ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業の成果と意義

公益財団法人 日本障害者リハビリテーション協会 
事業振興部 人材開発課 課長 那須 里美

1.はじめに

ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業(以下、ダスキン研修)は、公益財団法人ダスキン愛の輪基金から委託を受けて、当協会が実施しています。

ダスキン研修は、アジア太平洋地域の障害のある若者を日本に招聘し、障害者福祉の向上に寄与する人材育成を行っています。研修事業の詳細は、ウェブサイト(https://duskin-hp.normanet.ne.jp/)でご確認いただくこととして、本稿ではダスキン研修の成果と意義をお伝えできればと思います。

2.ダスキン研修の成果

ダスキン研修は1999年に開始されました。そして、これまで29の国と地域の146名が研修を修了しています。卒業生の中には、障害者団体の代表、国連機関のスタッフ、行政機関のアドバイザー、国会議員になった人もいます。このように、卒業生は障害分野で重要な役割を担っていますが、今回は、3つの事例をご紹介します。

1)サンカさん(スリランカ出身、弱視)

サンカさんは、日本でタンデム自転車を体験しました。タンデム自転車とは、前後にそれぞれサドルとペダルがあり、同時にペダルをこいで走行する二人乗りの自転車です。前に、晴眼者が乗ることで、後ろにいる視覚障害者もサイクリングを楽しむことができます。サンカさんは、このインクルーシブな乗り物に大変感動しました。視覚障害のある研修生は、日常的にスポーツに親しんでいる人が少ない印象です。サンカさんもその一人だったのでしょう。あの日の感動が忘れられなかったサンカさんは、帰国後、自転車会社に交渉し、スリランカにタンデム自転車を導入することに成功しました。サンカさんは仲間たちとタンデム自転車のイベントを企画し、その様子はメディアにも取り上げられ、反響を生みました。

視覚障害のある人の存在を社会に知らしめると共に、障害のある人がスポーツにチャレンジする機会を創出した事例です。

2)リンさん(台湾出身、骨形成不全症)

リンさんと障害のある仲間が働きかけを行った結果、台湾総統府の入り口にスロープが付きました。裁判所に車いすユーザーの傍聴席を設置することにも成功し、身近なところではカフェの入り口にスロープを付けてもらったそうです。こうやってバリアフリーが進んでいかないと、そもそも私たちが街で障害のある人たちを見かけることもできませんし、障害のある人の社会参加の促進も叶いません。

3)ガルさん(インドネシア出身、ろう)

インドネシアには、ろう児が学べる場所が1,546ありますが、手話によるバイリンガル教育を行っているのは2つだけです。その1つが、ガルさんが設立した学習コミュニティです。皆さんは、海外旅行先で、その国の言葉の「ありがとう」ぐらいなら、カタカナで発音を書いておけば真似できますよね。しかし、「ありがとう」と文字で書くことは難しいと思いませんか。聞こえない子どもたちは、音を頼りにインドネシア語を学習できません。つまり、文字の並びをひたすら覚えるしかないのです。ろう児が本来持っている能力を生かし、育んでいくためには、「耳が聞こえない・聞こえにくい」ことから生じる学習面の困難さを踏まえ、手話による指導が提供される環境が不可欠です。ガルさんは、ろうの子どもたちが楽しみながら、学習が進められるよう、様々な教材の作成も行っています。

ダスキン研修の意義

最後に私が考える本研修事業の意義を、卒業生のエピソードを踏まえてご紹介します。

1)人生を変える出会い

現在、第24期生として来日している、ココさん(台湾)とラクシミさん(ネパール)の共通点は、卒業生が設立した自立生活センター(以下、CIL)で働いていることです。彼女たちの先輩にあたる卒業生(台湾出身のリンさん、ネパール出身のクリシュナさん)は、約20年前に日本で学びました。今回、先輩たちの学びをアップデートすべく、次世代リーダーが応募してくれたわけです。リンさんとクリシュナさんは、「ダスキン研修に参加し、多くの人に出会えたことで、人生が変わった」と言います。今度は、ココさんとラクシミさんが人生を変える番です。このように次世代が頭角を現していく様を見られるのは、長きにわたり事業を続けているからこそです。

実は、ラクシミさんはすでに「人生の転機」を経験しています。ラクシミさんは、18歳の時に木から落ちて、脊椎損傷となりました。地方の農村部に暮らしてたラクシミさんは、寝たきりのまま終えるであろう人生を悲観し、病院のベッドで毎日泣いていました。見かねた病院のスタッフがクリシュナさんに相談し、彼が設立したCILにラクシミさんは繋がりました。CILのスタッフは、ラクシミさんに車いすの操作や日常生活の方法を教えたり、学業が続けられるように奨学金探しに奔走してくれたりしました。そのおかげで、ラクシミさんは大学を卒業することができ、水泳競技のパラリンピアンとしても活躍しました。今では障害のある女性たちのロールモデルとなり、CILで働いています。「クリシュナさんに出会わなければ、実家のある農村で、寝たきりの生活になっていました。大学にも行かせてもらえず、すぐに結婚しなければならなかったと思います。今、色々な経験ができてとても幸せです」と彼女は話してくれました。クリシュナさんがCILを立ち上げていたからこそ、ラクシミさんの新しい人生が始まり、私も彼女と出会うことができました。このめぐり逢いに、私は深い感慨を覚えずにいられません。

2)日本に寄せる卒業生の思い

私が今でも忘れられないのは、3.11の時のことです。震災当時、第12期生の個別研修が実施されていました。被災した研修生はいませんでしたが、全ての研修生が地震への不安や恐怖を抱えていました。研修を続行するか途中帰国するかは、研修生の意思に委ねることにしました。研修生は悩んだ末、全員が日本に留まることを決めました。それからの研修生は本当に逞しかったです。個別研修を続けながら、自分たちに何ができるかを考え、研修先の方と一緒に街頭に立って募金活動をする研修生もいました。彼らは日本人ではありませんが、私たちと同じ思いで日々を過ごしていました。

不安でいっぱいだったのは、私たちスタッフも一緒でした。そんな私たちを励ましてくれたのは卒業生です。震災後、多くの卒業生からメールや電話をもらいました。震災による犠牲者を悼む式典を自国で行った卒業生もいました。毎年のように台風に見舞われ、日々の生活は決して楽ではないのに、仲間と共に被災した方々への募金活動を行った卒業生もいました。遠く離れた地に住む卒業生にとっても、3月11日は忘れられない日となっていたのです。

新型コロナウイルスが世界的に大流行していた時も、日本のマスク不足を知って、台湾の卒業生がマスクを大量に送ってくれました。マスク探しに奔走していた私たちにとっても、渡航制限により帰国できなくなっていた研修生にとっても、卒業生からの気遣いは大きな励みになりました。

このように、帰国後の卒業生は、草の根レベルの「親善大使」となっています。国際協力の目的の一つに、「日本を知っている人(知日)」「日本に親しみを持ってくれている人(親日)」を増やすことが挙げられるのであれば、日本国内で研修生に関わることは「国際協力」です。これまで、研修生に関わってくださった皆さんが蒔いた「国際協力の種」は、アジア太平洋地域で花開き、確実に実を結んでいます。これからも個別研修先として、あるいは友人として、研修生と関わりを持っていただければ幸いです。

さいごに

本稿を通じて、ダスキン研修に興味・関心を持ってくださる方が一人でも増えれば幸甚です。現役生の様子や卒業生の活動を、SNSで発信しています。ぜひご覧ください!

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