ひと~マイライフ-希少疾患マッキューン・オルブライト症候群とともに過ごす

「新ノーマライゼーション」2026年2月号

海道志保(かいどうしほ)

社会福祉士として、地域福祉を推進する仕事に従事。難病・希少疾患の当事者として、同じ病気の仲間がつながれるように患者会を立ち上げた。現在は、難病連やRDD活動、日本難病・疾病団体協議会(JPA)などの活動にも参加し、「だれもが生きやすい社会」をめざして取り組んでいる。当事者語りの研究会~悠久~理事。

マッキューン・オルブライト症候群(MAS)をご存じでしょうか。私がMASの確定診断を受けた時、当時の主治医は「教科書でしか見たことない」とのことでした。調査報告書によると、日本の患者数は約300人。「骨・皮膚・内分泌」に発症し、種類や程度は人それぞれ、根本治療はありません。「骨」は顔・頭・手足の骨が変形や骨折しやすく、「皮膚」は茶色のアザができ、「内分泌」ではさまざまな症状が出ます。

日々過ごす中で3つ困りごとがあります。1.「症状」が全身が発症対象であり、内容も多岐にわたること。2.「通院」は通院先が多く、病院間の調整や専門医と巡り合いづらいこと。3.「生活全般」で病気の実態・範囲が不明で、根本治療がなく、終わりがないこと。これらは、希少疾患ゆえの困りごとなのかとも思っています。

5歳の時、おでこにたんこぶのようなものができたことを機に、頭と顔の骨が変形する病気と判明しました。体の成長とともに、定期的に骨を削る必要があり、24歳までに8回の手術を重ねてきました。18歳頃、甲状腺の病気と骨が折れやすいことも判明し、骨折も度々していました。

そして、25歳の時、難病の脳腫瘍とMAS、2つの病気が同時に判明しました。MASと診断されて初めて、これまでさまざまな病気を発症した理由が分かりました。生まれつきの疾患でありながら、確定診断までに20年以上。なぜ早期発見・早期予防できなかったのか、MASの認知度の低さに憤りと悔しさを覚えました。確定診断を機に、他にも次々と新たな病気が判明し、「次はどういった病気が発症するのか。どうしてほかの人と同じではないのか」不安が次から次へと押し寄せてきました。何よりも、同じMAS患者の方がいなく、情報もほとんどないことで、孤独を感じていました。

約1年ふさぎ込む中で、「しんどいのであれば自分で状況を変えて、悩みを共有できる相手を探していこう」「家族らとも違う、同じ病気を持つ人同士だからこそ分かち合えることがある」「同じように悩む人を少しでも減らしたい」との思いが強くなり、患者会の結成を決意。初めて、同じ患者の方と出会えた時、本当に存在するんだと感動でいっぱいでした。

27歳の時、1.ピアサポート2.病気を取り巻く環境をよくすることを目的に、多くの方に協力いただきながら、患者会を立ち上げました。立ち上げを通じ、最初は一人では何もできなかったことが、仲間が増えることで広がっていきました。会のメンバーからは「病気と向き合えるようになった」「自分を認められるようになった」と、お互いの存在が支えにつながりました。また、MASの情報量が増加し、支援者も増え、専門医とのつながりも少しずつでき、病気を取り巻く環境が変化してきました。どんな状況であっても、行動に移すことで生活や環境は変えていけることを実感しました。患者会としては、まだまだこれからではありますが、仲間とともに一歩ずつ進めていきたいです。

MASは、進行性の症状や今後も新たな発症の可能性があります。だからこそ、今できることに全力で取り組んでいきたいです。そして、希少疾患ゆえの辛く悔しい経験を通じ、個々の疾患の抱える課題は希少疾患全体に共通する課題でもあると思い、希少疾患を取り巻く環境も少しずつでも変えていきたいです。

家族や友人、仲間、職場をはじめとする多くの支えがあるからこそ、今の私がいます。感謝の限りです。これからは、私が誰かの支えになっていきたいです。