ひと~マイライフ-重複障害者として生きて~盲ろう者×精神疾患~

「新ノーマライゼーション」2025年10月号

佐々木来知(ささきらいち)

岩手県岩泉町出身、盛岡市在住。2000年11月29日生まれ。23週6日の超早産で超低出生体重児。生まれたときの体重は560gでした。先天性感音性難聴による重度難聴と未熟児網膜症による視力障害、視野狭窄、夜盲、羞明があります。また、精神障害者保健福祉手帳1種1級も持っています。現在は障がい者グループホームに入居中で、就労継続支援B型事業所に通っている24歳です。コミュニケーション方法は、口話と接近手話と筆談を中心に使っています。

私は先天性感音性難聴による聴覚障害と未熟児網膜症で生まれつきのロービジョンから視覚障害となった盲ろう者です。弱視難聴で補聴器と人工内耳をすればある程度口話でやりとりができますが、手話を使うことでより話の内容が分かりやすいです。

私は双子で生まれてすぐに双子の妹とともに耳が聞こえないことが分かり、1歳から両耳に補聴器をつけて生活していました。

幼稚園は加配付きで地元の幼稚園に通いました。小学校と中学校は難聴学級を新設してもらい地元の学校で双子の妹と共に学びました。

高校は聴覚支援学校で過ごして社会人になってから5年間、地元のホテルで清掃の仕事をしました。

20歳のとき、視力低下に加えて、視野狭窄や夜盲、羞明があることが分かり、見えにくさの面で心の状態が悪化して「適応障害」になり、精神科に入院したこともあります。そして清掃の仕事を続けられなくなり退職、地元の就労継続支援B型事業所に移りました。

その頃、あることがきっかけで盛岡へ引っ越しする決断をしました。それは盲ろう者向け通訳・介助員養成講座を受講していた方から「障がい者グループホームをつくりたい」という話があったからです。

盲ろう者対応のグループホームをつくりたいと聞いて盲ろう者という自分に生きる希望をなくしていた私は藁にもすがる思いで入居を決めて、2024年10月に引越しました。

私は今、「グループホームいろは山岸」に入居しています。集団生活なので大変な部分もありますが、私の盲ろうに対するサポートや精神疾患に対するサポートがあるおかげでなんとか過ごしています。

私は盲ろう者となったときに、生きる希望をなくしていたのですが、グループホームに入居して盲ろう者通訳・介助員の資格がある職員さん、サビ管さんに支えられて、だんだんと「真っ暗なトンネルから抜け出せた」という感覚になりました。

盲ろう者でも生きていていいんだという気持ちになれたのは、グループホームの盲ろう者通訳・介助員の資格がある職員さんや盲ろう者友の会のみんなが温かく見守って支えてくれたおかげだと思います。

なので私も同じように盲ろう者で生きる希望をなくしてる人などに『ひとりじゃないよ』と支えていける存在になりたいです。

そして何度か講演させていただいていますが、地域の方に「盲ろう者とは?」ということを知ってもらうきっかけづくりのための講演会をもっとできたらいいなと思っています。

それからもう一つ夢があります。それは盲ろう者の私でも「あはき師」になるという目標です。

精神疾患もある私ですが、何か資格を取得して働きたいなと思っていたときに、盲ろう者であはき師の資格がある人がいることが分かり私もがんばっていけたらいいと思っています。

視覚支援学校に入学して勉強することは大変だと思いますが、夢を捨てずにがんばりたいです。

私が皆さんにお伝えしたいことは、『盲ろう者でもできることがある』『盲ろう者は孤独じゃない。そして支えてくれる人がまわりにいっぱいいるから諦めないで生きてほしい』『盲ろう者でも輝ける』これをみんなに伝えていける存在になりたいです。