障がい当事者が医学部で(障害について)教える、ということ

京都大学医学研究科 医学コミュニケーション学
岩隈美穂

3月11日に行われた、リハ協カフェでの発表内容の概要を報告します。簡単な自己紹介の後、現在の教室の様子やこれまで卒業生たちが行ってきた研究や(ヘルス)コミュニケーションをミクロ・メゾ・マクロの視点で紹介しました。次に「障害について」教えている授業は、現在は学部の1回生向けのILASのみであることをお話ししました。実は着任当初は、もっと授業で障害(学)について、話していましたが、授業で障害について話し始めると、クラスの雰囲気が明らかに変わり、学生たちが緊張・硬直し、正しいことを感じ、考え、言わなくてはいけないという圧を感じているように見えたので、現在はやり方を変えています。障がい当事者が、教員という立場で、障害(者・学)について教える・語るという行為は、私が思っていた以上に「薬が効きすぎる」ようでした。

現在は、「混ぜご飯」スタイルで、障害(者)の話を、ほかのテーマに混ぜて話しています。これは障害に関心・興味がない人にも聞いてもらうためや、障害(者)の話を、ほかのテーマに混ぜて話しています。これは障害に関心・興味がない人にも聞いてもらうためや、障害(者)とほかのグループが独立しているのではなく、むしろテーマが地続きである点を(さりげなく)話すことを目的としています。例えば、「医学コミュニケーション・基礎」の例では、高低コンテキスト・コミュニケーションという概念を説明するため、ろう者と聴者のコミュニケーションスタイルの違いを挙げています。またILASでは「障害とは何か」というオムニバスの授業を2回担当していますが、授業の下地にしているのは、社会学です。この授業では例えば、義足のジャンパーがオリンピックに出てもいいのか、という話題を取り上げたり、コロナ前は、リハ協からダスキン研修生がゲストスピーカーとして授業に来たりしてくれました。ダスキンからの研修生が来ている時期にアンケート調査を行い、改善が見られた項目がある一方で、改善が見られなかった項目(尺度3 障害者支援尺度)もありました。ポートフォリオ分析から相反するテーマを内包するデータが抽出され(例:「困難」と「個性」、「ために」と「ともに」)、海外からの活動的な障がい者や文化としての障害を知ることで「助けなくてはならない」支援感も減少していたのではないか、という考察も紹介しました。

次に大学院生を対象に、「地域にいるさまざまなニーズを持った人に対して、どのような支援が必要か?」「地域にいる多様な関係者が協力してニーズを持った人をどのように支援するか?より包括的な支援とはどのようなものか?」を考える「Let’s協力」というゲーミフィケーションの授業を行い、その学びについて授業評価アンケート結果をテキストマイニングで要約しました。このゲームはCBRマトリクスをもとにリハ協が作成し、ツイントラックアプローチも重要な概念として紹介されています。使用されるニーズカードには、LGBTQ+や外国人といった様々なニーズをもった人たちの中に、障がい者が含まれています。37名回答したテキストマイニングで明らかになったのは、一番多く出てきた言葉は、「支援」(130回)、次が「地域」(63回)「社会」(57回)でした。次に共起ネットワークを出してみましたところ、一番いろいろな言葉とつながっていたのが、「包括的」という言葉でした。

最後に今後について、最初に話した3つのコミュニケーションレベルでお話ししました。メゾレベルでは、最近市内の小学校で講演活動を行うようになりました。大学で授業をするように話すと10分で飽きられてしまうので、学校と事前に打ち合わせをして、生徒たちが遊んでいる中、校庭に車を乗り入れさせてもらって、車からどうやって車いすを下ろしてトランスファーするのか、というところから見せています。その後体育館に入っての「お話し」は個人的には、学会で発表するより緊張します。最後には生徒との卓球デモを行います。

次にミクロレベルの活動では、メディア出演があります。以前出演したバリバラのプロデューサーに、障害とは関係ない領域に障がい者が越境していく、それも意思決定といったレベルに参画していくことがもっと必要と話しました。バリバラも大きな意義がある番組ではあるけれども、福祉という色がついているため、福祉に関心がない人は自分とは関係ない番組と認識して、チャンネルを合わせません。障がい者が福祉番組だけでなく、例えばお堅い経済番組に白杖をついて現れるとか、軍事の解説に車いす使用者が呼ばれる、といった「場違いな障がい者」が出てきて障害について一切触れないような番組作りがもっとされたらいいと思っています。何らかの専門家がたまたま障害を持っていたという「不意打ち」という戦略です。

例えば先日行われた、京都大学での「やさしい日本語」ワークショップを例に挙げます。今は外国人がいるのが当たり前の日本社会で、「外国人には英語で」話さなくてはいけないという思い込みのため、医療機関などでコミュニケーションバリアになっていることがあります。けれども「やさしい日本語」のいくつかのコツを知ると、外国人に伝わる、だけでなく高齢者や子供にも実は使えるようになります。医療編と留学生がいる大学窓口編のシナリオを用意して行いました。お気づきかもしれませんが、ここでは障害はほとんど出てきません。

そして私の教室主催なので、開催と閉会のあいさつと行ったのですが、私が前に出ていくと「なぜ車椅子使用者がここに?」「これ日本語ワークショップでしたよね?」と言いたげな参加者たちの不安や緊張感がありありと伝わってきました。挨拶では、外国人とのコミュニケーションや、異文化コミュニケーションについての話をして、全くといっていいほど障害について触れずに「障がい者は障害について話すだろう」という暗黙の期待を裏切ることを意識しています。こんな場面で障がい者がいる、という「場違い」にたくさんの障がい者が越境していくことが必要だと考えています。

最後にまとめとして、障がい当事者が医学部で(障害について)教える、ということは、思っていたよりも難しかったこと、そして今は「まぜご飯」のようにほかの話題に障害をまぜて話すようにしていること、最後に「場違いな障がい者」という戦略の実践について触れて講演を終わりました。