ひと~マイライフ-難病ALSになった今挑戦したいこと

「新ノーマライゼーション」2025年6月号

眞榮田純義(まえだまさよし)

1994年10月生まれ(30歳)。沖縄県糸満市出身。2021年2月に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症。2022年4月確定診断を受ける。ALS診断後、自分自身の環境を整えるために訪問看護ステーションを開業。その後、日本ALS協会沖縄県支部長に就任。現在は訪問看護ステーションの仕事を行いながら、沖縄県内のALS患者やそのご家族の方たちのサポートにも力を注いでいる。

私が筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断されたのは、2022年4月のことでした。

最初に体に異変を感じたのは診断から約1年前、自宅でDIY作業をしていたところ利き手である右手の親指に違和感を持ちました。初めのころは腱鞘炎かと思うほどの違和感であったため、湿布などを貼り様子を見ていました。しかし時間がたつにつれ右手の親指の力が入りにくくなり、食事の際のお箸を使うことも難しくなってきました。

またそのころから何の段差もない道でもよくつまずき転倒することが増えました。少しずつ体の不調は出てきていたものの、もともとの病院嫌いな性格もあり受診はせず少し調子が悪いなと思うほどでありました。

その年の年末、自宅で脚立に乗って作業をしていたところ体勢を崩し背中から地面に落ちました。その様子を見ていた母親やパートナーにいい加減病院に行くように言われ、最初の受診から約3か月後に正式な診断がつきALSと診断がつきました。

病気の説明を先生から受けた際、平均的な寿命は3年から5年と教えてもらいました。ただ自発呼吸が難しくなり人工呼吸器を装着した場合は、もっと長く生活することができるということも教えてもらいました。

しかし診断当時の私は、医療的な知識などはまったくなく人工呼吸器の装着をしてしまうと家族に迷惑がかかってしまうんじゃないか? また、しゃべることもできなくなりコミュニケーションの手段を奪われるのではないか?と人工呼吸器を装着して延命をすることに抵抗がありました。

そんな中で私の友人が同じALS患者で人工呼吸器を装着しながらアクティブに活動し、ご自身で家族の介護負担の軽減やコミュニケーションツールの制作などを行っている方と出会いました。私はその方にすぐに会いに行き、いろいろとお話をさせていただきました。その際に私は声を失っても周りとコミュニケーションを取る方法はあるんだということを知りました。コミュニケーション手段を知ったことで私の不安は一つ消えました。しかし私が人工呼吸器をつけて延命をするのに一番心配なことが、家族への介護負担でした。

人工呼吸器を装着すると24時間365日介護が必要になります。そのため家族への介護負担が大きくなります。どうにか家族の介護負担を軽減する方法はないか考え、自分自身で訪問看護ステーションや重度訪問介護など環境をつくっていくことで家族の介護負担の軽減ができるのではないかと考えました。

そこで私は看護師である友人に相談し、訪問看護ステーションの立ち上げに挑戦しました。そして2024年10月に無事開業することができました。

訪問看護ステーションを無事開業することができましたが、私にはまだ挑戦したいことがあります。それは重度訪問介護事業への挑戦です。私の病気は進行性の難病のためこれからどんどん体の機能が奪われていきます。しかしALSになった私だからこそやれることもあると思います。

私はどんな病気や障害をもっている方でも生きることの楽しさを忘れずにいてほしいと思います。私はこれからも自分のやりたい挑戦を続けていきます。