタザキさんから教えていただいた言葉なんです。
朝、校門の前に立っていると、登校しぶりをしている子どもを保護者が連れてくる光景があります。どの学校でも見られる場面です。支援者として、どう声をかけていいのか悩んでいました。声をかければ「嫌だ」と言われるし、毎日立っていると上下関係のようなものができてしまうのも違う気がする。どうしたらいいのか分からなくて相談したんです。その続きをお願いします。
- タザキ
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そういう場面では、保護者の状況は本当にさまざだと思います。「絶対に連れて行く」という強い信念で来ている方もいれば、半ば諦めモードの方、忙しい仕事の合間に仕方なく来ている方もいます。
どんな方にも共通するのは、「いつか井村さんのような人と話せるようになりたい。でも今はそのタイミングじゃないから、そっとしておいてほしい。笑顔を見せてくれるだけでいい」という感覚だと思います、とお話ししました。
- 井村
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今は、保護者の方に積極的に声掛けはしていません。8時25分になると学校の校門が閉まるのですが、25分から45分まで、時間に余裕があるときは重い門を開けているんです。
学校の門は本当に重いんですよ。代わりに開けてくれる人がいるだけでも、気持ちが伝わるのではないかと思っているのですが、どうでしょうか。
- タザキ
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とても助かると思います。
- 井村
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ほかの方、いかがですか?
ヤマダさんが卒業された通信制高校の先生が、今日は応援に来てくださっています。
- 会場
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通信制の学校で教員をしています。
ヤマダさんに2つ、聞きたいことがあります。
高校3年生から関わらせていただきましたが、小・中・高校、そして今大学と進む中で、ご自身として何が違ったと感じているのか、これが1つ目です。
もう1つは、不登校を経験して今大学に通っておられますが、一般的に見ると、少し遠回りして進んでいるように見えるかもしれません。ただ、私はヤマダさんと3年間関わる中で、そうはあまり感じませんでした。むしろ、全日制の生徒たちを追い抜くような力を発揮していた印象があります。
不登校を経験してよかったと思いますか、ということをお聞きしたいです。
それから、サッカーの例えが出ていましたが、そこには強制力のようなものがあるのでしょうか。
- ヤマダ
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学校の雰囲気は、だいぶ違いましたね。
小・中は全日制で、高校は通信制を選びました。
理由としては、小・中は40人とか30人とか、みんなが平等に育つように設計されていますよね。多くの子どもに教育の機会を与える仕組みだと思いますが、私は逆にそれが合いませんでした。
通信制はごく少人数で、ある意味個別指導が可能ですし、時間割もぎっしり詰まっていなくて、ところどころ空き時間があります。その時間に自分の好きなことができる環境がありました。
大きな違いは、自分の心に余裕があるかどうかだと思います。
私は音楽やイラスト、デザインなどが好きなのですが、そうしたことにとことん向き合える時間が高校でできました。それまでボロボロだった心が、その時間の中で少しずつ回復していった感覚があります。
それが大学進学という進路決定にも大きく影響しました。
不登校を経験してよかったかどうかについては、「良い」「悪い」とはとても言えません。
ただ一つ言えるのは、不登校だったことを後悔したことは一度もない、ということです。
メリットをあえて挙げるなら、自分を見つめ直す時間がとても多かったことです。
中学で不登校だったころは、スマホゲームを7~8個掛け持ちして、ひたすら周回して、ご飯を食べてゲームをして寝て、起きてまたゲーム、という生活を送っていました。
でも、そんなふうに没頭した中で気づいたことがありました。自分はこういう「没頭できる世界」が好きなんだ、イラストが好きなこととも共通しているんだ、といった自己理解につながっていったんです。
ある程度やり尽くすと、ある日ふっと「もう大丈夫だ」と思えて、ゲームをやめてイラストに没頭したり、突然アルバイトを始めたり、ボランティアをしてみたりしました。
自分を模索する時間は、本当に大事だったと思います。
あの時間があったからこそ、進路に悩んだときに、「これは嫌だ」「これは自分にとって苦じゃない」といった指針をいくつも持つことができました。ですので後悔はまったくしていません。
あのときは苦しかったけれど、楽しかった面も確かにあって、人生の糧になったと感じています。
それから、先生はサッカーの大ファンですよね。
サッカーは例えとして出したのですが、言いたかったのは同調圧力のことです。
通信制には、それがほとんどありませんでした。個人がそれぞれ自由に勉強し、残りの時間も自由に使っていい。自分探しをしてもいいし、アルバイトでもいい。もっと勉強したい人はそうすればいい。
個人個人が自由で、お互いに無理に合わせたり、ぶつかり合ったりすることもない。
同調圧力がなかったからこそ、のびのびと自分を見つめ直すことができたのだと思います。
そういう意味では、先生に出会えたことも含めて、本当によかったと思っています。
今までの人生で一番幸せな時間はいつかと聞かれたら、高校生活はかなり上位に入りますね。
- 会場
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障害者の就労支援機関に勤務しています。
タザキ様にぜひ助言をいただきたいのですが、来週、特別支援学校3年生の方との面談を予定しています。
目的はアセスメントのための最初の面談です。その方は3年生のころから不登校になり、私はその学校に月1回訪問しているのですが、ご本人とは面識がありません。起立性調節障害もお持ちです。面談にはお母様も同席されます。
タザキ様のご経験から、もし自分が面接を受ける立場だったら、どのような面接官であってほしいか、あるいは私がどのような点に注意したらよいか、助言をいただけませんでしょうか。
- タザキ
-
その方のことを直接は存じ上げないので、難しいのですが……。
面接というのは、進路を決めるための面接なのでしょうか?
- 会場
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アセスメントを取るための、いわゆるインテイク面談です。最初に、その方がどのような状況にあるのかを把握するためのものです。
とても心配されていると思うので、まずは関係づくりを目的にしています。自己紹介に近いかもしれません。
1回目は12月上旬に予定していたのですが、ご本人が難しいということでお断りがあり、来週、ようやく「会ってもいい」と言ってくださった段階です。
不安にならないように、まずは顔合わせという位置づけです。
- タザキ
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私に分かるかどうか不安ですが……。
娘が「学校のスクールカウンセラーさんのところに行く」と言ってくれたときのことを思い出します。
本当は学校に行きたいという思いが、本人の中にあったのだと思います。それで何度かカウンセラーさんのところに通いました。
そのときは、アドバイスや助言というより、娘の興味のあることを聞いてくれたり、娘自身がどうしたいのかを丁寧に聞いてくれる時間だったように思います。
「こうしたほうがいいよ」というようなことは、特に言われなかったですね。
- 会場
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ご本人の興味のあることを中心に、ということですね。
- タザキ
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当時はちょうど3月で、学校からは進路を決めるようにと言われていました。
そのことをどう思っているかを、スクールカウンセラーの先生が尋ねてくれました。
学校としては、3月には卒業させなければならないので、何らかの所属先を決めましょうという流れになりますよね。
そのとき、先生から私も娘も責められているような気持ちになっている、とカウンセラーさんに伝えた記憶があります。
そのやり取りがあったからこそ、「休んでも大丈夫だよ」と言ってもらえたのだと思います。
- 井村
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今、タザキさんの経験を専門家の方に伝える、ということがこの会場で起きています。こういうことが日本中で起きるといいなと思います。
あとお一人、時間が残り10分くらいなので、コンパクトにお願いします。
最後は伏見先生にお返しします。
- 会場
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貴重なお話、ありがとうございます。市町村の障害者支援センターで就労支援員をしています。2点ほど伺います。
1点目は、皆さんにお答えいただけるか分かりませんが、同じ障害のある方の支援をしている関係で、不登校を経験された方や、現在ひきこもり傾向がある方も支援対象としています。
さまざまな経緯から不登校になってしまい、中には学校の前を通るとフラッシュバックでつらくなってしまう方もいます。しかし、ほかの支援員からは「なぜそんなことが起こるのか分からない」と言われることがあります。私自身、学生のころにつらい経験をしているので、その気持ちは理解できます。
「寄り添う」というより、「分かる、なるほど」と感じられるのですが、まったく経験していない方――例えば骨折したことのない人にはその痛みが分からないのと同じで――そういう方に、どう伝えれば理解してもらえるのか、寄り添えるようになるのか、というのが1点目です。
もう1点は、支援の現場では、本人や親御さんが非常に焦っていることです。周りの人は働いているのに、うちの子は働いていない、と。
こちらとしては、焦ることで病状が悪化したり、成功体験が積み重ならないことで、よりひきこもり傾向が強くなるのではないかと考え、「焦らず、人それぞれに時の流れや歩み方がある。ほかの人と同じ速度で歩む必要はない」とお伝えしていますが、なかなか伝わらない部分があります。
こうした場合、支援者としてどのように伝えていけばよいのか、皆様のお考えを伺えればと思います。
- 井村
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まさにテーマにふさわしい内容です。この中で支援者は僕なので、お答えします。
「気持ちが分からない人」という話がありましたが、実は僕もよく分からないんです。経験がないので。
僕自身が支援者として心がけているのは、そういう人と出会うと、最初はビックリするし、否定したくなるんですね。自分の常識と比べてしまうからです。
だからこそ、否定したくなる人の話ほど丁寧に聞く。分からないことは、むしろいい支援者になるチャンスなんじゃないか、と伝えていただければと思います。
焦っている人にどう向き合うかについては、最後に一言ずつアドバイスをいただいて、伏見先生に締めていただきましょう。
- タザキ
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私はすごく焦っていました。でも、焦っても何も変わらなかった。それが本当のところです。
何も変わらない現状を受け取るしかなかった。焦ることにも限界があって、ズルズルとそれを受け取ったまま、走り続ける感じでした。
親も一緒にひきこもる、というのが正解のような気がします。
- 井村
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情報収集はされましたか。
- タザキ
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ものすごく調べました。病院も調べたし、「起きられない」って何なのか、とにかく知りたくて。
- 井村
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タザキさんのおっしゃった「理解」という言葉が、すごくポイントですね。
- 西浦
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私の場合は、障害に気づいてもらえなかったという大きな出来事がありました。
でも、障害者という土俵に上がれば、今は支援策がそろっています。本人が望む希望を聞き出せれば、何とかなるというのが現状だと思います。
- ヤマダ
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私も進路決定のとき、周りでは受験という言葉が多く出ていて、「みんな受験を考えているんだな」と感じていました。
今思えば、その後、焦って限界がきて、いったん休憩ゾーンに入ったんです。でも、その後に復帰できたので、焦る必要はないと思っています。
永遠に休憩するのも苦しいんです。やることがないという状態は、最初はいいかもしれませんが、長く続くとやっぱり苦しくなる。
あるときふと、「何かしたいな」と思うタイミングが、いずれどこかでやってきます。
それをのんびり待つのもいいのではないかな、と私は思っています。
- 井村
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西浦さんは、ずっとひきこもっていたご経験がありますが、「永遠の休憩は苦しくなる」というのは、やはりそうですか。
- 西浦
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トンネルの先に光が見えない状況が、いかに苦しいかということです。
- 井村
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光になるようなことがあると、やはり嬉しいですか。
- 西浦
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ちょっと先導してくれる人がいれば、何とかなるんじゃないかと思います。
- 井村
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その人が指導的すぎず、圧力をかけてこないことがポイントですね。
- 伏見
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最初の、「分からない人にどうやって分からせるか」という点ですが、私も正直、分かりません。
私自身もコミュニケーションが苦手で友達がいませんでしたし、発達障害のある人の感覚のほうが分かることもあります。大人は本音と建前を使い分けるので分からないこともあります。
焦っている人に「焦るな」と言っても無理です。むしろ、「あなたは焦っているんですね」と共感することが第一だと思います。
お子さんを責めてしまう保護者も、学校に行かないことを責める周囲の人たちも、実は追い込まれている人たちなのだ、という理解からスタートすること。
この問題は、社会が作り出してしまっている問題でもあると思います。みんなで解決していくためには、それぞれの弱さのようなものに共感していくことが出発点ではないでしょうか。
先ほども話しましたが、ヤマダさんは今、かなりポジティブな段階にいますが、多くの人は経験を引きずります。社会に出ても、「自分は不登校だった」「またどこかで逃げ出してしまうかもしれない」と感じ続ける。
その抱えているものを転換していくことが必要です。「そんなことはない、あなたは貴重な経験をしていて、あなたにしか語れないことがある」と価値づけしていくことが、私たちにできることではないかと考えています。
それはおそらく学校だけではできません。井村さんのように学校に入っていき、部屋を借りて、たまり場を作ってしまうような――そこまでいかなくても、学校と一緒にできるムーブメントとして起こしていければと思います。
- 井村
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ちなみに、校門前の挨拶は誰でもできます。
- 伏見
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ただ、最初に警察を呼ばれてしまうこともあるようですね。
「不登校の理解と支援」を、これで終わります。どうもありがとうございました。