パネリスト:
南 由美子 (一社)全日本難聴者・中途失聴者団体連合会
土橋 喜人 金沢工業大学教授
赤松 英知 きょうされん常務理事
黒岩 海映 弁護士
座長:
田中 伸明 (福)日本視覚障害者団体連合/弁護士/JDF政策委員長
増田 一世 (特非)日本障害者協議会常務理事
田中/皆さま、午前中に引き続きまして午後はシンポジウムを開催します。午前に続きまして司会を担当します田中です。
私の自己紹介は午前中に話しましたので増田座長に時間をお譲りします。
増田/ご紹介いただきました日本障害者協議会(JD)の増田一世と申します。職場は埼玉県のやどかりの里で精神障害のある人たちと出版事業をしています。JDにかかわることで、障害者施策について考えたり、当事者運動にかかわったり、日本障害フォーラムでも学ばせていただいています。
さて、シンポジウム1の狙いについて私からお話しさせていただきます。
シンポジウム1のテーマは、「多様性を認め合う社会に ~権利条約と総括所見の課題から」です。2022年9月に国連障害者権利委員会から出された総括所見をさまざまな視点で点検し、総括所見や障害者権利条約(以下、権利条約)を自分たちに身近なものにしていくのかを考える時間にしていきたいと思っています。
権利条約の全文と総括所見は、資料にも掲載しています。総括所見の政府訳は誤訳と思われるところや、読みづらいところがありました.JDF仮訳が掲載されています。
総括所見には重要なことがたくさん書いてありますが、今日のシンポジウムでは、とりわけ4つのことを取り上げていこうと思っています。
テーマ1は、日本の政策はパターナリズムだと権利委員会から指摘されていますが、まずはこれをめぐって4人のシンポジストに話し合っていただきます。
それから2つ目のテーマは、分離政策です。
教育の問題、暮らしの問題、就労の問題、この3つを取り上げながら分離政策について語り合っていただきます。
3つ目のテーマは精神障害をめぐるテーマです。精神障害をめぐる勧告は複数の条文にまたがって出されています。国際的な視点でみた日本の精神医療の問題が指摘されています。この勧告をどう日本で考えていくか示唆されています。
4つ目は国内人権機関です。日本にはまだありません。
この機関にどんな役割を期待するのか、どう作られていったらいいのか考えたいと思っています。今日の出席者はそれぞれのお立場で、ご経験のある皆さんが集まっています。
テーマにある「多様性を認め合う社会に」ということで、同じ総括所見を読んでも、どこに立ち位置を持つかによって見え方が若干違うのではないか。
そういうものが集まると総合的な理解に進むのではないか。
もちろん共通するところも出てくると思います。
4人の方々は皆さんの代表というイメージで発言をしていただこうと思います。なるべくざっくばらんな議論をしたいと考えています。
ステージに一段上がると緊張感があります。できれば皆さんと平場でいるような気持ちで、発言者同士もコメントし合ったり、自由に発言していただければと思っています。
司会者は始めと終わりを宣言するだけなのが理想的ですが、筋書きのないドラマをこれから始めるということの緊張感もあります。
このシンポジウムの「多様性を認め合う社会に」ということですが、先ほどの藤井さんのお話に、日本の痛み、きしみ、ということがありました。
さらに、権利条約というのは社会のあり方を示しているとも指摘をされています。
権利条約や総括所見を日本で実施していくときに、どういう社会を目指していくのか。
国連はこう言った、でも私たちはこう考える――権利条約や総括所見は日本の市民社会の私たちの主体性を問うている気がします。
今日来てくださる皆さん一人ひとりが総括所見や権利条約に向かい合う主体者です。「私だったらこう考える」と思いながら4人のお話を聞いていただけるとありがたいと思っています。
それでは最初のテーマは田中さんに進行していただきます。
田中/できるだけリラックスして意見交換ができたらと思います。
平場のグループディスカッションみたいなイメージで聞いていただけたらと思います。
では最初に登壇者に自己紹介をお願いしていきます。
南さんからお願いします。
南/皆さん、こんにちは。南由美子です。
所属は全日本難聴者・中途失聴者団体連合会です。
今日、皆さんとこういう場でお話ができることをとても楽しみにしておりました。
私は難聴者ということで、いつも聞こえない、聞こえにくい世界にいますが、今日は文字通訳、手話通訳、そして、私の周りにはヒアリングループという、直接音を補聴器に飛ばす機器、そういう準備をしていただきましたので、とてもよく聞き取ることができます。
しかし、私は話が苦手です。
うまく発音ができないことがあります。聞き取りにくいことがあるかもしれません。
ゆっくりはっきり話すように致しますので、よろしくお願いします。
では簡単な自己紹介ということで、聞こえについてなんですけど、先天性進行性の感音性難聴、障害者手帳の6級です。
しかし15年前に取得してから、更新というか、検査をしていませんので、もう少し聴力は落ちている、等級も落ちていると思います。
聞き取りはですね、両耳に補聴器を入れています。耳穴式です。
かなり限界に近いのですが、耳からの情報とあと口元の口の動き、そして文字、手話、色々な方法を取り入れて会話をしています。
二十歳の時まで補聴器はつけていなかったです。
学校でも先生の口の形を読み取って勉強をしていました。
二十歳の時に初めて補聴器を装用し医学的なリハビリを受けました。そのとき、世の中にはこんなに音が溢れているのかと大変驚きました。
それから40歳の時に障害者手帳を取得して、また別の意味のリハビリを受けました。それから、聴覚障害の団体に入り、活動に加わり、ジュネーブには2017年のカナダの傍聴と、2019年事前質問事項の会期、あと2022年の日本審査の3回行っています。ジュネーブでは、全難聴ということで、聞こえの課題、難聴と中途失聴の課題。そのほかに障害のある女性の立場で参加させていただきました。今日はこの2つの立場でお話させていただきたいなと思っています。よろしくお願いいたします。
それでは、代わります。
田中/南さんありがとうございました。
引き続き土橋さん、お願いします。
土橋/ご紹介いただきました、金沢工業大学および宇都宮大学に勤務しております土橋喜人と申します。
これまで戸山サンライズに来た時には、客席側にいたので、初めて台の上に上がって非常に緊張してきました。1分前までは緊張していなかったのですが、考えるとこちらのひな壇に立つのは初めてだと気付いて、今、焦っているところです。
私の自己紹介ですが、私は大学を卒業してから普通に会社員というか銀行員として務めていました。その後、青年海外協力隊に参加しまして、その中で、酔っ払いの運転にはねられて交通事故にあって、日本に救急搬送されて治療を受けました。ですが、その事故の後遺症で、左の膝関節が機能喪失で、股関節が人工関節に置換、あと、左足の足首も腓骨神経麻痺が残っている、かつ右太ももの大腿部が皮膚移植のために非常に醜い形で残っています。右手首もそのときに負傷しています。
いつもは赤いのですが、今日はちょっとおとなしめに青い杖にしています。こういったロフストランド杖、ちょっとしゃれたこのイタリア製のロフストランド杖を使って生活をしています。大学では、今は1年生の教育を、主に教養課程を教えていて、研究としては交通バリアフリーを中心とした障害者あるいは国際協力の関係の研究をしております。
今日はその拙い知識の中で思っていること、考えたことを皆さんと一緒に考えられればと思っております。よろしくお願いします。
田中/土橋さん、ありがとうございました。赤松さんよろしくお願いします。
赤松/きょうされんの赤松です。もともとは大阪や福岡の作業所で障害のある皆さんと一緒に仕事をしていました。
知的障害や身体障害の重度の方とお付き合いをすることが多くて、本当に言葉のない人達とどうコミュニケーションをとって気持ちを重ねていくのかなというので、若い頃から試行錯誤しながらこういった障害者運動にも携わってきたわけなんですが、JDFの取り組みをご一緒する中で、同じ障害分野でもそれまで付き合いのなかった南さんのような障害の方、あるいは視覚障害の方とか、田中さん、精神障害の方も含めて、色んな障害のある方とお付き合いをさせていただくようになって幅を広げていただいた、いろんなことに目を開かせていただいたなという思いがあります。そんな皆さんと一緒に、ジュネーブには4、5回行かせていただきました。
そういった取り組み、国内の取り組みを寄せ集めてロビー活動をやったり、沢山の学びをいただいた数年だったと思います。
集大成として昨年の総括所見を今まさに学び合っている最中です。
なんとか条約本体と合わせて日本の障害のある人たちの暮らしの前進につなげていく道筋を考えていきたいなと思っていて、今日もそのための非常に貴重な機会だと思っています。
できるだけリラックスして、皆さんと忌憚のない議論をしたいと思っています。
どうぞよろしくお願いします。
田中/赤松さんありがとうございました。
続いて黒岩さん、お願いします。
黒岩/弁護士の黒岩海映です。
今日は新潟県の南魚沼市から上越新幹線に乗ってやってきました。
南魚沼市が育った故郷なんですが、弁護士になったのが99年で、最初東京で10年間やっていまして、それから故郷に戻って南魚沼法律事務所を開設しました。私が弁護士を目指していた頃、障害のある方の権利の問題をやりたいという考えは全然なくて、全くそれは想定外だったんですね。どちらかというと、DV、性暴力に関心をもって勉強をしていました。
司法修習生になったときに97年から2年間、東京にいたんですが、茨城県で水戸事件というのがありました。
事件当時非常に大きく報道されていたのに全然テレビを見てなくて知らなかったんですが、修習生の時に事件を知りました。水戸のダンボール加工業の会社で多いときには30人以上も障害のある人ばかりを雇用している会社で、社長は長年、水戸市から障害者雇用に貢献したとして表彰状をもらっていました。
そこで起きていたのが身体的虐待、性的虐待、経済的な搾取、ありとあらゆる虐待が起きていたんです。地域の養護学校は見習い実習に行かせてハローワークを通じて就職させています。いろんな公的機関がかかわって、むしろ障害のある人を送り込んでいたんです。
社長が障害のある従業員をげんこつで殴る姿を目撃している人はいますが、誰も問題視していなかったんです。あるとき、自分の自閉症の娘が、足にすごいアザがある状態で週末に帰省してきたのを見たお母さんが初めて、許せないと立ち上がってから表に出た事件でした。その後運動が下火になってて報道もされていなくて弁護団が辞任してしまってから、事件を知りました。新しい弁護団はわずか3人で活動していました。
性的虐待を受けた知的障害のある成人女性3名が原告となり、性的虐待されている事件をメインに裁判をやっていました。そのころ、滋賀県でよく似たサングループ事件という知的障害者虐待事件があって、大学が関西だったので修習生の先輩から、同じような水戸の事件があって、弁護団も少ないし性的虐待事件だから若手の女性弁護士がやってくれるといいと思うと言われました。
放っておけないと思い、弁護士になったときに近くにいた同期の弁護士に声をかけたらみんな弁護団に入ってくれて、新人弁護士9人で弁護団に加わり、あわせて12人で活動を始めました。
若手時代にどれだけ没頭したかというくらい、夢中になってとりくんだ裁判でした。
5~6年やってかなりいい勝訴の判決をとれました。
他に、2001年から障害者差別解消法を作ろうという活動を日弁連でやるようになりました。
きっかけは水戸事件なんです。水戸事件は知的障害のある女性たちが誰も目撃者がいない性的被害を裁判で証言して立証しなければいけなかった。
それはものすごく大変なことです。
反対尋問を受けてもブレてしまうし、時間も場所も特定できないし、順をおって話もできない。
時間や場所の特定は苦手だけれども、強い感情を伴うような出来事はどんなに知的障害があっても記憶できるし、話すこともできる。話し方については聞き方を工夫すれば大丈夫だと。
今で言う、司法における合理的配慮の問題でしたが、まだ合理的配慮という言葉がなかったんですよね。
リーズナブル・アコモデーションの定訳が決まっていなかった時代です。司法において知的障害のある女性たちの証言を取り扱うのには一定の工夫が必要で、この方たちの証言をただしく評価できなかったんです。そこで合理的配慮を求めて差別禁止法の活動に入ったのがきっかけでした。
それ以来、虐待や差別にかかわる活動を20年くらいやってきました。
差別解消法はできましたし権利条約も批准しましたしそれで社会がよくなったかというと、全然だと思うようになりました。
いろいろな分野がありますが、教育と精神科医療の問題が特に深刻だなと思っています。
世界水準で見てまさに恥ずかしい実態だと強く思うようになりました。
数年前からちゃんと取り組みたいと思うようになったころ、2021年に人権大会という、岡山で行われた日弁連の大会で、配付資料の中で青い表紙の開くとA3になるパンフレットで紹介されているとおり、日弁連として初めて、強制入院廃止を求める決議を出しました。
この人権大会に関わって、それ以来、精神の問題に力を入れて取り組んでいます。
同時にインクルーシブ教育についても、日弁連の差別禁止部会の中で第一人者の大谷恭子弁護士の取り組みをみんなで共有できていなかった反省を込めて、差別禁止部会で重点的に取り組んでいます。
今2大テーマは精神と教育の問題です。
残りの弁護士人生をかけて取り組んで、インクルーシブな社会を実現し、死ぬ前にその景色を眺めて、味わってから死にたいと思っています。
田中/以上のような4名のパネリストをお招きしてシンポジウムを続けていきます。
第1のテーマは、「優生思想、非障害者優先主義」です。
少し難しい言葉が並んでいますが、皆さんと意見交換していきたいと思います。
障害者権利条約については、午前の藤井さんの講演にもありましたが、非常に大きなパラダイム転換をしました。医学モデルから社会モデルへ、それから保護の客体から権利の主体へ。
国連の障害者権利条約では、そういった考え方が変わって、日本も締約国になったわけですが、締約国になった今でもなお障害者はこの社会の中で保護の客体の形で見られているのではないか。
権利の主体、まさに平等を基礎とした一人の個人として尊重されているのかというところもあります。
そこで、パネリストの皆さんにはまず現状、日本で障害者がどう見られているかを率直に語っていただきます。
まず南さんからいかがでしょうか。
南/ありがとうございます。
率直にということですので、そのようにお話させていただきます。
二十歳の時に補聴器を入れて、障害と向き合いました。それまで聞こえないことは自分が悪いと育ってきました。
40歳で福祉制度を知る。障害は社会的障壁だとわかりました。
医学や補聴器機なども進歩していますが、まだまだ生きづらい現状があります。
今は、何をどう取り組んだらいいのかということを考えています。
実は障害のある女性について、この夏にDPI女性障害者ネットワークが報告書を作成しました。先ほど北村先生が当事者の生の声をとおっしゃっていました。
私の声の一部ですが、今ここで読み上げてもよいでしょうか。
名前は匿名です。
テーマは難聴は母から受け継いだ私のルーツ
先天性難聴のMさん幼少期、母と私。おまえもか、親戚のおじさんの口から不用意に漏れた言葉がはっきり耳に届いた。
幼い頃のシーンを今も忘れることができない。聞こえなかった会話をうまくつくろうことができなかった。あぁ失敗してしまった。
母が責められてしまう。次は上手に言わなければ、聞き取れていなくても、聞こえたと。いつの頃からだろう、聞こえないことは隠さなきゃいけないと、そうやってずっと生きてきました。
時々聞こえる。隠そうと思えば隠せる。
ごまかしてばかり、それが私の生き方。
はい、これは幼少期の私の姿ですね。
その後、10代、20代と続いています。
今50代ですね。四捨五入して50歳ということで、先程田中さんが弁護士になって15年で40歳の時にとおっしゃったので、もしかしたら歳が近いのかなと思いました。
ここまで来てね、やっと本当に、今気持ちが楽になりました。
障害者権利条約と出会ったことかな。一番大きかったと思います。
テーマ1は大変難しいテーマですが、どうお話していいのかわからないのですが、本当に優生思想は身近なところに残っています。
おそらく、私の心の中にあります。
障害のある本人でさえもそういう優生思想を持っています。ここをどのようにしたらいいのかなというのが、永遠の課題かなと思っています。
パターナリズムとか、非障害者優先主義、これについても、思うことがたくさんあります。
今日は文字通訳・手話通訳を用意していただいて、ヒアリングループもあって、障壁ない状態です。皆さんと同じ位置で会話ができています。
それは本当に素晴らしいなと思います。
昔バスに乗るのが本当に怖かった。
なぜかと言うと、音声案内だけでは、降りる場所がわからない。
バス停で、次は、どこに止まるのか1駅ずつ確認していました。
今は都内ですと、バスの中に案内の掲示があります。
今はそれが当たり前になっていますが、それが私たちの目指すところなのかなと思います。
(話が変わりますが)同じ聴覚障害がある姪が、学校の先生をやっています。
補聴器を付けていると、教え子が「先生、耳になにつけてるの?」と聞いてくる。すると生徒が、一人、二人と、補聴器をつけるようになったと聞きました。
中学生以降になると軽い難聴がある場合は、補聴器を外す子が多くなるそうです。
中学、高校時代はしっかり勉強する時期であり、友だち関係でも大事な時期ですから、補聴器を正しくつけることは大切です。
障害がある教師が、自分は聞こえにくいから補聴器をつけていると、障害を特別なものとしないで、ありのままを示すことができるのは、生徒たちにインクルーシブ教育をしていると思います。
特に、障害のある教師が少ないと聞きます。もっと増やしていかないと、バスの中の掲示案内みたいに、そう思いました。
田中/南さんありがとうございました。
ご自身の障害のご経験を踏まえてのお話だったと思います。次に、土橋さんにご意見をいただきたいのですが、交通事故で障害を背負われることになったというお話でしたけれど、障害のない人生を生きて、その後障害を背負っての人生を行きていく。こういうご経験をお持ちの土橋さんですので、障害者になってからの周りの見方の変化とか、そういうことと絡めて、コメントをお願いしてよろしいでしょうか。
土橋/私自身、交通事故に遭ったのがちょうど30歳の時です。今、南さんと同じように、私も50代になります。人生の半分を健常者、半分を障害者として過ごしています。私自身としては、どちらもかわりはないと自分では思っています。
それには背景があると思っています。私の父が札幌いちご会という団体で自立生活運動の支援をしていました。小山内美智子さんが中心となっているんですが、父がその支援を私が小学校のときからやっていて、私も時々出入りしたりして、小山内さんたちと触れ合うことがありました。障害者といても、知っているお姉さん・お兄さんという位置づけでした。
先ほど南さんから補聴器をつけなさいという話が出たんですが、私のときは、交通事故に遭った直後は左足側に大きなカバーをかぶせていました。外出するときは2本杖で歩いていました。それを見た主治医が、「土橋君、恥ずかしくない? いいの、それで? カバー丸出しだよ」と言ったんです。私としては、できるだけ目立つ格好をすることで、人がぶつかってきたりして、危ない状態になったときにすぐにわかってもらえる状態の方がいいと思っていたし、障害を持っていること、けがをしていることは恥ずかしいことではなかったんです。人によって価値判断が変わる。これもパターナリズムの一つだったんじゃないかと、今考えると感じるところがあります。
私自身、障害を持っている今の状態は、たまたまこうなっただけで、お蔭様でそのほかの生活については、そこそこ幸せな生活をしていると思っています。それには障害のある・なしというのは全く関係ないし、それに対して周りが、「君は障害があるから不幸に違いない」とか決めつけられるのは正直言って、「違うんじゃないのかな」と自分ではいつも思っています。ただそういわれたら、「そうですね」ぐらいで返すようにしています。話しだすと止まらないのでこの辺にしておきます。
田中/ありがとうございました。
これまで南さんと土橋さん、障害当事者のお二人から伺いました。
次に、赤松さんにお話を伺いたいのですが、長く障害のある方の支援や、制度改革に携わってきたお立場から、日本における障害者の見方についてコメントをいただければと思います。
赤松/私は条約のキーワードのひとつである社会モデルを学んだときに、そういうことかと、言語化できたような気がしたんです。
医学モデルというのが、生きづらさの原因を本人の内側の機能障害に求める。だから生きづらいのだと。
優生思想も非障害者優先主義も、ここに根っこがあるのかなと、医学モデルと社会モデルを学んだときに自分の中で初めて言語化できた気がします。
私も作業所で障害のある仲間たちと働きながら、分け隔てなく、自分も障害があるなしにかかわらずと思いながら仕事をしていたんですが、自分がいざ子どもを持つことになったら、障害を持たないで生まれてほしいと思ってしまいました。そういう中で自分の中でも納得いかないものがあったのですが、それが自分の中の優生思想の一つだったと思います。
医学モデルが優勢の社会の中で機能障害を持つというのは、生きづらくなる原因なので、当然、障害を持つこと自体がネガティブなこと、かわいそうなことになってしまう。そうすると障害のある人たちは守ってあげなければいけない存在だとか、障害のある人たちは何をするかわからないから閉じ込めておかないといけないとか、ふとした瞬間に自分と同じ人間として見なくなってしまうという恐ろしさを感じました。津久井やまゆり事件の犯人がそうですか、障害のある人を自分と同じ人間とはみてないわけです。違う存在だと見ているわけです。
医学モデルを乗り越える意味というのは、障害とかいろんな属性を超えて同じ人間だととらえなおすことにも通じるだろうと感じます。それがないと本当の意味で非障害者優先主義は克服できないと思います。
この社会はあらゆるシステムが障害のないマジョリティの基準で作られているので当然、マイノリティの障害のある人には生きづらいことがいっぱいある。そのことに我々自身が気づいて一緒になって、制度だったり物理的なバリアだったりを解消していく。
そういうことを一歩一歩積み上げる必要があると感じています。
田中/次に黒岩さんにコメントいただきたいと思います。
弁護士になられてから長く障害者の権利擁護に尽力されてきた立場から、この優生思想や非障害者優先主義についてコメントいただきたいと思います。
黒岩/パターナリズムという言葉って、どれだけ一般的に知られているでしょうかね。
総括所見のJDF訳がありますが、日弁連訳というのも作っています。
訳語って本当にわかりにくい。政府訳は、意図的にわかりにくくしているのかな、意図的にその言葉の本来の趣旨を損なわせているのかと思うくらい、違う訳がところどころあるんです。
それは放っておけないということで日弁連訳を作っていて、パターナリズムをどう訳すか。
政府が温情主義と訳していて、JDFは父権主義でしたよね。
パターナリズムの「パ」はパパ、父なんです。語源的に父権主義が正しい。
日本はこのパターナリズムが強いと思うんです。
よけいなおせっかいなんですね。それがたまたま困っている人のニーズに合致していればありがたい親切にもなるし、本人の意向も聞かずに勝手に押し付け的な合理的配慮があるというのは、当事者の方は1回は経験があると思いますが、単なる余計なお節介になってしまう。日本はそれが強くて、法制度もいろんな考え方がそれなんですね、パターナリズム。
前提には、障害者は劣った存在で弱くて守ってあげなければいけない存在というのがあるから、余計なお節介が出てくると思うんです。
精神科の強制入院も「医療及び保護」と言って本人を保護するためとなっているんですね。
良心的なお医者さんでも、本人もつらいんだから隔離収容させてそれ以上、人を傷つけないようにした方がいいとおっしゃるんです。分離教育もそれが子どものためだと、よしとする方は絶対おっしゃるんですよ。悪気はなく、よかれと思ってやっておられる。
でも、その根底にある障害者観、障害のある人をどう捉えているか、見直して欲しいんですね。パターナリズムではなく、その人に必要な支援を届けるのは、本人の自己決定権を大切に本人が必要としているものだけ与えればいいはずですよね。それが実現すればパターナリズムは必要ないと思います。上からやってあげるというのがパターナリズムですが、本人が必要としているものに応えるというのが支援の大原則だと思っています。
今の日本では多数派を占める障害観と合っていなくて、国際潮流からも遅れているのはその部分じゃないかなとすごく思っています。パターナリズムが根底にあって、分離、分断、収容、というものに繋がっているのが日本の社会ですし、特に教育のことで言うと、その子のあるスキルを伸ばすには、別室で大人と1対1で、例えば読み書きを徹底的に教える方がその子の読み書き能力があがる、だから分離して教える方が効果的なのだというものから、分離教育の正当性が出てくるんですが、その子がもしかしたら読み書きが伸びるかもしれないが、分離された中で育った子どもが、大人になって社会でどうやって周りと交わっていくかがわかるのか。
その子が別室に行かされてしまい、残る普通学級の子どもたちは、障害のある子と交わったことがないのに、共生社会と言われて、年に1回ポスターが貼られたりするだけで、共生社会が本当に実現するのかと思うんですよね。そのときのその瞬間と、あと一定の特定の能力だけを見た時に、もしかしたらその子のためになっているかもしれないことが、本当に長い人生のスパンで見た時に、その子のためになるのかということと、私たちが目指したい社会、目指すべき社会を考えたときに、逆算して考えた時に個別の教育を与えたことが本当にいいのかということを考えていかないといけない。
パターナリズムというのが一見よく作用していることがあるので、つまり、必要な支援として届いていればですが。
そこが間違われがちだと思いますが、スタートする時は、上からのパターナリズムではなく、本人の自己決定、本人のニーズであるべきだなと思います。
田中/今、4人の方にそれぞれコメントをいただきました。
お聞きいただいた皆様の心の中には何が残ったでしょうか。
これは一人ひとりの中で考えていただきたいテーマだと思っております。
実は障害者権利条約の第8条には、「意識の向上」という条文があります。今回の総括所見でも、第8条について懸念事項と勧告事項が出されています。勧告事項は2つありますが、このうち(a)項には、「障害者に対する否定的な定型化された観念、偏見、および有害な慣習を排除するための国家戦力を採用する」と書かれています。障害者権利条約から今の日本を見たときに、まだまだ障害者に対する定型化された観念が社会に存在する、という見方をしているわけですね。
4人のパネリストの皆さんにお聞きします。そういった障害者の見方について、医学モデルやパターナリズム中心の見方を変えていくために、国や政府に求めたいことや、そのための方策について、何かご意見がありますでしょうか。まず南さん、いかがでしょうか。
南/全難聴の立場で申し上げますと、耳マーク、ご存じでしょうか。
聴こえない人に対し、筆談しますよ、または、私は聴こえませんとか、聴覚障害を表すマークなのですが、この耳マークは、今はコンビニ、銀行、役所には広まっています。ただ、私自身、耳マークをうまく利用できていない部分があります。
皆さん、どのぐらいご存知か分かりませんが認知度も他のマークと比べて低いようです。
自分に関係する必要なマークであることは分かってることなのに、遠ざけておきたい。
そこもやっぱり自分の中の優生の問題が存在するのかなと思います。
先程当事者の声とする複合差別の報告の詩を読み上げましたが、幼少の頃に、「おまえもか」、と親戚のおじさんに言われて、その時の言葉、そのおじさんが私を見る目がとても汚いものを見るような目線でした。そこで私は幼少期に自分の中に、人より劣った自分を感じ取ってしまって、だから私は生まれてきてはいけなかったのかとか、自分が子どもを持つことが許されるのか、許されないのか、そういうことを長い間考え続けてきたというのがあります。
パターナリズム、この社会は男性優位だとか、障害のない人優位だとかありますけども、そのようなことも同時に感じ取ってしまって、この条約に出会わなければ私はもう、もんもんとしたまま人生終わっていたものと思います。
私と同じような障害のある女性が、まだこの条約にたどり着けていない知らない方がのでどうにかしないといけないと感じています。
国家戦略というのは、障害のある女性に対しての条約や総括所見をどういうふうに伝えていくかというところが大きな課題だと思いました。
田中/うまくまとめていただけましたので、1つ目のテーマはこれくらいにしたいと思います。
一人ひとりが自分の心に向き合って取り組んでいくことが必要だと思います。障害のある方を他人が評価するというよりは、本人の意向、意思を中心にして、ニーズとして出していくということが大事なんだろうと思います。
そして、障害のある人が障害のない人と平等な社会生活を送れるような社会基盤を整備することも、偏見や否定的な観念、慣習をなくしていく基礎を造っていくのかなと感じました。
1つ目のテーマについては以上とさせていただきます。
2つ目のテーマについては、増田さんに進行をお願いします。
増田/2つ目のテーマは「分離政策」です。
今までの話でもいろいろ出てきたところがありますが、ここでは、教育、暮らし、就労についてみんなで考えていきたいなと思っています。
分離政策のことを、私は障害者の事業所の職員でもあるので、私たちの実践は分離政策として批判されている……どう考えたらよいのかと思うところでもあります。
分離政策についてそれぞれのご意見を伺っていきたいと思います。トップバッターは土橋さんにお願いします。
土橋/ご指名により僣越ながら話します。自己紹介で申し上げたように、私は交通バリアフリーが専門なので、教育、暮らし、就労というと、ちょっと専門そのものではないです。ただしこれらに欠かせないものが交通手段、交通バリアフリーなのかなと思います。本来であればユニバーサルデザイン、全員が使える公共交通を目指すのが望ましいと思いますが、どうやったら目指せるのか、いろいろ考えてきました。
まず言えるのは、南さんのようにご親族に心ないことを言われてしまうようなことがある。それを我慢せざるをえない、耐えるしかない。ひょっとしたら、人権意識がもっと強ければ、「おじちゃん、それ違うんじゃない?」と言えたかもしれない。そもそも日本では、人権意識がすごく弱いと思います。これは障害者だけということではなくて、一般の人たち、フロアにいる健常者の方であったとしても、自分の権利を主張することはあまりできない、してないのではないかと思います。
どういうことかというと、人と異なることをする、自分の主義主張を言おうとすると、そこに同調圧力がかかってくる。何が問題かというと選択の自由がないことです。南さんは補聴器をつけるかどうかは自分の意志だとおっしゃいましたが、それができるか、できないのかの選択肢があるのか、ないのかで変わってくると思います。それは、教育、暮らし、就労、いずれにも当てはまる。それが自由な選択があるのか、ないのか。今、日本では障害者が教育、働く、住まうということをしようとした場合、選択肢がすごく限られているのが現状としてあります。一般教育を受けようとしても、お前は特別支援学校、特別支援学級に行きなさい、あるいは働くときには「障害者枠でいけ」ということを言われてしまう。実際に私も就職をするとき、交通事故に遭ったあとですが、障害者になってから就職をしようとしたときに障害者枠でどこどこの企業なら行けるんじゃないかということを言われたことがあります。選択肢の自由というのはすごく重要だと思います。
あと私は公共交通が専門なので、それに関して言えば、古くは青い芝の会のバスジャック事件が、1970年代にありました。ここにいらっしゃる半分ぐらいの方がご存じなんじゃないかなと思います。
近年では、バニラエアで、私の友人でもある木島英登さんが、タラップをはって登らされました。そのことによって何が起きたか。彼は大阪の伊丹から鹿児島の奄美大島に飛んだので、そのときの両方の都道府県の差別解消法の窓口に通知して、それが国交省にいき、その結果、全国の空港に対して、通知が出ました。必ず障害者であっても飛行機に乗れるように対応してくださいということとなった。ただ、彼は非常に強い圧力、ストレスを受けました。強い人だったんですけど、この戦いで久々に会った時に彼の髪の毛が真っ白になってしまっていました。1人で日本国の国土交通省を相手に闘ったわけですから、それが代償だったのかなという気がします。ただ、彼のおかげで全国の空港の対応が変わりました。
あと、伊是名夏子さんが、JRで車いすの乗車拒否をされました。ブログに書いたら炎上しました。なんで炎上するかというと、世の中の心ない人が、目立つ活動や発言をする人に対して悪口を言うわけです。違うことをしようとすると同調圧力がかる、これが日本の現状です。これが人権意識が高い社会で起きていたのなら、そうではなくてサポートする人たちがもっといたのでないかと思います。彼女もそれを乗り越えて、障害者関係の活動をしていると聞いています。
言いたいことは、社会が変わっていく必要があるということ。これは障害者うんぬんということだけではなくて、違った意見を持つこと、異なった意見を言うこと、それをちゃんと許容できる社会が作られていく必要があります。成熟した社会が作られる必要があると思います。そのためには知ること、交わることが重要。黒岩先生からも、人生をかけて障害者と健常者が交わらないまま一生過ごしていいのか、それはそうではない。それが交わることで、お互いを知ること、そのことによって理解し合って普通に車いすで急な坂を上っている人には後ろから押してあげますよ。あるいは白杖を持っている方が、きょろきょろしていたら、どこへ行きますかと普通に声をかけることができればいいのかなと思っています。必要なければ「必要ない」と言って、言われた方も何かあったらいつでもというマインドでいいと思います。
よく言うのは、東京都や内閣府がやっている調査がありますが、障害者に対する意識調査とかで、障害のある人を手助けしたことがありますか? という質問で、助けたことがない人に聴くと、前に助けた時に嫌がられたから、断られた、嫌がられたからトラウマになっているということを言いますが、そうではなくて、助ける、サポートを受ける側も、サポートをする側も、必要なときは必要だし、必要じゃないときは必要ないとお互いに素直に言い合える、そのような社会になっていくことが、最終的には、教育、暮らし、就労、分離政策ではなく、それは一緒になっていくことの効果として現れてくるんじゃないかと思います。長くなりました。以上です。
増田/人権意識を磨く、成熟した社会で、お互いの差異を認める、分離政策を不要にする、そういう意見だったと思います。赤松さん、国連から分離政策を指摘されていますが、いかがでしょうか。
赤松/作業所の分野の人間なので、先程言われたように、権利委員会からは明確に否定されたわけですよね。例えば作業所の観点からいうと、1960年代、70年代、障害のある方の働く場がなくて、一般就労するということを誰も考えないときに、本人たちには働きたいという願いがあって、そういう人達と周囲の関係者が柱一本持ち寄って無認可共同作業所を作りました。それが今のA型事業所やB型事業所等の働く場につながっていますが、そこで閉じた世界をつくるのではなく、地域との交流を含めて取り組んできているわけです。にもかかわらず権利委員会に否定をされて、今までやってきたことは何だったかという話ですね。
結論から言うと、条約が示している展望はやっぱり我々が目指すべき展望だと思います。障害のある人もない人もともに働く社会を目指すべきだと。ただ、そこを目指すための出発点は今の日本の現実であって、今あるワークショップをすぐに解体して、障害のある人がただちに一般就労に向かうのは現実的でしょうか。目指すべき社会へのプロセスはそれぞれの国で考えなさいというのが、条約と権利委員会の立場だと思います。大事だと思っているのは、移行先の一般労働市場が今のままでは、多くの障害のある人は働けません。シェルタードワークショップからの移行と一般労働市場の改革の両方が取り組まれていかないといけないんだろうなと思います。現時点では現実的に考えれば、シェルタードワークショップを希望する人は選択できる、そして一般就労を選択する人はそこで働けるということが大切だと思います。シェルタードワークショップで働いている人を、今のままの一般労働市場にそのまま移行させればいいのかというとそうではない。
制度上の取り組みを進めていって、いつか障害のある人もない人も共に働く社会に向かっていくという道筋をぼんやりとは考えています。しかし正直いうと、知的障害の重い人と働くことが多かったので、一緒に働いていた人たちが一般企業で働いている姿を僕自身が描けていないというのが現状です。一般労働市場でもめいいっぱい改革が進んで、合理的配慮の提供も頑張ってやるようになったとしても、シェルタードワークショップを選択する人はいるのかなということも、少し自分の中で残っているという状況です。
増田/ありがとうございました。日本の福祉的就労の場では、重度の障害者が働いていますよね。海外でこんなに重い障害の人が働いている例はあるんでしょうか。
赤松/海外に行った経験は少ないですが、ドイツ、オランダなんかを見せていただいた経験では、たとえばドイツの作業所でもなかなか工賃が上がらなくて苦しんでいることもある。そこで働いている人達は、日本のB型事業所ほど重度ではないんですよ。日本の作業所で働いている重度障害のある人はどこにいるのかと思ったら、デイセンターにいるらしいのですが、そこの場にまだ見にいったことがありません。障害の重度の方が働くことを保障するという点で言うと、日本の実践は、頑張っている方だと思います。
増田/はい、ありがとうございました。それでは、黒岩さん、インクルーシブ教育の視察に行かれたということで、主に24条、教育の問題についてお話下さると思います。
黒岩/作業所で頑張って来られた皆さんが総括所見を聴いて、ショックを受けられているとか、あるいはグループホームを否定されたという方は、ショックを受けたとか、特別支援教育を否定されて、特別支援学校で頑張っている先生がいっぱいいる中で、ショックを受けた話は結構沢山聞こえるんです。それは残念なことで、国連の障害者権利委員会は、その方達にショックを与えようと総括所見を出しているのではない。国が政策としてインクルーシブをやらないといけない、君たちは作業所、特別支援学級と国が決めてはいけない。
行きたい場所にいける、働きたい形で働くことを国が保障する。女子校とか、一定の特色のある学校とか、特定の理念をもった学校を選んで行くこともある。インクルーシブ教育がいくら実現しても、ろうの方たちは、ろうの集団の中で、母語として手話言語を身に着けなければ、言語とか思考力を獲得していけない。
最終的には選んでいくということが保障されるということがゴールだと思います。
だけど日本では今全然選択肢がない。選んでいるんじゃなくてそこしかないから行っている。
選べたとしても、そこを選んで楽しくやる人もいるでしょう。
否定する趣旨では、国連の委員会ではないと思います。君たちは作業所でしょ、特別支援学校でしょと、国が決めるのをやめなさいというのが、総括所見だと思うので、現場の方ががっかりする必要はない。そのことがもっと伝わるといいなとすごく思います。
特別支援学級で言うと、今すぐ明日なくせと国連も言っているわけではない。総括所見のところです。
分離特別教育を終わらせる目的として、と少し言い回しを工夫している。障害者を包容するインクルーシブ教育、国家の行動計画を採択すると言っています。目指すべきはインクルーシブ教育ですが、そこまでいくのに段階が必要なわけですね。
それに向けた行動計画を作りなさいと国連は言っているんです。
今あるものを特別支援学校を否定するとか、すぐ何かしなさいということではありません。身近に普通学級に行っているお子さんが配慮がないために苦労して、親も子も支援級や特別支援学校を選ぶ例がたくさんありますよね。
でも、その人たちは本当に選んではいないんです。普通学級があまりにもつらいから支援学級を選んでいたりという人がたくさんいるんです。全然選択ではない。文科省は特別支援を選ぶ保護者が年々増えていると言ってますけど、十分な質の選択肢を用意してから言ってほしいんですね。
インクルーシブに向かう道だと思うんです。
最も強い勧告が出たのがインクルーシブ教育と脱施設化です。
現場の皆さんがショックを受けたのはここなんですが。
インクルーシブ教育について、どんなイメージをお持ちかなと思うのですが。
日弁連の人権擁護委員会の差別禁止部会でここに力を入れて勉強しています。弁護士の中でもインクルーシブ教育のイメージがさまざまです。
田中さんみたいに障害のある弁護士もたくさん仲間にいるんですが、障害があって普通学級を経験したというまさに当事者がいます。その方たちは、必ず苦い経験を持っているんですね。
インクルーシブ教育というと、あのつらかった経験につながってしまって、理念では正しいと思っていても、本当に大丈夫なの? と思ってしまう。
障害者権利条約はインクルーシブ教育と統合教育というものは明確に概念として分けています。
あまり知られていないと思うんです。日本では統合教育という言葉が昔からあって、インクルーシブ教育という言葉に言い換えられたと思われていますが、2つは全然別々のものとして定義づけられています。
障害者権利条約の24条の解釈を表すガイドラインとして、一般的意見が出されています。
分離とか排除は一緒に同じ場で学ばない。
「統合」について、一般的意見の文章が難解な訳語なので、それを私なりに解釈すると、統合とは、障害のある子どもが、ただそのまま普通学級にいても大丈夫という前提で普通学級におくことと書いてあります。
支援も合理的配慮もなく普通学級にただ入れること、これが統合だと言っている。
統合はダメです。
インクルーシブ教育はそれじゃないんですね。
その子に必要な支援を与えることもそうだし、その子が自分はここにいていい、みんなと同じ価値のある人間だと感じられるような教育じゃなければだめだといっているんですね。
9月にスウェーデンとノルウェーのインクルーシブ教育の視察に行ってきました。
ノルウェーは30年前に特別支援学校を廃止しています。
国としては廃止しているんだけど、自治体で作ることが認められているようで、わずかな子が特別学校に行ってるそうですが、それはごく例外なんですね。
基本的にはみんな普通学校に行っていて、私たちが見学したところも、一学級に、最大で20人ぐらいしかいないわけです。
本当に日本の第一の欠点だと思います。少人数学級が基本なんです。数えましたけど机と椅子のセットが20個でした。
完全に分けるのではなくて、普通のクラスの横に入れる6畳くらいの別室があって、少人数で話したいときに自由に出入りできるようなところがある。
普通の教室の中にソファーがあって、好きな時にくつろげます。
それから一斉授業がほとんどない。グループ学習や個別学習が主体。
学校見学の際、写真のついたパワポのプレゼンをしてもらいましたけど、字の読み書きの練習を屋外の森みたいなところでやるんです。
ハンモックで座って2人で読書をしている、それが国語の授業。それから野菜を育てる、昆虫採集をするなど。記憶力や計算の速さを競わせて点数をつけて順位をつけたら、必ず下の方になる子たちがいるわけです。
その子たちは幸せな気持ちにもなれないし、自分がみんなと同じ価値のある人間と思えない。
そもそもそういう教育をやっていないんですね。
野菜を作ったり昆虫を採集したりしながら、理科や算数をちゃんと学ぶ。
授業や教育の中身の設計が、最初から誰でも楽しんで授業に参加できて、意欲や好奇心を刺激されて学んでいける、そういう教育の内容にそもそもなっています。
単に普通学級に入れるかどうかという話ではないんです。
今、日本に不登校児が何人いるかご存じですか。
10年前までは10万人くらいだったのが、近年25万、30万弱までいっているんですね。
普通学級にいられない子たちが、障害の有無を問わずこれだけの数、発生しているということ。
普通学級が、誰にとってもいづらい場所になっているということなので、誰もが楽しく学べる学校教育に変えていかなければいけないと思っています。
増田/「障害者の」というのを取り除いて教育の在り方そのものを考えましょうと。
働く場もそうですよね。
住まいのことも日本の誰もが使える制度そのものに根本的な課題があると、3人のお話ですごい実感したところです。
南さん、どうお考えでしょうか。
南/分離政策というのは、政府がよかれと思って分離しているということですよね。
だから社会で分離意識が当たり前となってしまう。
多様性とは遠ざかってしまうということかなと思います。
私、東京都聴覚障害者の参政権保障委員会のメンバーですが、投票所のコミュニケーションボードの調査を行ったところ、聞こえない方が投票所に行ったら別室に案内されたということがありました。
その聞こえない方は、それが特に変なことだと思わなかった。うれしいことだといういい例として話してくれました。
私は変だなと感じました。
なぜ聞えないから別室で投票するの? と、違和感があります。
当事者の聞えない方も変だなと思わないところが、またおかしいところですよね。
それが、分離するのが政策として当たり前になっているので、私達の中にも浸透してしまっていることなのですよね。どこから始めたらいいのかわからない。当事者レベルからでも、当事者の自分自身でもおかしいことに気が付かないというのが怖いなあと思いました。以上です。
増田/ありがとうございました。最初に問題提起をした土橋さんのところに戻ってきました。
人権意識の問題と合わせて、選択できない現状が指摘されました。
皆さんお話を聞いて、土橋さんの今のお気持ちはいかがでしょうか。
土橋/ありがとうございます。皆さんの考えと、私がさっき言おうと思ってメモをしていて、いい忘れていたなというところと合致してるかなと思いました。追加でお話をすると、1つは、さっきいろんな選択肢ということで、黒岩先生からも話が出ましたが、学校だけじゃなく、自治体間でも差が大きい。午前中のお話の中で、中央政府が物事を決めて自治体が実施するという仕組みがあって、自治体の体力によってどこまでのことができるか変わってくるということが大きいのではないかという気がします。それはもうどうしようもない話ではあるものの、国民一人ひとり、障害者であるなしに関わらず、それぞれの生活のために、国民全体のために一人ひとりが声を上げていく必要があるんだろうなというところがあります。特に障害者の側にあると思います。このひな壇に3対3でいい具合に分かれていますが、障害者の側としては、ちゃんとした声をあげる、自分たちが何が困りごとなのか、何をして欲しいのか、どういったことが困るのかということをしっかり言えるという、言葉にすることができるということがすごく重要ではないでしょうか。それができないで、言い方はあまり良くないですけど、文句ばかり言っているのではダメで、ちゃんとそういったことを言語化していかないといけないと感じています。それが最終的には分離政策をやっていこうとしている側に対しての武器というか、それに対して戦うための方法になってくるのではないかという気がしています。
増田/ありがとうございました。
分離政策に関しては根本的課題はどこにあるのか、短い時間の議論の中ではっきりしてきました。
分離政策と権利委員会が言っているのは、日本の社会そのものを見て、こういう社会じゃ分離せざるをえない状況がある。藤井さん流にいうと、イエローカード、それを突きつけられたということになるのではないか。黒岩さんがおっしゃったように、各現場で必死に頑張る人へのイエローカードというよりは、どこに問題があるか気づいて、声を合わせていこうということが皆さんからのメッセージかと伺ったことかと思いました。ぜひぜひ。
日本では内閣府の障害者制度改革推進会議のもとにおあかれた総合福祉部会で骨格提言をまとめた経験があります。骨格提言と今回の総括初見を重ね合わせて見ていくことも必要になるのかなと改めて思いました。まだまだ話したいところですが、このあたりで、10分ほど休憩をいただきたいと思います。
(休憩)
増田/3つ目のテーマは「精神障害」です。
日本の精神科医療の在り方を厳しく問われました。
日本が審査を受けたときにも、内閣府の政策委員長が3つの課題のうちの1つとして精神科医療のことを発言されました。
日本の中でも多くの方がなんとかしなきゃと思う問題だと思います。
黒岩さんが話したいとおっしゃっていたので、日弁連の資料をご覧いただきながら、まず黒岩さんに口火を切っていただきます。
黒岩/冒頭でもご紹介しました日弁連のリーフレット、お手元にございますでしょうか。
日弁連の提言、精神障害のある人たちの強制入院。これをご覧いただければと思います。
日本の精神科医療が世界水準で見るとどれだけ恥ずかしいかが、いろいろ統計資料に載っています。
入院患者数が世界最多、入院期間が世界平均の7倍。
精神病床の数は、世界の4分の1が日本にある。
本当になんでこんなことになってしまっているのかというのが日本の現状です。
2021年に岡山で人権大会をするにあたり日弁連で大規模なアンケート調査をしました。
精神科の入院経験者の方にアンケートをお願いして、1000名から回答をいただけました。
インタビューに協力してくれた200名の方に実際にお会いして、コロナ禍だったので電話の方もいたんですが、直接インタビューしてまとめました。
このリーフレットを開いたところの右上、強制入院がもたらす被害。
ここがアンケートの結果を簡単にまとめたところです。
「悲しい、つらい、苦しい思いをしたことがありますか」
入院中にそういう思いをしたという答えが8割に及んでいました。
1つ目のテーマでもあるパターナリズムに基づいて強制入院をさせられています。
その中で、自分の意に反する入院を強いられたことが新たなトラウマになっている例がとても多いんです。
トラウマによる二次被害、二次症状にその後苦しめられることになったり。
深刻なのは、強制入院でトラウマをおった人は、医療に近づきたくないんです。医療拒否にもつながってしまいます。
何重にもいけない問題が多くあるのが強制入院だと思います。
隔離や身体拘束のことを精神保健福祉法上、行動制限といいます。
隔離や身体拘束の実態をご存じですか。
表紙に絵があります。真ん中の右側、おりに入ったような人の絵になっています。
隔離室は鉄格子なんです。簡単なトイレと布団だけあるところに入れられるのが「隔離」です。人権大会のシンポでも当事者から証言してもらった動画を流したりしました。
ある方は、任意入院といって、自発的入院なのに隔離室に入れられて、ナースコールの体制がなくて、のどがかわいても水も飲めなくてトイレの中の水を飲みなさいと言われて、紙コップを渡されて、何日も1つの紙コップを使って紙コップがふにゃふやになったという衝撃の証言をいただいています。
パンフの表紙の左下、これが身体拘束。5点拘束。両手首、両足首と腰を縛られるんです。
強制入院のかなりの方がこの5点拘束を経験していて、すごいトラウマになっています。
隔離と身体拘束による新たなトラウマは全然フォーカスされてきていない。
その人の尊厳を奪う行為なんです。
それが、保護とか治療の名目で行われていて、医療行為として正当化されているかのようになっているのが日本の現状です。
隔離と身体拘束も増えているんです。
当然ゼロにしなければならないものなのに。
強制入院を廃止しようと日弁連で決議しました。
最後のページで、強制入院廃止までのロードマップを作りました。
総括所見で特別支援学校をすぐになくしなさいではなくて、インクルーシブ教育へ向けた行動計画を作りなさいと国連は言っていますが、強制入院廃止についても日弁連がこれを作ろうと思ったきっかけがあります。
国連の人権高等弁務官事務所に任命された特別報告官の特別報告があるんです。
その中で、強制入院廃止に向けたロードマップを作りなさいという言い方をしているんです。
ロードマップということは段階的になくすということだから、ただちになくすべきだという意見もある中で、ロープマップということが言われていて、それをヒントに日弁連で、これを作りました。
私たちは2035年を最終目標にロードマップを作りました。
2014年に障害者権利条約を批准しています。
2006年に権利条約ができてから30年、批准から約20年先には達成できていないとおかしいだろうということで設定しました。
5年刻みで短期工程、中期工程、最終段階というふうに計画しています。
短期工程の段階では今の強制入院の要件を厳格化して絞って、強制入院を減らす。
中期工程では強制入院は全部、国公立の病院でしかできないようにしましょうと提言しています。
精神科病院をなくしたことで有名なイタリアではそもそも精神科病院が公立なんです。国の政策でなくすことが比較的やりやすかったといわれています。
日本では9割以上が私立なんです。病院経営者は、従業員などの生活がかかっていることになります、患者の人権よりも。その中で病床削減は難しいということが日本の現状としてあります。
30万のベッドは空きが増えていっていて、それだけのベッド数をかかえていけないことは病院側もわかっています。どうやって軟着陸して減らしていくかという話です。
まずは短期工程で入院要件を減らすことで、入院者13万人くらいを5万まで減らし、国公立病院だけにしてまた減らしていく。
重要なのは、右側の縦の軸です。
強制入院を減らしていくのは下向き三角形で減らしていきます。
一番下の三角形は下へ広がっていくイメージなんですよね。どういうことかというと、自立した地域生活を支える、差別偏見のない社会の実現ということで、地域をもっと豊かにしていく。
これまで入院していた人が暮らせる地域にしていく。居住場所を確保し、就労、所得保障を充実させて、地域で暮らせるような地域を作っていくのが右軸です。
教育の問題と精神の問題をやりたいと冒頭から言っていますが、もともと個別課題の中でも酷いのがこの2つだったというのが出発点です。
最近実際よく思うのが、インクルーシブ教育の問題と、強制入院、すごく繋がっているな。問題構造が同じだとすごく思っているんですね。子どものうちから分けられていると、皆と同じことが出来ない子は 別室だよね、別の学校に行くよね、排除されて当たり前と言葉に出さなくても、子ども達は空気から学ぶわけなんですよ。おとなになってから大声を出す人が近所にいたりするとね、なんでこの人ここにいるのかな、施設か病院にいる人じゃないのと思ってしまう。学校教育が子どもたちに教えてしまっています。
分離主義が収容主義の出発点になっている。教育を直さないと、精神の問題も変わらない。
逆向きもあって、精神科医療の闇、製薬会社が持っている巨大な経済力や政治力。
精神病薬がどんどん開発されて、薬の処方の若年化が進んでいる。
分離教育とすごく関わっていて、発達障害と関係があって、薬を低学年から飲ませるんですよ。
さっきのご紹介した、ロードマップを提言した、国連の特別報告官でリトアニアの精神科医が言っていた。
人間の脳の中でおきていることは、本当のところ誰もわかっていない。
精神病薬で本当にエビデンスを持っているものはない。多剤併用、長期服用で、どういう影響を持っているかわからないものを子どもに投与することはありえない。それが日本の学校教育ではびこっていて、学校現場の会話で、早くあの子、薬を飲めばいいのにと教員が言っているという話も聞こえます。
「夢みる小学校」という映画を見たんですね。すごく自由な教育をやっているドキュメンタリーなのですが、感銘を受けたのは、ある小学校で、1年生の発達障害のある子が薬を飲まされていました。薬を飲みたくない、自然の多い学校に行きたいということで、きのくに子どもの村学園に転校してきた。
校長がこの子に言ったことは、薬を飲むのをやめなさい、薬を飲んで大人しくさせて、教室にいられるようにすることは教育のやることではない。
世界中の全ての教員に知って欲しい。教育は教育の仕事をしてほしい。
薬に頼って普通級に入れるようにする、それが誤りということを知ってもらいたい。
教育と精神の問題はすごく結びついていて、どちらも本当に抜本的に変えていかなければいけない問題だと深く認識している所です。
増田/重たい提案だなと思って伺っていました。
そしたら、南さんのほうに、少し今のご意見を含めてコメントをお願いします。
南/ありがとうございます。
私は聴覚障害があり、聴覚に障害があると、コミュニケーションの面でメンタルの部分では関わっておりますが、強制的な医療になると、詳しくありません。いろいろ教えていただき、考えさせられました。
私自身は医療機関に約30年間働いています。薬や医療行為によって精神病院が成り立っていて、点数が多く流れていそういう部分があるのではと思うんです。
地域で暮らせるよう、短期間で退院できるよう移行するのであれば、そこの医療にお金がいかないようにする工夫が必要、
そうすることによって、強制的で長期間の入院が減っていくんじゃないのかなと、単純にそう思っています。
増田/ありがとうございます。
ベルギーの精神医療の視察に行ったことがあるんですが、かつてベルギーは、日本と同じように精神病院が多かった。しかし、多かった病院を閉じて、地域医療に転換し、それでも経営が成り立つような政策を作った。政策転換を行った結果、病床が減っているという現実がある。
日本でもベルギーモデルを考えられないかなと、南さんも仰ってくださったようなすごくシンプルなことなんです。でもそれを阻んでいるなにかがあるので、なかなか進まない。人間は地域で暮らすのが普通なので、普通にしていけばいいだけのことなんですが、そこに高い障壁があると思っています。
日弁連でロードマップを作って、多くの人で議論することが大事かと思いました。
ありがとうございます。土橋さん、どうでしょうか。
土橋/本当に重い話だなと思う一方で、すみませんが反対のコメントをさせていただきます。本当はサポートする意見を言ったほうがいいのかなと思ったりもしつつ、ちょっと反対の意見も言わせていただくと、無くすということ、イタリアはなくしたという話は有名ですが、日本でそれを無くすというところで、本当にいいのかなということも思います。先程から我々が前半1つめ、テーマ1、テーマ2で話したのは、選択肢をいかに増やすかという話だったので、選択肢を、逆になくすことになってしまわないかな、という点です。
実は、近しい人、親族とさせといてください。親族で精神病院に入らざるを得なかった人がいます。その人は、入って2、3ヶ月で出ることができました。それはちゃんとした病院だったということと、ちゃんとした方針も立てていた。こちらもそれに対して、病院に対して働きかけをやったおかげで出られて、その後、入る前の段階でどうだったかと言うと、実は、暴れて、私も押さえられなかったというか、蹴られたし、殴られたし、暴れられました。私は足が悪いのですが、上半身は元気ですから普通の男性の力はあります。相手が80歳ぐらいの高齢女性でしたが、私の力でも抑えられないくらいの暴れ方だった。
そういう状態で入って出てきて、大人しくなっていったのを目の前で見てしまった。その後、約1年後ぐらいに亡くなったんですけど、周りは納得して看取れました。この過程では、間違いなく5点拘束もやっていたはずです。
そういったことを考えた時に、もし精神病院がなければ、家族が受け入れなければならないと思うと、対応できたのかと思ってしまいます。
ヘルパーを頼んだとしてもそれがひょっとしたら介護サービスの点数を超えていて、我が家に負担が来ていたかもしれないし、その辺は、お金はどうでもいいんですけど、それに対して家族が疲弊してしまうということになってしまわないか、ということを考えます。それであれば、プロに任せたほうがいいのかなというのがありました。
もう一つはアメリカの事例です。本人の意識がほとんどない状態、普通じゃない状態で、鼻からチューブを入れて栄養をとる経鼻栄養という選択肢にしたんですけど、そこにいく前に大変でした。本人から了承がやってとれて、なんとか鼻にチューブをいれたのですが、入れた後、無意識に勝手に抜いてしまうという行為を既にやってしまっているので、拘束してくれと家族でお願いしたんです。そこはアメリカなので、本人の承諾がなければやりませんというのが医師の回答でした。家族は看護師と話をして、看護師は医師がOKを出さないと絶対しませんとの回答でした。その辺はアメリカは、ものすごくきっちりしているところだったなという気がします。結局はチューブを看護師も見ているところで抜いたので、(一定期間)拘束ということになりました。
今、ご提案のあったところまで全部いってしまうと、精神病院をなくすところまでいくと、もし同じ状態になった人がいたとき、選択肢がありえるのかなというのが、自分の狭い経験では、悩ましいなというふうに思います。
反対する意図ではないですが。
どうすることができるのかというところですね。
増田/背景に何か起こったら家族の責任でなんとかしなければいけないという状況がある。
土橋さんのお話は、そういう背景の中での事例だったという気がします。黒岩さんにコメントをいただきましょうか。
黒岩/土橋さん、本当にピンポイントで問題提起いただきました。
日弁連でもまさに議論しています。
病院側や厚労省との意見交換会をやっていますが、こういう事例はどうするんだと言われるわけです。
強制入院、身体拘束しかないんじゃないかといわれます。
病院の現場でも、夜中に夜勤が2人しかいないときに警察官ですら5人で抱えてきた人を引き受けて対応しなければならないこともあります。
家族への負担というのはゼロでなければいけないのが大前提だと思います。地域がその人と暮らしていくのが前提です。
日本の現状はそうなっていないので、入院か家族かとなっているのが現状だとは思っています。一つには、すごく暴れたり自傷行為に走ろうとする人が目の前にいるときにどうするのか。
無理やり連れて行って強制入院しかないんじゃないかという議論はあるんですけど、その場面だけを切り取って議論するのではなく、そもそも、その方の苦しみのもとが何なのか。
突然発生するのではないんです。
クライシスの状態というのは何ヶ月、何年という単位で人間関係の中で背景ができているんです。孤立している中で高まってしまう。
地域がしっかり豊かに耕されている状態は孤立させない、日ごろから関わっていく、ストレスがたまる前に関わっていける。究極の段階のもっと手前でやれることがたくさんあるけど、それが全然できていない。家族の負担は絶対ナシです。
家族か施設かでもない。
やまゆり園でひどい殺害事件が起きたあと、それをきっかけに、強度行動障害といわれて、施設や隔離しかないと思われた方が、その後、アパートで単身生活されている方がいらっしゃいます。
関わり方で本人が劇的に変わるケースがあるんです。
もちろん全部じゃないかもしれないです、いろんなケースがあるとは思いますが。
強度行動障害や自傷他害の人たちが、施設を出てすっかり別人のように暮らしていけるようになるケースもあるんです。
そういうことを、地域の支援力の問題としていく。
有名な滝山病院の事件ですが、死亡退院率が78パーセント。
そこは患者の54%が生活保護です。
ケースワーカーが患者を送っているわけです。
地域がひどい病院に患者を送っているわけです。
送る地域があってはいけない。まず、送らない。出てきた人たちをちゃんと受け入れないといけない。
それをやっていくことで家族が背負うこともなしにしていくし、クライシス状態にいく前の選択肢を増やして強制に代わる代替的支援を目指していきたい。
今の日本の強制入院は数がとにかく多い。13万人の強制入院をものすごく減らして、1万、5,000、100と減ってきたときにどうしても強制入院しかないケースがあるのかどうか、本当のところがわかってくると思います。
今ある入院はとにかく多すぎると思っています。
土橋/いろいろと考えられていて、いい方向に進めればと思います。地域に戻すといった場合に、日本の事例は特殊事情があって、とはいっても、皆さんも経験しているコロナの中だったというのがありました。先ほどお話をした高齢女性はマスクもしない、平気で人に近づくことを繰り返しやってしまっていたので、近所の人も、今まではサポートしてあげられたけど、コロナだし、無理だわということがありました。逆に言えば、これが普通の状態であれば地域の底力としては持っていたんじゃないかなという気がします。状況が状況であれば、いい形に運んでいった可能性もあるのかなとは思います。
増田/赤松さん、どうでしょう。
赤松/基本的には精神科の強制入院の問題は、本人の意思に反して自由をはく奪するわけだから、克服するべき人権の問題だと認識しています。そこに至るまでにいろんな議論が出てくるんだけど、精神保健福祉法という法律が人権侵害の手続きを決めているわけです。
優生保護法もハンセン病もそうであったように、法律が人権を侵害する行為の手続きを決めていたわけで、それによって誤った意識を国民に植え付けたり、優生思想につながったりということが起きたわけです。
ハンセン病の問題では、ハンセン病療養所をなくしたときに、今そこに住んでいる人はどうなるんだという議論があります。長年住んでいる人に、無理に出て地域で住めというわけでもないでしょう。もちろん希望する人は地域で住めばいい。だからハンセン病でそこに心静かに暮らしている人もいる。軟着陸の経験というのも僕たちは持っていると思うんです。
すぐにでも出たいという人は出れるし、しっかり時間をかけて考えたい人は考えられるということを保障して、基本的には地域にいくことを前提にしたプロセスが考えられないといけないと思います。
最後に、障害者権利条約の批准に向けた制度改革の中で、障害者基本法が改正されたわけですけど、あのときに障害団体の側がいっぱい議論して実現しなかった課題が2つあって、1つは女性障害者の問題を基本法に盛り込むこと、もう1つは精神科の強制入院の問題を基本法に盛り込むことでした。この2つの課題は実現できなかったんですよ。次の基本法の改正の議論の中でも是非この2つの課題は議論して、将来に向かうような結論を得られたらなと強く思いました。
増田/障害者基本法の改正も何とか動きだすのではないか、その議論のときに女性障害者の問題や精神障害者の強制入院について俎上にのせていくべきということですよね。警察以外で精神科医の判断で人身を束縛できる制度です。精神科医にその責任を担わせるということも再考すべきですし、基本法の議論を深めるときに俎上にのせたい課題だと思いました。
それでは、第4のコーナーに移ってまいります。田中さんに進行をお願いします。
田中/それでは、最後のテーマに移りたいと思います。「国内人権機関」というテーマを設定しております。
これは、どう障害者権利条約と関わるかというと、具体的な条数でいうと、33条ということになります。国内における実施及び監視ということで、第33条が定められております。これについても、総括所見では懸念事項と勧告事項が出されております。懸念事項はパラグラフの番号でいうと69、それから、勧告事項が70ということになっています。 懸念事項、特に(a)のところでは、国内人件批判が見られない、内閣設置機関の監視の範囲が限られているという主旨かと思うが、障害の多様性、ジェンダーの公平性が不十分、こういう指摘がなされています。
そこでこのあたり、懸念事項を踏まえて、まず赤松さんに伺いたいと思います。赤松さんは内閣府の障害者制度改革推進室におられたと思いますが、今回の障害者権利委員会からの懸念事項、勧告事項を見て、どのようなご意見をおもちか、まずお聞かせください。
赤松/障害者基本法上、障害者政策委員会が位置づけられて、障害者基本法に基づいて、国内障害施策の監視が役割にある。政府は改正当時から、基本法に基づく政策委員会による監視を通じて、障害者権利条約の実施状況を監視するという言い方をして、あたかも政策委員会が33条で言う監視の機関にあたるとしてきました。しかし、障害者基本法がカバーする範囲と条約がカバーする範囲はギャップがありますし、障害団体の側は障害者政策委員会を監視の機関とするのは有効ではないという議論をしてきました。権利委員会はパリ原則に基づく、独立した監視機関を求めているわけで、障害者政策委員会は内閣府という政府の中の機関ですから、独立した機関とはいえません。人事や予算に関してもそれは独立した機関ではない。そういう点をJDFのパラレルレポートでも主張して、総括所見にも反映されました。
実際に人権条約を国が批准したとしても、国内で人権が必ずしも実現するとは限らないわけです。基本的には人権の問題はそれぞれの国に委ねられていて、一定の勧告は権利委員会でされても、決めるのはそれぞれの国です。日本には国内人権機関がない中で、政府としては裁判などの手段でやっているから大丈夫ということなんでしょうけど、それで救われない方がたくさんいます。こうしたことの解決策として、国内人権機関は不可欠なんだろうなと。
あるいは、裁判には当然時間も費用もいっぱいかかる。短い期間で人権問題を解決できるような役割としても、国内人権機関は期待されているのではと思います。
SDGsの中でも、ゴール16のターゲット16aでパリ原則に準拠した国内人権機関の設置が、掲げられています。人権機関の設置はSDGsの要請でもある。障害分野だけの問題ではなく、全ての人に関係する人権問題だと強く思います。
田中/今赤松さんのご指摘もありましたが、総括所見の70項、パラグラフ70では、パリ原則に基づいた国内人権機関を設置すると求められていまして、枠組みの下で障害者政策委員会の公的能力を強化することが勧告として出されています。
パリ原則という言葉を、皆様初めてお聞きになった方もおられると思います。
これは、1993年の国連総会で、この原則が採択されました。
政府から独立した、人事権、予算権が独立した機関を作って、人権保障を実現する。
そういう、正確ではありませんが、そういう内容のものです。
そのパリ原則では、国内人権機関、4つの機能をもたせる必要があるということも提言されています。
1つは、人権救済機能、これは、想定や紛争解決というところまで担う機能をもたせる。2つめが、政策提言機能。
これは、行政府、立法府に対して、法律の改正や制定を求める。
そういう権限も持つべきである。
そして、3つめは、人権教育機能がうたわれています。
学校で人権教育を担う機能、そうい機能を持たせるべき。
4つ目が国際協力機能。他国と協力して進める。
こういった内容になっています。
国連加盟国の中でおおよそ120か国以上が既に国内人権機関を持っている。
ところが日本は国内人権機関を持っていない。
権利条約の33条2項で定める条約の監視の枠組みに関しても、内閣府の障害者政策委員会で十分だということになっています。
ただ、政府から独立したといえるのかというと、障害者政策委員会は内閣府の下にありますし、人事権や予算権も、国が握っているということになりますから市民社会としては、これでは不十分だという意見をパラレルレポート等では提出しています。
障害者権利委員会としても今回の総括所見で不十分だと指摘しています。
黒岩さんに伺いたいのですが国内人権機関を設置するというところ、障害者あるいは子ども、女性、外国人、ヘイトスピーチの問題、さまざまな問題をこの国内人権機関で扱うことになりますが、もし設置されれば、このようないろいろな問題を扱う機関になります。
必要性や期待することがあれば、ぜひ率直にコメントいただければと思います。
黒岩/長年、障害のある人の虐待や差別の事件に関わってきています。
それらの権利侵害に対して有効な救済策が日本にはないことを日々、実感しています。国内人権機関は本当に必要だと思います。
例えば、バニラエアのケース。お友だちだった、しかもお亡くなりになったと聞いてショックでしたが。
飛行機に乗るのに車いすを抱えて上ることができないと言われて、這って上らなければいけなかったんですよね。
土橋/タラップを上るのすら手伝ってはいけないということでした。航空会社の規則で、手を出してはいけない、触ってはいけないという決まりだったのでバニラエアの乗務員は一切、手を出さなかった。但し、本人は上れる自信があったのでやったという話も聞いています。ある意味、確信犯ではあります。ただ、見るに見かねて、それはひどいだろうということで、乗務員も最後は手を差し伸べたと記事にはありました。
黒岩/土橋さん、交通バリアフリーが専門ということでいろんなケースをご存じだと思いますが、JRでも内規を持っているとかたくなに守って、しかも「安全のため」と言うんです。
新潟県内でもストレッチャーの子どもが修学旅行に参加しようと思ったんですけど、そのサイズのストレッチャーは新幹線の車いすスペースには乗れないと。
実際にはちゃんと入るのですが、たまたま問い合わせをしたらダメと言われた。ダメと言われると突破するのが難しくて、その子は皆と一緒に新幹線に乗って修学旅行に行くのを諦めました。
バニラエアのケースは、ご本人が1人で頑張って髪の毛が真っ白になるまで闘った。
そんなのは本当にたくさんあって、ほんの一例だと思うんです。多くの人は泣き寝入りしていると思います。
しかもこの方のように1人で国交省と戦うことをできる人はあまりいないと思うんです。
人権機関があれば、申し立てるだけで、ちゃんと調べて是正命令みたいなことをやってくれるわけです。
仮に民事裁判だとすると、弁護士を雇って証拠をそろえて、立証責任を果たさないと民事裁判は勝てないんですね。
でも人権機関があれば申し立てれば調べてくれるんです。
虐待でも障害者虐待防止法がありますが当初からの強い要望がかなわず、学校と病院は入らなかったんです。
今般、精神保健福祉法改正により精神科病院における虐待に関する通報義務規定がついに精神保健福祉法に入ったんです。
来年4月1日、施行です。
違法な身体拘束や暴言、暴力は全部虐待になります。もし皆さまの身近でそういうことがあったらどんどん通報していただきたい。
何らかの形で病院に出入りする方は、いつも、虐待通報が義務化されたことを意識していただければありがたいです。
やっとできた通報義務規定を最大限、活用したいんですが、通報先は都道府県なんです。
障害者虐待防止法では、通報先がワンストップ、市町村になっていて、都道府県に権限があるから、都道府県に報告がいって市町村と一緒に調査などをします。
その後、適切なところにつながるんですが、今回のスキームは市町村が通報先になっていないんです。
虐待が発覚したらそれをきっかけに地域移行してほしいと思っています。地域移行を進めるのは地元の市町村なんですよ。
そもそも入院届は都道府県に出されるので、市町村は誰が入院しているか把握さえしていないんです。
その仕組み自体がおかしい。すべての入院者は地域に戻す責任を市町村が負うことが必要だと思っています。虐待通報も同じで、それをきっかけに退院できるようにしないといけない。
3年前のひどい虐待事件では、弁護士が入って調査委員会ができて300ページぐらいの報告書ができました。
神戸市や兵庫県がいかに生ぬるい指導監督しかできていなかったか、詳しく書かれています。
今度の虐待防止規定が入っても都道府県が通報先で、ちゃんとやってくれるのか、ものすごく心配しています。
だからこそ通報はどんどんして、受理、対応の場数を踏んでちゃんと学んでもらいたいと思っています。でも都道府県でやれるのかどうかということをすごく思うんです。
病院との日ごろからの関係性があるので困難があると思います。
きちんと人権救済に特化した機関が必要だと思います。
学校がいまだに虐待対策がないんです。
2年くらい前に性暴力だけは、一応、仕組みができて、通報みたいなことも書いてある法律ができましたが、まだどれくらい機能しているかわからない。
学校における小学校の特殊学級で担任が女の子にわいせつ行為を日常的にやっていたという件で裁判をしたことがあるんですけど、そのとき本当にすごかったのは教育委員会は加害教員をとことん守るんです。
それ以外の学校関係の事件も見聞きしますが、すごく閉鎖的で、隠蔽体質、かばい合い体質がある。
こういうのを見た時にも、独立した人権機関に申し立てしないとできないだろうなと思います。全国40位の自治体で、子どもオンブズというのがあって、弁護士が動いたりしてやってるそうなんですね。その条例を持っている自治体にしかないので、国としての人権機関がないと、学校でいろんな人権侵害が起きています。
それがやっぱり救われないだろうなと思っています。
土橋/バニラエアの件、解説ありがとうございました。バニラエアの件で付け加えると、木島さんは、差別解消法の異議申し立て機関である自治体の鹿児島と大阪の窓口には訴えの届けは出しています。それがどれだけ国土交通省へ動きに影響したのかはわかりません。ただ、やらないよりやったほうがいいですし、そういった動きをすることは重要だと思います。本当に黒岩先生がおっしゃるように、黙っているんじゃなくて、ドンドン言っていくべきだというのは、おっしゃるとおりだと思います。一方、懸念ばかり言いますが、日本の社会、私が最初に申し上げたように、同調圧力がものすごく強い国、強い社会、違うと、文句を言うと、文句は黙って飲み込めという社会の中で、諸外国がやっていることをそのままやることがいいとは思うが、うまく機能するためにもうひとつなにか工夫がいるのかなという気がします。
かつ、さっき自治体はあまりそれほど、効果がないかもとおっしゃっていたのは、すごく同感するところがあって、以前、全国全部ではありませんが、一部の自治体とかに、ヒアリング、象徴にヒアリングをしたときに差別解消法の連携はどうなっているかとヒアリングの調査に加わったことがありました。正直残念な結果で、ほとんど連携していない、というのが、内閣、国交省、あるいは、厚労省だったり、自治体だったりした。そのあたりをどうやって本当に政府が動くような形になっていくのか。そういうふうにするための、国民として市民社会として圧力をかけていく必要があると思います。政府に対して、今のままにしておくと、このまま何も変わらない可能性があるのかなとちょっと感じたので、コメントさせていただきました。
田中/ありがとうございました。
黒岩さん、土橋さん、お二人の話を聴いておりますと、やはり、独立した人権機関の存在が、今日本ではとても重要になってきていると改めて感じます。
南さん今までのお話をお聞きになって、いかがでしょうか、コメントを頂ければと思いますが、感想でも結構です。
南/まだ勉強不足、かなり勉強不足でイメージが持てないでいます。政府から独立した監視機関を私達が試しに作ってしまうとか、そのようなことは可能でしょうか。
もし今ある内閣府の政策委員会を移行するのがいいのか、それとも新規に作るのがいいのか、そういうこともイメージがつきません。
また、多様性というところでは、規模ですとか、人数ですとか、障害がある方がどのぐらいとか、男女比がどうなのかなとか、そういったイメージも他の国の監視機関はどのようになっているのか教えていただければと思います。
田中/どういうものを作るか、諸外国の例を見ながら、障害者関係機関と協議しながら考える必要があると思いますが、もし、赤松さんコメントがあれば、南さんの質問にちょっとご意見いただけたりしますか。
赤松/ないものはイメージしにくいですよね。
だから前に進みにくいのだと思います。韓国には国内人権機関があると聞きますし、具体的に学んで、どんな委員で構成して、どんなことをやっているのかを、JDFでも勉強しようと言っているところですから、学びながらイメージを膨らませていくことなのかなと思いました。
田中/南さん、とりあえずそのようなところでよろしいでしょうか。
黒岩/自分で作ったらって、すごくいいご提案ありがとうございます。これまでも施設とか病院に出入りして、中をチェックする民間オンブズマンという活動があるんですよね。それを受け入れてくれるような施設や病院ならいいんですけど、本当に悪いところ、閉鎖的なところは、そもそもそれを受け入れない。自分達で作る民間バージョンの弱いところ、限界なのかなと思います。法律上の権限を持って中に入っていける、病院だったらカルテとか、施設なら支援記録を見て、何か虐待、差別、人権侵害があるか調査する権限が与えられる。
法律上作らないとできないのかなと思います。
民間の活動はすごく重要で、精神科病院でいうと、大阪はすごい活発なんですよ。
そんなに詳しくないんですが、大和川病院ですごい虐待が起きて、それがきっかけで起きてきているのですが。
大阪府精神科医療機関療養環境検討協議会を2ヶ月に一度開いて、当事者の団体が病院内をチェックするという活動が仕組みとしてあるということで、本当にすごいな、そんなことが出来たのは多分大阪だけなんですけど、そういうものも、もっと育っていくといいなと思います。
田中/はい、ありがとうございました。
ちょうどお時間にもなりましたので、テーマ4は以上とさせていただきます。3つのテーマについて、長時間にわたり協議いただきありがとうございました。
フロアからご質問をいただく時間を取りたいと思います。
もしご質問のある方、おられましたら。
そうですね。
感想、コメントでも結構ですので、お願いしたいと思います。
増田/では、手を挙げていただいている、お二人の方からお願いします。
会場/大河ドラマの「どうする家康」を見て、江戸時代の生活と今がどう変わっているか、調べたんです。特に野呂栄太郎の「日本資本主義発達史講座」を読みました。
資本主義がどう起こったか、日本は300年遅れていると思いました。明治維新が、どうして起きたのかわかりました。
それから「日本共産党の100年」という本を読んで、日本がヨーロッパに比べてなぜ遅れたのかわかりました。
日本がどうして遅れているかということをもうちょっと話した方がいいかと思うんです。
今回の総括所見で不十分なところは日本が遅れている、その原因がわからないことです。
今の話を聞いて感じたのは、以上です。
会場/冒頭、藤井さんからも話がありましたが、選択議定書について質問します。障害者権利条約だけでなく、他の条約についても、日本は選択議定書を承認しないと思いますけど、国内人権機関の問題と選択議定書の問題、どちらに優先順位があるのかわかりません。
選択議定書を採択することのメリットについて、日弁連として、積極的に推奨する意義はどのへんにあるのか教えてください。
これを推奨することによって、国内では解決できない問題が解決しうるのか、特に日本が深刻に考えなければいけない問題が、そのまま放置されているので、それも含めて教えてください。
増田/お二方からご意見とご質問をいただきました。
一つ目は、日本がなぜ遅れているのか、もっときちんと考えたいというご提案だったかなと思います。
残り時間もわずかですし、かなり壮大なテーマなので、そういうご意見をいただいたと受け止めて、どこかで考えられればと思います。
二つ目のご質問は選択議定書のことでした。
今日はあまり触れられなかったんですが、選択議定書を批准していくことの利点というか、それによって前進できる点とか国内人権機関の問題も含めて考えたいということでした。
黒岩さん、いかがでしょうか。
黒岩/田中さん、あとで補足してください。
選択議定書は批准すれば個人通報制度を導入できるというものです。
個人通報制度は国連に直に権利侵害を訴え出ることができるものです。
日本は残念ながら裁判所が国際条約を根拠に人権侵害を認めるということが極めて少ないんですよ。日本でこそ個人通報制度が導入されれば、裁判所の条約の解釈がおかしいということを国際的に訴えていけるんです。
日本で個人通報制度を認めさせるための委員会も日弁連にあって精力的に活動しているんです。個人通報制度を使って、いろんな国が権利侵害を訴えてこんな結論が出たというのを翻訳して分析したりしています。
障害のある人の権利侵害について世界的には個人通報制度を使った救済がはかられているので絶対、日本にも必要なものだと思っています。
田中/黒岩さんのご指摘のとおりで、私も国内人権機関の委員会には所属していないので、ご質問に的確にお答えはできないのですが。
日弁連の国内人権機関の委員会で作られている意見書には、国内人権機関の設置と選択議定書の批准は同じ重さで、特に優劣をつけずに、いずれもが必要だという形でまとめられていたと記憶しています。
国際的な視点を国内で実現していくためには、どうしても必要な、とても重要な事項だと思っています。
できることなら両方、いっぺんに進めればいいなと思っています。
会場/今、私が感じていることをお話しします。
我が国はすごくいい国になりましたね。
障害を持っている方に対して非常に温かい国になったと思って私は喜んでおります。
というのは、昔はおみ足が悪くて外へ外出するのも難しい方が京都へ旅行しようとかそんなこと出来ない時代が長かったんですけど、今は、新幹線でも車いすのスペースはちゃんと取ってありますし、車いすの方が、京都旅行や容易にできることになりました。
タクシーを使わなくちゃというので、例えば、地元のバスも車いすの方を乗せてくれるバスがあります。
日本はとてもいい国になったと喜んでいるわけです。
今後もそういう国の委員会等に出席なさってらっしゃるので、積極的に障害者問題を取り上げてもらうようにお願い申し上げます。
増田/ありがとうございました。
では最後に各パネリストから一言ずつ発言をいただけますか。
南/ありがとうございます。
今日はみなさんと台に上がり、意見交換に加わるという体験をさせていただきました。
短い時間に次から次へと景色が変わるような議論の展開に、追いつくのが精いっぱいでしたが、これから取り組むべき課題に、もう一度総括所見を見つめ直して実行していこうと思います。
今日はどうもありがとうございました。
土橋/今回始めてご一緒にお話させていただいた方々、会場の皆様、色々とご意見などいただきまして、それぞれ持っていらっしゃる立場立場で、それぞれが一生懸命頑張っていくこと、これで世の中が少しでも変わっていくのではないかと思います。最後にご発言ありましたが、日本はいい国になったと全員が納得できるように頑張っていきたいと思いますので、引き続きよろしくお願いします。どうもありがとうございました。
赤松/事前の打ち合わせで、増田さん、田中さんから言われたように、掛け合うような、流れるようなシンポジウムにならずにちょっと申し訳なかったのですが。国際障害者年などを経て、障害のある人達への理解は広がったと思っています。しかし、他の者との平等とという観点から見れば、それがどこまで実現しているのだというと、まだ緒についたばかりだと思うので、そういう点では条約を実現するという1点で、団体の枠を超えてこれからも取り組んでいきたいと思いました。今日はどうもありがとうございました。
黒岩/今日のシンポジウム1は、テーマが「多様性を認め合う社会に ~権利条約と総括所見の課題から」でしたが、今の私の関心にばっちりあうテーマでお呼びいただけてありがたかったです。
日弁連では、2022年初めての総括所見、次は2028年、ボーッと過ごしていたら、すぐ2028年になってそれまでに総括所見を生かした改善がないじゃないのということになってはいけない、今から28年にもっとマシなものになって、成長が認められるように国連の権利委員会に言っていただけるようにするにはどうしたらいいかという議論をしています。
その中間にあたる2025年に、インクルーシブ社会の実現という大きなテーマで集会をやりたいと、インクルーシブ教育、精神科病院を個別の課題として取り上げつつ、より大きなテーマで、議論できるような集会の企画もありますので、実現の際には皆様にもご参加いただければ嬉しいと思います。よろしくお願いします。
田中/パネリストの4名の皆様、本当にありがとうございました。もう一度、皆様、盛大な拍手をお願いできたらと思います。本当にありがとうございました。
それでは、シンポジウム、本日のシンポジウムを終了したいと思います。司会、拙い司会でしたが、皆様本当にありがとうございました。増田座長、一言お願いします。
増田/最後に障害者権利条約を隅々にと藤井さんもおっしゃっています。権利条約を隅々にと求めて出版したのが日本障害者協議会が編集した「障害と人権の総合辞典」(やどかり出版)です。
ぜひご活用いただき、今日ここで皆で考えたことを書籍で深めていただけたらと思っているところです。
本当にありがとうございました。また明日もあります。今日のお話を土台に、明日の充実した議論も期待したいと思います。