障害者と共に歩んだ45年間
「新ノーマライゼーション」2025年11月号
一般社団法人日本筋ジストロフィー協会 上級顧問
矢澤健司(やざわけんじ)
45年前(1980年)に生まれた長男が福山型の筋ジストロフィー症であったことから、多くの皆様に支えられてきましたが、その中で支え合うことの優しさが大切なことだと感じてきました。
その一つに、一般社団法人日本筋ジストロフィー協会(以下、筋ジストロフィー協会)がありました。筋ジストロフィー協会東京支部の皆さんはとても優しく、不安を抱えた私たち親子を迎えてくださいました。おかげさまで4人の子ども(そのうち2人は患者)と明るい家庭を持つことができました。
航空宇宙技術研究所(現JAXA)の短距離離着陸機STOL機飛鳥の開発プロジェクトのため1985年岐阜に転勤しました。解析担当として勤務する傍ら、岐阜支部の活動に参加して、何かできることはないかと思いついたのが、東京の研究所の大型計算機に電話回線で接続した通信回線の技術(パソコン通信)でした。岐阜支部で発行していた機関誌の編集は各担当者がパソコンやワープロで原稿を作っていましたが、ファイルの形式(OS)が異なるため一括して編集ができませんでした。そこで一度パソコン通信を使ってそれぞれの原稿をホスト局へアップし、それをパソコンでダウンロードすることにより編集が可能になり、編集して会報の印刷画面を打ち出すことができました。原稿は国立療養所長良病院(当時)に入院していた患者さんにも手伝っていただき、分担することができました。この経験から、パソコンやワープロの作業が筋肉の力の衰えていく筋ジストロフィーの患者にとても有用だとわかりました。パソコン通信を活用することにより遠隔地の仲間とも交流することができる素晴らしいツールとして大きな可能性を持っていることを確信しました。
1990年、プロジェクトが終了し転勤先の岐阜から東京に戻りましたが、岐阜の支部長だった高橋徹さんから、パソコン通信研究会をつくりたいとの話があり、全国の成人患者が中心になり会を立ち上げました。その結果、1991年秋の仙台大会で第1回のパソコン通信を使った電子会議を行うことになりました。仙台の第三セクターのプロバイダー「コミネット仙台」から無料のIDを10個発行してもらい、大会の数か月前から成人部会のテーマごとの会議室に書き込みしてもらいました。当日もリアルタイムに会議中の発言内容をボランティアに打ち込んでアップしてもらい全国に中継しました。
その後、このすばらしい活動を継続するため、本部にパソコン通信のホスト局を開設することを協会の総会で提案し、承認されました。ホスト局をつくるため、船舶振興会(現日本財団)の支援を受けました。
1992年、パソコン通信のホスト局を本部の理事長室に設置しました。船舶振興会から、通信端末のパソコンやワープロの助成を受け、通信技術を全国の会員に広めました。各地で行われた大会で電子会議を開催し、研修会やシンポジウムを毎回開きました。病院の指導室の先生方に協力をお願いし、全国27の筋ジス病棟に通信環境を整備していただきました。患者の運営する「夢の扉」が始まりました。その後、会員は250名集まり、多くの書き込みがあり盛り上がりました。
この電子会議は、1993年には名古屋で開催されたプレ国際大会(愛知大会)で行われ、1994年には京都で海外の筋ジス協会を招待し、第12回WAMDA(World Alliance of Muscular Dystrophy Association)世界大会が行われました。会場内にLANネットワークを張り、WindowsやMacの端末を使い、海外の講演者の話を翻訳し日本語と英語のプロジェクターで会場や電子会議室に掲載されました。
パソコン通信「夢の扉」を多くの会員に利用してもらうために、1992年の第23回三菱財団福祉補助事業に「重度筋ジストロフィー患者のパソコン通信を利用した社会参加の促進と長期療養システムの開発・実践に関する研究」を申請し助成を受けることができました。パソコン・ワープロ研究委員会(PW研究委員会)を立ち上げ、座長には川崎医療大学の太田茂先生、委員として国立精神神経センター埜中征哉先生、国立特殊教育研究所渡辺章先生にお願いし、その他会員から3名が参加しました。委員会の目標として、1.楽しく交流できる企画、2.最新医療情報等役に立つ情報、3.使いやすい環境の三つを掲げました。最初は「埜中先生何でも相談室」と「最新医療情報」だけでしたが、「埜中先生の待合室」を作ったところたくさんの書き込みがあり一番人気の会議室になりました。深川常雄さんが企画した「エッセイコンテスト」や「誕生日お祝いメッセージ」はとても好評でした。
1994年に、第25回三菱財団福祉補助事業によるパソコン通信「夢の扉」による重度障害者の電子会議を利用した社会参加と国際交流の促進を行いました。
1995年にはシンガポールで開催された国際会議「障害者のためのテクノロジー」に14名の派遣団をつくり参加しました。当日は、深川さんは「パソコン通信による社会参加と自立生活の取り組みについて」を英語で発表し、今野さんは、英語で「障害者のために科学技術をいかに活用するか」を発表しました。大勢の参加者が見守る中で、英語でジョークまで飛び出すお二人の立派な姿は頼もしく、胸にこみあげるものを感じました。
1995年1月には阪神・淡路大震災が起こり、多くのボランティアがパソコン通信を使って支援していました。夢の扉も支援のメッセージを送り、寄付を集め被災地に送りました。
1999年には、マイクロソフト社の社会貢献プロジェクト「夢の扉(マルチメディア)事業」で2000年問題(計算機の日付を管理するデータがビット不足のため不具合を起こす問題)があり、夢の扉で使っていたワークステーションは改修するために多額な費用が掛かるため、夢の扉をインターネットによるホームページに移行することになりました。
2003年では、日本財団助成により「情報技術整備事業」が行われ、医療・福祉の情報提供、ITとインターネット検定の助成、福祉住環境コーディネータ講習と検定の助成、支部のホームページ開設援助、支部活動の紹介が行われました。
当協会は厚生省精神神経疾患委託研究に参加し、第4班「筋ジストロフィー患者のQOL向上のための総合研究」に参加しました。2006年、毎年開かれている筋ジストロフィー研究班の中で全国27の筋ジス病棟のアンケート調査を国立病院機構の協力により行い、パソコンを使ったICT技術が患者のQOLの向上に役立っていることが明らかになり、このことを研究班会議で発表を行いました。研究班の活動は現在も継続しています。
この他の活動として、2013年4月から石原傳幸先生が毎週金曜日に東京支部会員の訪問診療を始められ、私は運転手兼かばん持ちとして8年間車で都内中を走っておりました。
2014年に日本神経学会と日本小児神経学会と共同で国立精神・神経研究センターが「デュシェンヌ型筋ジストロフィー診療ガイドライン」を初めて作りました。筋ジストロフィー研究は1968年に沖中重雄東京大学教授によって組織された筋ジストロフィー研究班体制でき、1971年から分離して臨床研究を担当した山田班が源流です。祖父江班(1978年~)、西谷班(1984年~)、高橋班(1990年~)、石原班(1996年~)、川井班(2002年~)、小牧班(2011年~)に至っています。このガイドライン作成には幅広い専門家が関わっていますが、医療の受け手である患者側の意向も反映させるために筋ジストロフィー協会からも作成委員の一人として私が参加させていただきました。非常な貴重な体験をさせていただき感謝しております。
1992~2023年まで一般社団法人日本筋ジストロフィー協会の理事(2010~副理事長)として、2011~2023年までNPO法人日本障害者協議会理事として、その他2006年から障害をもつ子どものグループ連絡会の会長として障害をもつ人たちの地域での環境づくりのために活動を行っています。今後も微力ではありますが、少しでもお役に立てるように努力をしていきたいと思っております。