医療的ケアが必要な人たちの意思決定支援の取り組み―本人中心の支援を実現するために―
「新ノーマライゼーション」2026年2月号
社会福祉法人愛恵会相談支援事業所こだま(松阪市障がい児・者総合相談センター マーベル) 管理者
島ゆう子(しま こ)
1. はじめに
2022年、障害者権利委員会は日本政府に対し、「代行決定から支援付き意思決定への転換」を求める勧告を行いました。この勧告は、医療的ケアが必要な方々を含むすべての障がいのある人に対し、意思決定能力があることを推定し、本人の意思を最大限尊重する支援の重要性を示すものです。厚生労働省が平成29年に策定した「障害福祉サービス等の提供に係る意思決定支援ガイドライン」では、意思決定支援を「意思形成支援」「意思表出支援」「意思実現支援」の三段階で捉え、それでもなお本人の意思確認が困難な場合には「意思推定」を行い、最終的に「代行決定」に至る場合でも、本人にとっての最善の利益を多職種で検討することを求めています。本稿では、当センターにおける医療的ケア児・者への意思決定支援の取り組みを紹介します。
2. 事業所の概要
相談支援事業所こだまは、松阪市から委託を受けて「松阪市障がい児・者総合相談センター マーベル」として、障がいのある方が地域で安心して生活できるよう医療、保健、福祉、教育、就労等の関係機関と連携しながら、包括的な相談支援を行っています。
3. Hさんのケース
Hさんは30代の男性で、海外旅行中の事故により遷延性意識障害となり、気管切開、胃ろう、夜間の人工呼吸器装着、頻回の喀痰吸引が必要な状態となりました。ご家族は「自宅で看たい」という強い希望を持たれていました。遷延性意識障害のため本人の意思確認が困難な状況において、まず家族の意向を丁寧に聴取しました。訪問診療、訪問看護、訪問リハビリ、生活介護事業所、ヘルパー事業所等との会議を重ね、「ベストインタレスト」の視点から自宅退院を決定しました。この過程では、Hさんの過去の生活史、友人関係、価値観などの情報を収集し、「本人がもし意思表明できたとすれば、どのような生活を望むか」を推定しながら支援体制を構築しました。
在宅生活開始から半年後、訪問看護師やヘルパーが日常のケアの中で、Hさんが歯ぎしりでサインを出していることを発見しました。これは、小さなサインを見逃さない姿勢が生んだ、意思表出の扉を開く瞬間でした。その後、Hさんは顔の一部を動かすことでYES、NOを表出するようになりました。サインの出し方は日々変化するため、家族を含めた支援者全員が細かく情報を共有し、本人の意思表出を継続して支えました。
顔の動きでYES、NOを表出できるようになったHさんは、「どこで生活したいか」という重要な問いにも向き合うことになりました。支援者たちは、施設入所と自宅生活という二つの選択肢を丁寧に説明し、それぞれのメリット・デメリットを情報提供しました。Hさんは、施設入所の提案に対して明確な「NO」のサインを示し、自宅での生活を選択されました。その後、音楽活動を行う生活介護事業所を選び、現在も在宅生活を継続されています。
Hさんの意思表出を支えたのは、訪問看護師やヘルパーとの日々の関わりの中で築かれた信頼関係でした。「この人に伝えたい」という本人の思いが、意思表出の大きな動機となります。支援者が本人の小さなサインを丁寧に受け止め続けることで、本人は「伝えれば伝わる」という実感を積み重ね、意思表出への意欲が高まっていきました。
4. 幼少期からの意思形成支援の重要性
医療的ケアが必要な子どもたちにとって、幼少期から意思形成の機会を積み上げることが極めて重要です。自分の出すサインが周囲に伝わる喜びの経験を重ねることで、「自分の意思を表現してもよい」という自己肯定感が育まれます。日常生活の中での「これが好き」「これは嫌」という小さな選択の場面を大切にし、本人の反応を丁寧に観察し、言語化して返していくことが、意思形成支援の第一歩となります。視線の動き、表情の変化、身体の動き、呼吸のリズムなど、一人ひとり異なるサインを見逃さず、「あなたの気持ちは伝わっているよ」というメッセージを返し続けることが、将来の意思決定能力の基盤を育てます。意思表出には、「この人には話したい」という信頼関係が何よりも重要なポイントとなります。
5. 利用者と支援者の変化
Hさんのご家族は、「本人の意思を確認しながら支援を受けられることで、本人が望む生活に近づいている実感がある」と話されています。また、「小さなサインも大切にしてもらえる安心感がある」との声もいただきました。特に、施設入所か自宅かという人生の重要な選択を本人自身が行えたことは、ご家族にとっても大きな喜びでした。支援者たちは、「可能性を信じて関わり続けることの大切さ」を実感しています。訪問看護師やヘルパーが日常のケアの中で発見した小さなサインが、本人の意思表出につながった経験は、支援者全体の意識を大きく変えました。
6. 意思決定支援の効果
厚生労働省が令和6年度に実施した調査では、意思決定支援に取り組むことで多くの効果が報告されています。「職員が利用者のことをより深く理解することにつながった」が51.3%、「利用者の生活意欲が高まった」が41.7%、「支援方法の工夫が広がった」が37.0%、「利用者の表情やコミュニケーションが増えた」が35.0%となっています。このデータは、意思決定支援が利用者本人だけでなく、支援者の質的向上にも寄与することを示しています。
7. 現状と新たな課題
当センターでは一定の成果を上げていますが、新たな課題も見えてきています。医療的ケアが必要な方々の意思表出手段は極めて個別性が高く、一人ひとりに適した方法を見出す必要があります。視線入力装置、スイッチ類、音声出力装置など、多様な手段を組み合わせた支援が求められます。また、医療的ケア児の家族は日常生活における身体的・心理的負担が大きく、将来への不安も抱えています。意思決定支援を進める上で、家族支援の充実が不可欠です。さらに、意思決定支援には高度な専門性が求められ、継続的な研修体制の構築が必要です。
8. 今後の展開
今後、三つの方向性に基づいて意思決定支援の充実を図っていきます。第一に、医療、福祉、教育、就労など多分野にわたる関係機関との連携を強化し、地域全体で意思決定支援を支える体制を構築します。第二に、視線入力装置やコミュニケーション支援機器などのICT技術を積極的に活用し、一人ひとりに合った意思表出手段を開発・提供します。第三に、家族の心理的負担を軽減するため、レスパイトケアの充実、ピアサポートの推進、権利擁護機関との連携を強化します。
9. おわりに
「すべての人は意思決定能力がある」という推定のもと、医療的ケアが必要な方々一人ひとりの可能性を信じ、継続的に関わり続けることが、意思決定支援の根幹です。訪問看護師やヘルパーが日常のケアの中で発見した小さなサインが、本人の意思表出の扉を開く――Hさんのケースは、私たちにその大切さを教えてくれました。幼少期から意思形成の機会を重ね、「伝わる喜び」を経験し、「この人には話したい」という信頼関係を築くこと。それが、本人中心の意思決定支援を実現する鍵です。多職種協働と本人中心の支援体制を基盤に、これからも一人ひとりの意思を最大限尊重した支援を追求していきます。