東京2025デフリンピックへの思いデフアスリートとして、スポーツファーマシストとして

「新ノーマライゼーション」2025年4月号

早瀨久美(はやせくみ)

デフリンピックとの出会い

私が初めて「デフリンピック」を知ったのは中学生の時でした。父が調べてくれて「出てみたらどうだ?」と言われたのです。残念ながらこの時の私はなぜか興味を示しませんでした。子ども心に同じきこえない仲間同士で競い合うことに抵抗を感じていたのかもしれません。もしタイムマシンで戻れるならこの時の私の背中を押して「目指して!」と言いたいです。

同じく中学生の頃に母と同じ薬剤師を目指し、2001年の法改正により薬剤師となりました。それ以来全国の多くのろう者から薬の相談を受けてきましたが、その中でデフアスリートからの相談が増えました。彼らのサポートを本格的に始め、アンチ・ドーピングの専門家であるスポーツファーマシストとして台北2009デフリンピック日本代表選手団メディカルチーム携行医薬品の手配と管理を担当しました。

人生とは面白いもので中学生の時の「デフリンピック」と「薬剤師」がここで結びつき、自分も日本代表を目指すべく自転車競技を開始し、ソフィア2013デフリンピックに初めて参加しました。

スポーツファーマシストとしては9大会のデフリンピックに関わり、デフアスリートとしては今度の東京2025デフリンピックで4大会目となります。

アンチ・ドーピングの精神のその根幹にはスポーツの価値を守り、お互いをリスペクトし合いフェア精神を持って未来のスポーツを創っていくことにあります。私はスポーツファーマシストとして、デフアスリートとしてデフスポーツの価値を育み、きこえる人ときこえない人が一緒にデフスポーツの未来を築くことこそ共生社会の形の一つでありデフリンピックはその象徴となると感じています。

1人のろう者として

東京2025デフリンピックの開催が決まった瞬間、身震いが止まりませんでした。デフアスリートとして母国で開催されるデフリンピックに大きな喜びを感じ、なんとしてでも日本代表として出場したいと強く思いました。そして1人のろう者として感じたことは、一つのスポーツの祭典に終わらず日本社会にとってもエポックメイキングな大会になり、大会後が本当に私たちが求める日本社会の始まりになるだろうということでした。

弱輩ながら昭和、平成、令和の時代を生きてきた1人のろう者としての私の人生は、ろう者が社会の中で築いてきたろう者の権利と手話言語の社会の中での認知の歴史と常にリンクしていました。

ろう者による運動はあらゆる分野でろう者が安心して暮らし、それぞれが自己実現を果たせる社会を実現してきました。私が薬剤師として仕事ができるのも欠格条項撤廃運動のおかげです。

デフリンピックに日本選手団が派遣されたことで、デフスポーツが日本社会の中で発展し多くの競技でデフアスリートが活躍してきました。デフリンピックの日本開催は歴史をみても早すぎず遅すぎず、日本社会の器が大きくなってきている「今」だから実現できたと思います。

デフアスリートとして

デフリンピックはデフアスリートの大会ですが、デフアスリートたちも1人のろう者としてそこがゴールではありません。自分たちのゴールはもっと先にあり、ろう者やろう児、生まれてくるろうの赤ちゃんたちが生きていく社会をより良く変えていきたいという思いを胸に秘めています。

そのためにもデフリンピックがろう者のための大会ではなくきこえる人とともに築いていく共生社会の縮図であってほしいと願っています。

それはなぜか? 日本社会においてデフアスリートが競技を行う上で、アスリートとして誰もがぶつかっていくだろういくつもの壁とは別に「デフ」というろう者の立場でさまざまな壁にぶつかってきました。

まずは多種多様のスポーツと出会う機会がとても少ないこと、スポーツを始めたいと思っても地域でチームに入ることを断られること、指導者の言っていることが分からずどうしても自己流になってしまうこと、ショップで用具を購入した時も説明が分からず間違った使い方や購入した後のフォローがほとんどないこと、大会において審判やスタッフの言っていることが分からず自分にとって不利な結果になったことなど、数えきれないほどです。競技力向上のために筋トレをしたいとパーソナルジムに入会しようとしたら耳がきこえないから危ないと断られたというデフアスリートもいます。

デフアスリートは純粋にスポーツに取り組む以前の壁がたくさんあるわけですが、長年のろう者運動の取り組みによる社会の変化から、現在ではチーム入会を断られることが減ってきたり、指導者に手話言語通訳がついたり、ジムに入会したら少し手話言語ができるトレーナーがいたりとか、審判が手話言語でルールを説明してくれたりなど、手話言語のコミュニケーションがスポーツの分野にも確実に広がってきていることをデフアスリートたちが一番強く感じています。

何よりも素晴らしいことにデフ指導者が増えてきて、デフ審判も生まれ、さまざまなスポーツ研修会には手話言語通訳がつくのが当たり前になってきています。これらのデフスポーツを取り巻く環境の変化がそのままデフリンピックでの日本代表の活躍に密接につながっています。

デフリンピックの価値

今年の1月に東京都の調べでデフリンピックの知名度が39%に上昇したという嬉しいニュースがありました。これはデフアスリートとしてだけでなく1人のろう者としても社会の変化を大きく感じる出来事です。スポーツの分野に限らずに例えばテレビなどでもほぼすべての番組に字幕がつき、手話言語やろう者をテーマにしたドラマや映画が毎年のように発表され、日常生活においても多くの場面で手話言語に触れる機会が確実に増えてきています。

デフアスリートとしてメディアに多く取り上げられること、デフリンピックで活躍していくことは、1人のろう者としての運動の一環であるといっても過言ではないほど日本社会におけるデフリンピックは大きな存在になってきていると感じています。

私は東京2025デフリンピックでデフアスリートとしてスポーツファーマシストとして私にしかできない取り組みをしたいと考えています。デフスポーツの価値を高めることが、それが回り巡って私たちの目指す日本社会の構築につながると思うからです。

デフリンピックが終わった後の次の100年を一緒に築いていきましょう!