ひと~マイライフ-情報と出会いが、私の「できること」をつくった
「新ノーマライゼーション」2025年11月号
大向優貴(おおむかいゆき)
19歳でC7頚髄損傷を負い頚髄損傷となる。学びを続け、日本で初めて四肢麻痺で作業療法士資格を取得。現在はシステム開発職として働きながら、当事者としての経験を学生や社会に伝える活動を続けている。
大学2回生の夏、2012年8月、出身高校のプールに飛び込んだ際、頭部を底にぶつけ頸髄損傷となりました。作業療法学科の学生だった私は偶然にも受傷前に脊髄損傷について勉強していたのですが、まさか自分が当事者になるとは思ってもいませんでした。今後の人生がどうなるのか、退院後の生活はどうなるのか、不安でいっぱいでした。
受傷から2年間大学を休学し、リハビリに励みました。そこから小さな挑戦を繰り返して今の自分があるわけですが、振り返って思うのは、私は本当に恵まれていたということです。何に恵まれていたか。それは、情報がたくさんあった、たくさん手に入れられる環境にあったことです。
受傷時、病院の転院先やリハビリ施設について、大学の教授が脊髄損傷の患者が多いところを教えてくれました。おかげでリハビリ施設では同世代の脊髄損傷者と悩みを共有し、脊髄損傷をよく知る職員の方々に支えてもらいながらリハビリに励むことができました。
大学の先生や実習地の先生方のご配慮のおかげで作業療法士の資格を取得することができましたが、卒業後は一般企業で働くことを選びました。
就活では、仲間に教えてもらった障害者雇用の斡旋サイトに登録しました。そして就労の際には、自分の障害説明書を作成し上司に提出しました。友人が就職先との打ち合わせで「私たちにはあなたにどんな配慮をしたらよいのかわからないから教えてほしい」と言われたという話を聞き、この書類の作成を思いつきました。自分にどういった障害があり、何ができて何ができないのか、障害が原因でどういったことが起こりうるのか。相手に自分を理解してもらうことが、自分の働く環境をつくるうえで大切だと考えたからです。
就職先の業務内容は健常の時に私が望んだものではありませんでした。しかし、自分の仕事が認められたり、毎月きちんとお給料をもらって自分のお金で生活ができるようになると、これはこれでなかなか良いのではないかと思えるようになっていきました。また、学校は全員が同じことをしなくてはいけないことが多く、ついていけない、できないことをどうしたらよいか悩むこともありましたが、仕事は各々が役割をもってできることをするので、そういった悩みはなくなりました。
そういった経験を経て、今は作業療法・理学療法の学生さんに脊髄損傷の授業を行っています。
始めた理由は2つあります。1つは、せっかくいろんな人が協力してくれて取得した作業療法士の資格を何かに使いたいと思ったから。もう1つは、自分がいろいろやってみようと思えたのは情報があったから、一緒に考えてくれる人がいたからだと気づいたからです。だとしたら、私にできることは伝えることではないかと思いました。
授業では、教科書に書かれている情報だけでなく、実際の生活のこと、ADLの工夫、環境整備の具体例、そして当事者だからこそ伝えられる心理面のことや社会との関わりについて話しています。実際に当事者が話をすることで、学生たちが将来患者さんと向き合う時に、少しでも具体的にイメージできるようになればと思っています。
最近では授業にも慣れてきて、まだ自分にできることがあるのではないかとも思っています。情報を必要としている人、一緒に考えてくれる人を求めている人は、きっと他にもいるはずです。
授業以外にも、自分の経験を活かしてできることを、これから少しずつ見つけていきたいと思っています。具体的に何ができるかはまだ模索中ですが、一歩ずつ、自分なりの形を探していくつもりです。
支えてくれた多くの人たちへの感謝を胸に、今度は自分が誰かの力になれたらと思っています。