愼允翼さんとの対話-当事者個人が、自分の夢を信じていま頑張ることが社会を変える

「新ノーマライゼーション」2025年6月号

超党派医療的ケア児者支援議員連盟 事務局補佐 聞き手 加藤千穂(かとうちほ)

指定難病の脊髄(せきずい)性筋萎縮症(SMA)で24時間介護の必要な愼允翼(シン ユニ)さん。今春、東京大学大学院で修士号(フランス語フランス文学)を取得し、4月から東京科学大学の研究職として裁量労働で働き始めました。

将来の自立を念頭に置く両親のもとで育ち、電動車椅子の支給を受けたのは3歳の時。地域の小中学校に通いながらも、中学では周囲からの孤立感に悩み、勉学や膨大な読書・アニメの世界に深くのめり込んだといいます。千葉県立の進学校を受験する当時、公的には合理的配慮の仕組みそのものがありませんでした。重度訪問介護のヘルパー支給量も自ら粘り強く交渉して道を拓き、都内で一人暮らし。まさに先例尽くしの歩みについて、当事者および研究者の視点から縦横無尽に語ってもらいました。

紙幅の都合上、聞き手の感性で深掘り・抽出した要素をもとにロングインタビューを凝縮しています。対話のリズムや勢いをできるだけそのまま活かすため、文語体と口語体を統一していない部分がありますが、愼さんの生き方やエネルギー源をダイナミックに再構成したインタビューを通じて、あとに続く子どもたちやご家族の心に熱量が届くことを願っています。

▶この4月からの東京科学大学の研究員生活では、どんな問いや課題に向き合っていますか?

この4月から東京科学大学未来社会創成研究院 DLab+1研究員として働いています。宇宙という観点から人類の未来や社会を考えるというプロジェクトに入れてもらい、多分野の専門家と一緒にやっています。僕の修士までの学術的キャリアは古典テクストを読む基礎的な人文学でしたが、ここでは美術系や理工分野の研究者のみならず、アーティストとも横断的に関われて楽しいです。

▶具体的には?

目下の仕事は、宇宙と人類の関係を考えるにはそもそもどのようなアプローチが可能かというアイデア出しです。その上で、僕の個人的な思いと専門もあり、主に18世紀前後の仏語で書かれたいわゆる古典から、当時の人々にとって宇宙はどう見えていたか、など考えたりします。そうして、苦しみの中で天を見上げたであろう近世の障害者の世界観を読み解くことで、人間や社会の本質についての考証を未来に活かせたらいいな、なんて。

ですから、いずれは宇宙から反転して、地球上の社会や価値観にインパクトを与え、より公正な社会のために奉仕したいと思っています。中世のように障害者が見捨てられる社会よりは、今の時代のほうがいいのは議論するまでもないんです。けれど、建前としては見捨てられないことになっている社会で生きている我々は、つい油断をしてしまう。歴史とか宇宙とか、一見して障害から遠いテーマですが、そういうズレが必要なんだと直観しています。

▶第二次世界大戦下のナチスドイツでは、優生思想によって多くの障害者が社会的に抹殺されていきました。油断すれば、戦争などの有事の際には社会的に弱い立場の人たちが真っ先に犠牲を強いられる。社会の健全性を構成員のみんなで保つぞという不断の意思が大事だと思っています。

僕は、障害学に行きたくないという変な意地があって、哲学・文学の世界に行った。障害者が障害のことだけやると、何かまずいという直観がいつも僕を突き動かすんですね。一番遠そうなものを選んだのは正解だった。9年間人文学に費やして意識するようになったのは、最も弱い個体を大事にしない種は生存すら危ういということ。生物にとって、傾向から外れた個体である「外れ値」の生命体が必ず存在する。何がトリガーになるかわからないが、一見、無駄なことのように思えるところから生物は新しい道に発展していく。外れ値の個体がないと生命体の全体が危うくなる。

▶起草段階から当事者代表も交えてつくってきたのが医療的ケア児支援法であり、独自法制を持つのは世界で日本だけ。重度の医療的ケアを必要とする人が生きていけるようになってわずかに40年ほど。

時勢と絡ませて話すなら、コロナ禍を通して人類は、気道が塞がるという体験がどんなに怖いことかを知ったはず。人工呼吸器の子を普段から受け入れられる社会インフラを整えることで、国力レベルで変わると思う。(比喩的に)ガチガチに固めた法は、人を殺す。ずれている個体に開かれた法は、人を活かす。僕は、東大での9年の古典研究を通じて、法的な保護が強すぎる場合の表現力の低下について、めちゃくちゃ敏感になってしまった。(日本ではある程度の制度が整って)障害について何が苦しいか、当事者が突き詰めて表現する機会を失うのではないかとも危惧するわけです。でも医療的ケア児・者を保護する法律は絶対なくちゃいけないし、もっと徹底したものにならなければならない。障害のある人たちを守る理念が、社会を包括的なものへと成長させる。法を「生きたもの」にできたら、それは夢がありますね。

▶みんなに役割がある。障害という特性を抱えて生まれてきた子どもたちだからこそ社会で果たせる役割があるということですね。

一人ひとりの障害のある子たちにミッションがあると思うんです。僕はルソーをやってきたので端的にトップダウンの発想には疑問で、下から動かさないといけない。経験から痛感することは、最後はやはり現場の人との一対一の勝負。法律や制度と生身の当事者とが相対するフロントラインから社会改革を起こしていけたら、日本発のインクルーシブな社会像が見えてくるかもしれない。

▶一人暮らしを実現するに当たって自治体との交渉や扉が開いた時のエピソードを教えてください。

学部3年生でキャンパスを移った時に、24時間介護の生活を始めました。障害福祉課にヘルパー支給量を交渉したが、最初に担当になった人は、前例を重んじるタイプの方で、一番ハードルが高かった。一人暮らしには月744時間の介護が必要と言ったら、743時間じゃダメな理由を説明しろという。A4用紙で何十枚にもわたる診断書や膨大な意見書を提出して、2時間ぐらい話しても全くらちが明かない。トイレに行きたいといったら、「ご案内します」とついてきたので、「実際にみてみますか?」と。トイレにとんでもなく時間がかかる様子をみて、ぽつんと「これは大変だ・・・」と呟いた。「わかっていただけますかね?」

▶そこまでしないと福祉担当者ですら実感としてわからない…。担当にも人事異動があると思うが、関係性を持続するコツは?

 

異動の如何ではなくて、年に1~2回の頻度で福祉課の関係者や保健所の方が対話の場をつくってくれる。僕は話し合いを歓迎するので、人が交代しても良好な関係を築き、長年の信頼関係でやってきた。

福祉課の担当であっても、リアルな困難さについてわからないということを僕自身が学ぶとともに、「パンツを下せば(実際に見てもらえば)大丈夫だな」と実感を得た。「パンツを下す」=みられるのを強いる社会は絶対に間違えているんだけれど。当時は理解されないことにいら立つこともあったが、今では、言葉や論理を尽くすのはもちろんのこと、時には体を張ってでもちゃんと伝えないといけないと思う。

▶大学時代のサポート体制はどうやってつくったの?

公的な制度は、重度訪問介護のみだった。教育や授業に関わる人材サポート費用(いわゆる合理的配慮)は東大側が負担し、福祉制度による支援は行政という区分け。授業の時には、机を前後二重に確保して、前列にノートテイカーが座り、後列に介助者が座ってお茶を飲ませたりシーティングしたり。ノートテイカーは自分自身でスカウトすることもできて、東大が学生にバイト代を支給してくれるシステムだったのがよかった。これは、重度訪問介護においていわゆる「自薦」があるのと似ている。

そういう余白をつくることが、すべてがあらかじめ整えられていることよりも、障害をもっている学生の支援に必要だと強く思う。重度訪問介護も自治体によって格差がとても大きいが、逆に、余白があるということ。役所の現場の人と対話する余地があって、そこからしか始まらない。国の規模で制度をつくろうと10年かかっている間に、僕らは死んじゃうかもしれないし。大人になっていく当事者個人が、自分の夢を信じていま頑張ることはすでに社会を変えることに参与しているんです。だからしんどい。残酷であると同時に希望でもある。

僕は東大に入ってから、同世代の人たちに勉強のサポートをしてもらえるという仕組みの中に入ることができた。ただし、この仕組みも既存だったのではなく、ひとつひとつ関係者と制度設計してきたわけですが。しかし、冷静になって考えればこれは順序反転ですよね。東大に入るための修業期間においても、そういう助けは必要だったはずです。そして、障害のある子どもが何かを学んで成長し、生き残っていくどのプロセスにもこの助けは必要です。良き出会いを生存の必須条件として、制度にのっとったサポートへ翻訳可能なのか、僕自身も考えていきたいと思っています。

▶最初の一歩を踏み出す勇気やチャレンジ精神を持つためには何が必要だと思う? 愼さん自身が勇気づけられたり、深く影響を受けた人物は?

好きな人、好きな作品とたくさん出会うことです。自分がなりたい像をつくり、そこに向かって泥臭くしがみつくこと!

「よくない境遇」で育った子たちがそれでも前に行こうとする時、例えば、そういう境遇にもかかわらず高校受験しようと思うなら、本人は自覚していなくても、もうすでに一歩踏み出しているのです。

そして、誰かが応えてくれると信じて扉の前で叩き続ける。両親でも支援者でもない、世界を広げて伴走してくれる人の存在。僕にとっては中学の時の家庭教師との出会いが大きかった。中学生の時は勉強ばっかり、高校の後はしばらく恋愛ばっかりだったが、これも僕なりの行動主義。そして、いまの僕にとっても自立は恐ろしい。扉の先にはずっと扉がある。

尊敬する人物は、劉備玄徳です。小さい時から三国志が好きで、ゲームもアニメも見ている。劉備の魅力は、昔はわからなかった。いまでもうまく説明できない。あいつ自身には(突き抜けた才能が)何もない。夢と大きな理想だけしかない、ある意味で古くて新しいリーダー像。誰も捨てておけない壮大な「愚かさ」が魅力。愚かだが、劉備の理想のために死んでいった人たちは、恐らく誰も後悔していないし、劉備的な何かがこの時代にもあると思う。(その生き方を)解明するにはどうすればいいかを、僕はずっと考えている。障害をもっている人には、特別負荷がかかるのも現実。大きな理想や夢を己の中に持てれば、障害をもっていても何も諦める必要なんてない、と信じている。

だから、「人間臭くしがみつく」ことを実践し、あとに続くみんなにも伝えたい。

1 https://www.isct.ac.jp/ja/001/about/organizations/institute-of-future-science