東京2025デフリンピック開催~デフアスリートとコーチ、スタッフと連携する手話言語通訳者の立場から
「新ノーマライゼーション」2025年4月号
静岡県手話通訳問題研究会
黒石恵理子(くろいしえりこ)
皆さん、手話言語通訳者をご存じですか。聞こえてくる日本語の音声を手話表現したり、ろう者が表す手話表現を音声日本語で伝えたりする通訳業務を担う人のことをいいます。私はその手話言語通訳者の一人として静岡県手話通訳問題研究会に属し、静岡市で活動している者です。全国各地で手話言語条例が制定され、政府会見や気象庁会見にも手話言語通訳が付与されるなど、その需要は年々高まっています。
また、手話言語関係の書籍も増え、ろう者を主人公とするテレビドラマが放送されるなど、手話言語ブームが起こったのは記憶に新しいところだと思います。手話言語やろう者にスポットライトが当てられることは嬉しいのですが、手話言語だけが一人歩きしているのではないかと複雑な心境でいたことを覚えています。
さて、私のいる静岡では、ろう者から静岡市障害福祉企画課への申請により、手話言語通訳者がろう者のもとに派遣されます。旅費や謝金は市から支給され、ろう者やその相手の金銭負担は一切ありません。申請先が障害福祉企画課であることからもわかるように、この手話通訳者派遣事業は、国の障害福祉の施策として行われるものです。かつてろう者たちは自分たちの言語である手話言語を、長年「手まね」とあざ笑われ、差別や人権侵害を受けてきていました。1970年代からようやくろう当事者団体による運動が認められ、今日の手話通訳者派遣事業が確立されています。
手話言語通訳だけでなく、要約筆記者派遣事業、盲ろう者向け通訳・介助者派遣事業もあり、これら3者をまとめて意思疎通支援者派遣事業といいます。一口にきこえない人といっても、生育環境や習得言語によって、希望する言語が異なってくるのです。
一般的な手話言語通訳者の派遣分野は、生活や医療、行政手続きなど、主に生活に密着した場面となります。中でも医療現場への派遣は多く、医師や看護師、病院の受付、薬局など、医療従事者とろう者の会話を通訳します。問診、病状の説明、薬の服用、会計などさまざまな場面で情報保障を行い、時には、ろう者の家族と間違われること、市からの派遣で来たと伝えても「あぁ、ボランティアさんね。ご苦労さま」などと理解されないままのこともしばしばです。
そのような手話言語通訳の業界において、最近、専門的な養成・研修の開催や、メディアに取り上げられるなど注目されるようになったなと実感しているのは、スポーツに精通した手話言語通訳です。
私は縁あって「第23回夏季デフリンピック競技大会サムスン2017」から日本選手団の手話言語通訳業務で関わっていますが、スポーツ通訳が注目されるようになったきっかけは、間違いなく東京2025デフリンピックの日本招致だと考えています。それ以前にも各競技の国内大会、アジア大会や世界大会はありましたが、2022年9月のデフリンピック日本招致の正式決定を皮切りに、各デフ競技団体がさらなる選手の強化のために、きこえるコーチやスタッフを迎え入れたり、合宿やイベントが開かれるようになりました。スポーツ現場に携わる手話言語通訳も、これまでの福祉的な色合いの強かった通訳ではなく、スポーツの場面に適した通訳のあり方が求められています。
例えば、医療現場においては、場合によっては復唱したり、ろう者の不安そうな表情をくみ取ってさらに丁寧な説明を医師に求めるような通訳をすることもあれば、次回予約に備えて、市町の手話言語通訳派遣コーディネーターに報告をし、次に引き継ぐ手話言語通訳者が安心して現場に臨めるようにするなど、連携した長期的な支援の面も併せ持っていました。
これに対し、スポーツ通訳は、アスリートやコーチ、スタッフ間でのスポーツをしている人しかわからない感覚を言語化し、実際に身体を使いながらでのやり取りが多く、アスリートやコーチの意図を伝えることが求められます。例えば、すべてを言語通訳するわけではなく、コーチの動きを見てほしい場合は直接コーチを見てもらいながら、通訳も見てもらうといった工夫が必要です。
また、コーチとデフアスリートだけで会話が成立しているときであっても、ほかのデフアスリートやスタッフにも話の内容がわかるように通訳を行い、その情報が有益であるか否か、必要なのかも含め、デフアスリート自身が判断できる環境を保障します。それにアスリートだけでなく、スタッフにもきこえる、きこえない両者がいます。そのため、対象者は目の前のデフアスリートだけではないことを念頭に置き、競技会場内の音声情報はすべて見える化できるように努めています。
試合や大会終了後の記者会見やインタビューなどでも、呼吸が整わないうちに取材を受けることもあり、手話言語通訳者は通常派遣の現場とは異なる速いテンポでの応答、感情のニュアンスも正確に伝えることが求められます。そのためには競技用語やチームの戦術、試合に関する背景知識も得ておかなければなりません。初めてスポーツ通訳を担当したとき、その現場力、瞬発力が求められ、これまでの手話言語通訳との違いに当惑したことを、今でも鮮明に覚えています。
ところで、きこえない・きこえにくい人はみんな手話言語ができると思っていませんか。実は、できない人のほうが多いのです。ろう学校では、国語や英語のように手話言語を学ぶ時間がなく、先輩の手話表現を見て習得するしかありません。それどころか、手話言語を低く見る、手話言語で話すろう者を見下す人さえいます。
また、きこえない・きこえにくい人はみんなろう学校に通っているという誤解も多く残っています。多くの人が地域の学校に通っており、ろう学校の児童数は年々減少しています。静岡のろう学校でも1学年に1人、またはゼロというところもあり、さらに手話言語を使えるろう者は減ります。そのためデフアスリートの中には、デフ競技団体に入って初めて手話言語に出会い、手話言語通訳を知り、自分も手話言語を習得することで、世界が広がったという人もいます。手話言語の大切さはもちろん、手話言語通訳がいることで、今まで得ていた情報量との違いや差を知り、情報保障の重要性に気づいてもらうこと。こういった啓発も、私たち手話言語通訳者の大切な役割の一つと思います。
私たち手話言語通訳者が5年も6年もかけて習得したことを、それまで手話を知らなかったアスリートたちがデフコミュニティに溶け込み、手話言語を習得していき、先輩ろう者の生きざまに刺激を受け、一人のろう者としてのアイデンティティを確立していく姿を見ていると、感動を覚えます。
さて、デフリンピック開催まであと200日余りとなりました。この大会を打ち上げ花火で終わらせてはなりません。デフリンピックを契機に、手話言語の普及や聴覚障害、きこえないことへの理解につなげることに意味があるかと思います。ろう者ときこえる人が協働し、誰もが個性を活かし、力を発揮できる社会に変えていくこと。そのために、まずは活躍している姿を多くの市民に見ていただくこと。それが、ろう者・私たち手話関係者に課せられたミッションです。この「東京2025デフリンピック」が、社会を動かし、共生社会の実現に近づくきっかけであってほしいと願います。