ひと~マイライフ-見えない困難の先に描く未来
「新ノーマライゼーション」2025年9月号
永森志織(ながもりしおり)
1973年札幌市生まれ。社会福祉士。難病当事者として患者支援活動に取り組んでいます。一般社団法人全国膠原病友の会代表理事。特定非営利活動法人難病支援ネット・ジャパン理事。全国難病センター研究会事務局長補佐。一般社団法人日本難病・疾病団体協議会(JPA)事務局。
高校1年生のとき、難病の一つであるSLE(全身性エリテマトーデス)と診断されました。理由のわからない発熱や倦怠感に加え、日光に当たると皮膚がただれて高熱で寝込むようになりました。外に出るときは帽子、手袋、日傘、長袖が欠かせず、真夏の暑さと日差しの間で熱中症になりかけることもありました。手指の関節炎で鉛筆を持つこともつらく、受験生としては非常に厳しい状況でした。
健康だったころの自分とはまるで別人のように体力が落ち、朝から活動しても夕方には動けなくなり、頭も回りません。数百メートル歩く元気すらない日もあり、家に帰ればまず数時間は横になって休みます。まるで冷えたエンジンのようで、温め直せばまた動けますが、急には無理で出力も限られているのを感じました。
出席日数が足りず留年し、特別支援学校に転校しました。入院しながら通学し、授業中にパソコンを使えるようになって勉強がしやすくなりました。困難な状況にある同級生たちと過ごす中で、自分だけが大変なのではないと気づき、少しずつ自分の病気を受け入れられるようになりました。
大学に進学し、一人暮らしを始めましたが、体調は良くなったり悪くなったりを繰り返しました。授業や実習に出られないことも多く、健康な同級生たちと自分を比べて落ち込むこともありました。見た目には病気がわからず、支援を受けるのが難しい面もありました。社会制度を調べましたが、身体障害者手帳や障害年金、ホームヘルプサービス、助成金、障害者雇用率制度などはほとんど対象外でした。唯一、難病患者として医療費の公費負担を受けられたことはありがたかったものの、それ以外の治療費は通常どおりの支払いで、支援としては心もとないと感じました。
こうした経験から、難病の人が暮らしやすい社会をつくりたいと思うようになりました。大学院で社会学を学び、卒業後は難病の患者会に相談員として就職しました。自分のために調べた制度の知識が、相談業務や社会福祉士の勉強に大いに役立ちました。
仕事を続けるうえでは、体力温存に努めています。自宅では物を減らして整理整頓し、家事や雑務の手間を減らして疲れをためないように気をつけています。職場の近くに住み、難しいときは車で通勤。職場には横になれるスペースを確保しています。出張の際は会場近くのホテルに宿泊し、必要な部分だけ参加して部屋で休むこともあります。海外出張では現地の救急病院にかかったこともあり、観光できずに帰ることも少なくありません。リモート会議も意外と疲れるため、その前後は予定を入れず体調を整えています。人と会うときは元気そうに見えるように心がけています。
仕事では難病の支援に関わるさまざまな事業を行っています。全国の相談員向け研修事業を担当する研究会の事務局、難病支援のNPO設立に関わり役員として活動、患者会が発行した機関誌の数十年分を保存・公開する事業にも取り組んでいます。これはインターネットがなかった時代の患者さんたちの記録を社会の発展に役立てたいという思いからです。さらに、自分の病気の患者会地域支部も設立しました。
現在は全国規模の患者会の代表として、医療機関や行政、企業、教育機関、地域社会などと連携しながら、病気の人が暮らしやすい社会の仕組みづくりに取り組んでいます。全国や世界の患者仲間や支援者の皆さんの協力があってこそ、今の活動が成り立っています。
病気にならなければ出会えなかった人たちとともに、未来を創っていけることが私にとって最大の贈り物だと感じています。