デイジーユーザー大学生からの提言
私は、2008年教科書バリアフリー法制定に向けた、デイジー教材の有効性の検証プロジェクトのモニターを務めた小学生の1人でした。
私は、デイジー教科書第一世代ですが、同世代の1人も、現在私と同様に大学生となっています。
このデータは、視線を記録する機械で、外国人児童の読み能力検査をしているプロジェクトのお手伝いをした際に、私も被検者になって取ったデータです。
この赤い丸は視線が留まっているところで、大きくなればなるほど、長く留まっていることになります。「かば」の話ですが、私が、初見で、初めて読むと、「かば」を「カバン」と2回ほど読みまちがえてしまいました。かばの鼻の話が出てきてから、誤りに気づき、修正することができています。このように、私の場合、とくに平仮名は苦手です。
小学校2年生の夏休み、本を5冊読み感想文を書くという宿題がありました。
両親の前で、『わかったさんのドーナツ』という絵本の見開きページを読むと、10分以上かかりました。
両親は、それで何かおかしいと気づいたそうです。
その夏は、父親と読みの特訓をしました。結局、上手に読めるようにはなりませんでしたが、自分自身、読みが苦手なことを自覚させられる良い機会になりました。
特訓の中、区別が難しい言葉がありました。
たとえば、「今日(きょう)」と「昨日(きのう)」の「よ」と「の」は、ともに、くるっと書きますが、私にとっては、その2つの区別が難しかったのです。
似ているように見えてしまうのです。
現在は、短い文章であれば、読めるのですが、それでも、長くなり大量になると読めなくなってしまったり、他の行と混ざってしまって、別なところを読んだりしてしまいます。
注意力を維持して読むのにエネルギーを要するため、長時間、文字を見ていると、ピントが合わなくなって、焦点がずれたりして困っています。
さて、小学校3年生からは、大阪医科大学LDセンターに隔週で通えることになりました。
「弱いところを伸ばすのではなく、強いところを伸ばすことが大切」という指導方針でした。
ここに示したのは、センターから親に渡された助言コメントの写しです。
「文節切り」「漢字へのルビふり」についての重要な指摘があります。
ただし、漢字のルビふりですが、私の場合は、ひらがなが読みにくいので、「ルビ」では困ってしまいます。
この点、音声が付いたデイジー教科書による支援は、高学年になってから始まりましたが、とても助かりました。
3年生から6年生まで、隔週で4年間、LDセンターに通い、間違い探し、想像力、説明力、時間管理など、様々な「できるところを伸ばすトレーニング」を行いました。
これは、漢方薬のようにじわじわと効果があったと思います。
この間、母親が読み聞かせなどを行ってくれました。また、音読の宿題では、母親と1文ずつ交互に読んでもらっていました。これにより、授業で当たった時は、覚えていて読むことができていました。こうした家庭での配慮には、感謝しています。
さて、デイジー教科書と出会ったのは、小学校5年生の冬で、高学年になり、教科書の厚くなってきたころでした。
小学校の時は、「音読の宿題」のために使っていました。
中学校と高校は、テスト勉強を行うために教科書を読むのに使っていました。
パソコンや、iPod touch、iPadを使って、様々なアプリで、デイジー教科書を読んできました。
学校の中では、あまり使っていませんでした。
使わなかった理由としては、そういった方法に慣れていなかったことと、教科書に関しては事前に学習ができたからです。
しかし、道徳の授業などで、その場で資料を渡されるものは、黙読と言われると時間内に全て読みきれませんでした。先生が音読してくれると助かりました。
高校では、先生によっては、自習時間に音楽を聞いてよかったので、そこでみんなと同じようにイヤホンをして、デイジーを使っていました。
デイジー教科書を利用して良かったことは、誰かの手を借りなくも、自力で勉強できることです。
私は小さい時から、本は大好きでした。しかし、ずっと、身近な人が読んでくれるのを聴いていて、自分で読むのは苦手でした。でも、デイジーに出会って、自分で読める、もっと読もうという意欲がわいてきました。しかし、デイジー化されている図書は限られました。そのため、同世代と比べると、今でも語彙力がないと自覚させられています。
また、音読の宿題では、デイジーで3回読むと、自力で1回音読したのと同じという約束だったので、LP Playerという再生ソフトで、早回しにして聞きました。早く遊びたかったからです。
2倍速くらいでしょうか。いわゆる速聴です。そうした速聴が能力開発にもなったように感じています。
デイジー教科書を使うことによって、教科書の内容理解も深まり、成績も向上しました。また、短い文章であれば自力で読めるようになりました。
できないとあきらめてしまうのではなく、何事もチャレンジしてできるか試していこうとする姿勢を身につけることができました。
できるところが伸ばせた分、できないことも、いっそう補えるようになりました。
ポジティブな姿勢が好循環したと言えるでしょう。
公立中学での配慮は、ほぼ、ありませんでした。そのためか、「自分の力で乗り切ろう」という気持ちはかえって強くなりました。もちろん、デイジー教科書がなければ、そのようにポジティブな気持ちにはなれなかったと思います。テストでは、まったく配慮がなかったため、読解を基本とする問題(国語や数学文章題)は、苦手でした。問題文の量から、全て解ききることができなかったり、問題の読み間違えから、分かっているところが解けなかったりと、テストでは苦戦しました。
とくに、行間を詰めた行は読めなかったり、強調部分の下線がどこについているか分からないといったことがありました。下線で強調するより、その文字に色をつけてくれた方が私にとっては嬉しかったのです。また、拡大するより、行間を広くしてもらった方が見やすくなったのです。そのためには別紙で作ることになるので、こうした配慮はありませんでした。
そんな中学生活のなか、素敵な本との出会いもありました。ハリーポッターシリーズです。
サピエ図書館で、文字テキストが付かない音声だけのデイジー図書が入手できることを知って、その音声デイジーと本を使って、ハリーポッターを自力で読むことができました。
これによって、ハリーポッターの世界をよりリアルに感じることができ、本の世界を楽しむことができました。
高校は、私立校でした。その学校としては、ディスレクシアへの対応は初めてと言われましたが、とても親切な配慮がありました。大学入試で困らないようにと、試験時の配慮が導入されたのです。デイジーでの試験の支援はなかったのですが、別室、時間延長1.3倍、テスト用紙拡大で受けることができました。また、テスト後に、テスト用紙や時間について丁寧に保健室の先生とやり取りしてもらっていました。ただ、たいへんだったのは、高校の教科書になると、簡単にデイジー教科書が手に入らないという点です。これは、現在でも大きな課題として、日本社会に横たわっています。
私の場合は、日本ライトハウスのご厚意で、必要な教科書をデイジー化してもらっていました。
このような配慮もあり、高校時の成績と特別入試で、大学に現役で進むことができました。
しかし、センター試験では、特別配慮としてデイジーの使用を申請しましたが、事務局は、「デイジーって何ですか」という冷たい反応でした。
結局、高校で実施されていた試験配慮の範囲内で認められました。これもとても困る問題だと思います。
私がセンター入試を受けたときに、人による読み支援を受けた方が1人いたそうです。拡大や、時間延長よりは、読み上げてもらえる方が良いのですが、大学の先生に読んでもらうとなると自分の好きな箇所を何度も読んでもらうのは、言いにくい人もいるのではないでしょうか。デイジーを用いれば、自分自身の好きな箇所を何度も好きなタイミングで止めることができ、繰り返し聞くことができます。
また、同じタイミングで受ける試験で、公正さも必要になってくる試験だと思います。1人なら対応できるかもしれませんが、複数人にそのような条件の受験者が増えた時、全員に同じ条件で受験させることはではないでしょう。デイジーを使えば、同じ音源を使うことで同じ条件で、その受験者自身のやりたい方法、タイミングなどの自由度を上げることによって、公正さも保てるのではないだろうかと思います。
私の場合は、人が読むスピードだと、試験時間の中で受けることができないので、早くして読みたいです。スピードを速くするにしても、ピッチを変えることで、聞きやすい音にする必要性もあるでしょう。 先ほども、少し指摘しましたが、この間、デイジー教科書による読み支援については、力が入れられてきましたが、成績評価のためのテストの音声化を実施している学校は、ほとんどありません。
このためにも、率先して、センター入試ではデイジーを導入してほしいです。
それによって、初等・中等学校でも、大学でも、その入学試験や日常のテストで当然の配慮とされる日が早まると思います。
センター入試で特別配慮の申請に伴い、読み困難の診断書が認められました。その際実施した、大人向けの検査、WISC4の結果を個人データですが参考のためにお見せします。(これについては、個人情報保護の観点からデータを省略します。)
デイジー支援を受けてきた私は、なんとか、大学生になることができました。入った学部は、情報科学系学部だったのですが、入学して半年間の配慮は十分と言えるものではありませんでした。
両親と大学学部との半年ほどの交渉の末、1回生の後期から、やっと、試験時に、PC読み上げと用紙拡大、時間延長を別室と組み合わせて実施してもらえるようになりました。
現在、大学の定期テストでは、デイジーは使っていません。
合成音声でテキスト読み上げるソフトを使って、試験を受けています。
このソフトは、読みが完全には正確ではないうえに、キーボードを使って、読み上げる位置を動かし、調整しないといけないので使いにくさがあります。
また、自動で上から順に読み上げるようにもできますが、途中で止めると最初から再スタートするようになっています。
このシステムは、1行ずつの時でも同じようになります。
大学には障害学生支援室という制度が整ってはいるのですが、そもそも、ディスレクシア学生は大学に入学してこないと思っているように感じます。
図書館でも、特別な配慮が始まりました。しかし、テキストデータ化できる量が制限されていたり、最低でも1ヶ月かかったりするために利用していません。
過去に利用者がテキストデータ化を希望したものは全ての利用者が見ることができますが、利用者のほとんどが文系学生であるために、理系学生が利用する本は上がっていません。
このように、まだ支援環境は十分とは言えません。
情報系学部にいるということもあり、大学生になって、様々な自立に向けての「ツール」や技法を身に付けることができました。
しかし、教科書や参考書は、図書館にあらかじめ、私たちディスレクシアでも読める形式のデジタル図書化を、ぜひ、希望したいです。
教科書や参考書を買うときは、テキストデータ情報が手に入るものを現在は選んで買っています。
また、研究室に配属されてからは、輪講で使用する本などは、スキャンしたものを全員が利用できます。
テキスト化されていなくても、自分で、スキャンするより、スキャンされたものの方が、OCRがテキスト化しやすいので、とてもありがたいです。
ディスレクシア大学生の支援では、大学図書館が果たさねばならない役割は大きいと思います。
私の大学図書館では、医師の診断がある人に対して必要な資料や図書のデジタルデータ化のサポートが認められています。
しかし、そのデジタルテキストもすぐには手に入らない点や、冊数が限定されるので、私は有効な活用はできていません。
紙媒体からデジタル化は時間がかかるので、デジタルデータを入手したいのですが、出版社からはもらうことができません。
私は、著者である先生から直接データをもらって、自分でデイジー化しています。
図書館に対しては、授業の教科書・参考図書は、デイジー化してほしいと思います。そもそも、著者である大学研究者は率先してデイジー化すべきではないでしょうか。
理系図書も、新しい技術を活用して、デイジー化していってほしいです!
EPUBはデイジーの最新規格ですが、音声シンクロは必須です。その機能を使いつくして、アクセシビリティを最大限追求してもらいたいと思います。
大学図書館関係者には、たんなるテキストデータ化で良いとする考えもあるようですが、それは間違いです。デイジー化を利用者個人に任せるのも、非効率的です。大学図書館が、責任を持った合理的配慮の仕組みが必要だと思います。
難しい語彙の読み、図表などの説明付加、高度な数式などは、正確な読み音声やデータが組み込まれていないと、読めないのです。デイジー化には、デイジーを作成する様々なツールを使った専門技能が必要です。
こうした技術を持つ専門家が大学図書館には必須です。
ディスレクシアは文字が読みにくいのですが、その原因としては、眼球の運動に問題がある場合や、文字の認知に問題がある場合があるそうです。しかし、支援が整えば、そうした困難を乗り越えることができるのです。 近眼の人が、「めがね」をかければ、見えるのと同じです。
メガネのようにみんながその使い方を知ることができ、必要な人は誰もが利用できる環境を作るべきです。
私は、親、学校、塾、支援者、そして、デイジーとその他のツールに支えられて、非常に恵まれた環境にいれたことを感謝しています。
親の中には、障害なんて自分の子が持っているわけはないと支援を拒絶したり、環境を整える努力を怠ったりするケースもあります。私は、親の意識も大切だと思います。
デイジーと出会い、デジタル支援ツールの可能性を体感的に理解ができました。
しかし、今まで説明してきたように、社会として解決してほしい問題も残っています 。
学ぶことが嫌いな人は、いないと思います。しかし、読みにくさのために、学校生活で不幸になってしまっている子どもたちはたくさんいます。
みんなが自信を持って、勉強できる環境を、ぜひ、作っていきたいと思います。
私も、「障害が障害とはならない世界、支援が特別扱いではなく、普通だ、当然だという世界」 になるように貢献していきたいと思っています。
以上です。