ひと~マイライフ-自分の歩みを振り返って
「新ノーマライゼーション」2026年3月号
草次祐衣(くさつぐゆい)
2001年愛知県岡崎市生まれ、東京都在住。聴覚障害があり、学生時代のほとんどを聾学校で過ごす。筑波技術大学卒業後、毎日新聞社ライブコンテンツ事業室にてグラフィックデザイナーとして勤務。最近のマイブームは、行きつけのスパイスカレー店のキャロットラペを家で再現すること。
聴覚障害がわかったのは、生後4か月健診でのことでした。生まれつきだと思います。最初は比較的軽度でしたが、10歳になる頃には障害等級が2級となり、手帳の再交付を受けました。今ほど多様な捉え方が広まっていなかった時代、かわいそうに思われることは小さい頃は多かったと思います。しかし、愉快な家族に囲まれ、地元の聾学校でのびのびと育った私は、「聞こえないこと」を、かわいそうだと思ってきませんでした。聞こえないことで壁にぶつかり、悩むことは今もありますが、聴覚障害は生まれたときから私のそばにあったもので、聞こえない友人や世界が私の日常だったからです。ここからは、周囲の人に支えられながら、私が「私」として歩んできた過程を綴ります。
幼稚園までは、聴者である姉と同じ地域の園に通っていましたが、小学校進学の際、地域の小学校か聾学校かの選択で、母はかなり悩んだそうです。さまざまな専門家の話を聞いた末、聾学校の先生からの「祐衣さんは聾学校のほうが、のびのびとできると思う」という言葉が決め手となり、私は小学部から高等部までの12年間を聾学校で過ごしました。結果として私は、壁を感じることなく安心して意思疎通できる環境のおかげで、自分らしく生きることの大切さやありがたみを学ぶことができました。母は当時、自分の判断が一人の将来を左右する選択になるかもしれないと感じ、不安だったと話していました。大学生になった私が「聾学校でよかったと思う。むしろ、聾学校『が』よかった」と伝えたとき、母は十数年越しに答え合わせができたようで、うれしいと話していました。
大学は、情報保障の体制が整っていると聞いた筑波技術大学に進学しました。入学当初はコロナ禍の真っただ中で、学生はそれぞれ実家にいながら講義はすべてオンラインでの実施でした。思い描いていた大学生活とは異なるスタートでしたが、全国から集まった同じ障害のある仲間たちと出会い、新しい考えや視点に触れることができました。大学生活を通して障害を含めた自己理解が深まり、自分の考えを言葉にして伝える意識も少しずつ芽生えていったように思います。また、ここで生涯の友と出会うこともできました。2年前に大学を卒業し、それぞれが異なる環境で歩み始めた今も、互いの近況や悩みを自然と共有できる関係でいられています。これから先も、人生の節目で支え合える存在であり続けたいです。
現在は毎日新聞社のライブコンテンツ事業室で、主にグラフィックデザインを担当しています。スポーツ大会のライブ配信に使用する広告バナーや動画サムネイルの制作が中心で、「視聴者やクライアントが何を求めているのか」を考えながら表現する日々です。学生時代の制作と違い、相手にとって最適な形を探ることに難しさも感じていますが、その分自分の思考や表現の幅が広がっている実感があります。また、デザインの業務とは別で昨年、東京都で開催されたデフリンピックに関する記事も執筆しました。聞こえない当事者として、そして表現に携わる立場として関われたこの経験は、私にとって大きな財産です。このような貴重な経験を通して得た気づきを、これからの自分の在り方の中でも大切にしていきたいと思います。
障害があるかどうかにかかわらず、人はそれぞれ、自分に与えられた条件の中で生きています。私にとっての聴覚障害も、その一部でした。周囲に支えられながら、自分にできることを考え、全力で取り組んできた。その積み重ねが、今の私です。この文章が、誰かが自分自身の歩みを振り返るきっかけになればうれしく思います。