国内の重要課題に関するセミナー ~権利条約の視点から日々の取り組みを考える

2.優生保護法問題をめぐって

講師: 板原 愛 弁護士/優生保護法被害東京弁護団
座長: 遠藤 愛 文教大学人間科学部臨床心理学科准教授

遠藤/僭越ですが自己紹介と本セミナーの趣旨を話します。

 私は文教大学に勤めながら、公認心理師、臨床心理士として発達障害のある方の支援のほか、学校を対象としたコンサルテーションの実践を行っています。

 現在、大学における合理的配慮が適切になされるような学内支援システムの構築に携わっております。

 私自身は、優生保護法に関して座長を担当させて頂くには専門性が足りない人間です。

 そのような事情があり、フロアの皆さんと一緒に優生保護法について勉強させていただく立場で座長をさせていただいております。

 いまだ優生保護法については様々な話題がありますが、今日は板原先生に優生保護法がもたらした様々な被害や社会的弊害、現状の解決に向けての新たな動きについてお話しいただけると思います。

 ただし、これを過去のものとしてだけではなく、現在も様々な形で直面する差別の問題、そしてそれに無関心になりがちな社会をよりよい方向に向けていくための手がかりとして議論ができればと思います。

 よろしくお願いいたします。

 それでは、板原さん講演をよろしくお願いいたします。

板原/まず自己紹介から始めさせていただきます。

 私は弁護士で、優生保護法被害東京弁護団に所属しています。

 弁護団としては入ったばかりで、こちらでお話をさせていただくには、だいぶ卵の状態で、皆さんにお伝えできるように今日は頑張りたいと思いますが、至らぬ点をお許しいただければと思います。

 事前に資料に講義の要項を載せています。それとは別に、配付資料もお手元に配らせていただいております。

 私は自分自身視覚障害があり、日頃点字を利用して職務をしています。

 スライドを見せてお話しするのが難しいので、基本的にこちらからはお話のみで進めさせていただきます。

 具体的な話に入ります。

 優生保護法がどういう法律かということの前に、東京原告のお二人についてお話しします。

 北さんは中学生のときに素行不良というか問題行動があったとして、仙台市内の厚生施設に入れられてしまいます。

 14歳のある日、病院に行こうと言われ、悪いところはないので病院に行く必要はないのでは、と言ったのですが、診てもらうところがあるとだけ言われて、産婦人科で同意のないまま手術をされます。

 子どもの生まれない手術、優生手術でしたが、それを医師や職員から告げられたことはなかったそうです。

 北三郎さんは自分が優生手術をされたことを友人から聞いて知ります。その後に子どもが産めないということで、結婚してはいけないと考えられたことがあったようですが、よい出逢いがあって奥様と結婚されます。

 奥様と結婚された後、もちろん子どもはできないわけですが、それが優生手術のせいとはどうしても奥様にはいえなくて、亡くなる直前に初めて奥様に言ったということで、奥様に対する罪悪感や苦しい気持ちを今も抱えられています。

 次に、裁判を起こされた東京の原告のもうお一方は、西スミ子さんです。

 脳性麻痺のために大阪府内の施設に入所時、13歳の頃に優生手術としてではなくて、子宮の摘出手術を生理がなくなるからという理由でされます。

 脳性麻痺で介助が必要な方の生理介助の手間をはぶくためにされたもので、後から優生保護法の内容については説明しますが、生理介助の手間をはぶくためというのは、優生保護法に照らしても違法です。

 このような手術をされて他の人なら来る生理が来ないということで、その後の人生においても、結婚を考えた男性がいましたが、これを伝えて破談になってしまうなど、苦しい思いをして現在に至っておられます。

 西さんは70歳を、北さんは80歳を過ぎておられてお二人とも高齢です。

 このようなお二人をはじめ全国では多くの原告が裁判を起こしています。

 今のお二人のようにどこかの段階で手術のために、自分が子どもが産めなくなったと知っていた人もいます。

 一方、この問題が裁判になって日本中に知られるようになるまで、自分が手術をされたことを知らず、子供が産めない理由がわからず悩んでこられた原告の方もいらっしゃいます。

 このように多くの方に深い苦しみと悲しみを与えた優生保護法について内容を説明します。

 優生保護法は1948年に成立した法律です。

 もともと戦前、国民優生法というものがあり、その規定に通じるものがありますが、この優生保護法は48年にできました。

 48年を強調する理由としては、人権を尊重する今の憲法の下で、憲法ができてまもないときに作られた法律であるということが、ショッキングな事実だと考えるからです。

 不良な子孫の出生を防止する目的を掲げて、障害のある人などに対して子どもを産めなくする優生手術をすること。

 子どもができた場合に、遺伝などを防止するなどとして、妊娠中絶手術をすることができるというものです。

 法の制定過程としては、女性の母体の健康や安全を守りたいという当時の社会党の女性議員が、女性らの中絶する権利を認めさせたいとして考えられた原案がありましたが、これが優生思想を持つ立場の人たち、当時の国会議員などにもいじくられるというような形で、主に優生的な内容で、先に掲げたような内容として成立した経緯があります。

 優生思想というものを前提としています。

 劣った遺伝子と優れた遺伝子があり、優れた遺伝子を存続させて劣った遺伝子を絶っていくことが必要であり、国民の質の向上のためには、そのような劣った遺伝子をもつ者に対しては子どもを生まなくさせることが必要であるという考えに立ったものが優生思想ですが、それを背景としたのが優生保護法です。内容については、卵管結紮などの方法で、妊娠しないようにしていましたが、実際には法律から逸脱する形で、睾丸や子宮を摘出する手術が行われるなどの被害も派生的に起こっています。

 優生保護法は1996年に母体保護法に改正され、優生にかかる部分が削除されました。

 この間、ただ手術が淡々と行われているのが現状ではありませんでした。

 国が国策として優生政策を押し進めたという経緯があります。

 というのも優生保護法自体についても、医師の申請によって強制的な手術ができると、最初からそういう規定がありました。

 先ほど紹介したお2人のように、何も告げられないまま、本人の同意のないままに手術がされた例が多くあり、このような本人の同意のない手術も最初から予定されていたものではありますが、強制手術の申請について、ある時からは医師は申請をしなければいけないという形に義務化をされました。

 それから、強制手術が認められる疾患などの範囲が大きく広げられる制度の改正が行われていきます。

 また、通達などをもって医療機関に対して、欺罔などの手段を用いることを積極的に推進する形で行政からの指導が行われるようになります。

 手術をより行っていくんだという政策が推し進められます。

 社会の中でも中学、高校の保健体育の教科書に、このような人たちは、社会に迷惑をかける、世の中の手をわずらわせるので子どもを産めなくさせることが大切として、優生思想を根づかせるような教育が行われます。

 このような社会への浸透として1つ有名なものが、不幸な子どもの生まれない運動で、日本全国の自治体で行われるようになります。

 官民協働で実施されていくこういう活動を通じて、そもそも障害のある子どもが生まれることは不幸なことなんだという前提で制度が押し進められていくわけです。

 このような優生保護法、特に強制手術を定めて子どもを産む権利を一方的に奪う内容の規定は、あまりにも一方的に障害のある人の子どもを産み育てる権利や自己決定権、人間の尊厳を奪う、戦後最悪の法律だと思います。

 強制手術について強調してきましたが、任意手術についても、考えをめぐらせると、自身が任意的な手術の対象であって、手術を受けることを承諾した人がいたとして、その人は本当に子どもを持たないことを心から希望していたのだろうか、と思います。

 私自身も障害を持っていますが、周りからあなたは子どもを産まない方がいいと言われて、しかも医師や家族など多くの人から言われ、法律に基づいて不良な子孫とされ、法律に列挙されているその疾患が現にある。国は優れた人は子どもを残し、劣悪な遺伝子は途絶えさせるといっている。自分はそうであるという状況で、子どもを産み育てていくことに大きな不安を持っていたり、それまでに非常な差別と偏見に苦しめられていたりする中で、真に自由な意思で同意した人はどれだけいただろうかと思うことがあります。

 優生保護法について、最後に言っておきたいこととして、優生保護法は1996年に廃止されて、優生に関する規定はなくなります。

 ただこれはこのときに終わった問題ではないということです。

 この法律というのは障害のある人が劣った存在なのだとあまりにも公然と明確に社会に示してきたわけです。

 そして、この法律の下、優生政策が広められ差別や偏見がどんどん国民の中に醸成されていき、今、96年から27年経っていますが、今の日本に間違いなくそれが残っているものだと思いますし、優生保護法が存在するときにできた障害者政策、障害者法制に関しても、この思想が引き継がれている部分があると思います。

 この問題は、確かに法律が存続した48年間ももちろんひどい状況だったと思いますが、現在に続く問題だということを強調しておきたいと思います。

 次に、私は弁護団の一員ですので、訴訟の状況についてご報告します。

 訴訟は、国家賠償請求訴訟の形で行われています。

 東京では先ほどのお2人、それ以外にも各地で裁判が行われています。

 現在までに、11都道府県12裁判所及び支部で行われています。

 北海道、札幌、仙台、東京、静岡、これは静岡市と浜松市の2つの裁判所で行っています。それから名古屋、大阪、兵庫、徳島、熊本、大分、福岡ですね。

 もしお近くの裁判所で裁判が行われていたりお近くに原告がいらっしゃるということでしたら今後裁判に注視して応援していただけたらと思います。

 この裁判の中身についてです。

 裁判で原告たちは自らに対して行われた優生手術によって被害を受けたと訴えて損害賠償を求めて国に裁判を起こしました。

 一方で国は、優生保護法が正しかったとはっきり言うことはないものの、期間が経っているので時間の経過によって国の損害賠償を請求することはできないという主張をして真っ向から戦っています。

 最初に裁判を起こされたのは2018年の仙台でした。

 こちらは報道もされて有名だと思います。

 佐藤さんと飯塚さんです。

 その直後に東京で北さんが提訴をします。

 この2つの裁判から各地で訴訟が提起されます。

 最初に出た判決も仙台でした。そして東京でも判決が出ます。

 この2つの地方裁判所の判決は優生保護法が憲法違反だったことは前提としても、除斥期間、つまり旧民法に724条後段というのがあって、こちらによって権利が消滅しているため、国に対する(請求権は)ないとしました。除斥期間について説明しますと、5年前に民法が改正されたのですが、権利は5年経ったら時効で消滅するが、後段に、20年経っても同様とする、とあります。一般的な交通事故では相手も被害もわかるので、この場合は5年で消滅しますが、そういったことがわからないとしても、20年経てば無条件で消滅するという書きぶりには確かになっています。ただ、ここに除斥期間とは書いていません。

 解釈として、最高裁が、過去に724条の後段は除斥期間ですよとしています。

 これは、被害者や社会の状況がどうであれ、無条件で権利が消滅する期間です。

 この期間が、今回の国家賠償請求訴訟でも適用されるとしたのが地方裁判所の判断となりました。

 その後も敗訴が続きますが、あきらかにこの除斥期間を適用するのはおかしいことです。

 そもそも国が優生政策を推し進め、さらに、優生保護法の中で、本人の同意がなく手術ができるようにしました。

 欺罔といって、騙して連れて行く、身体拘束をする、麻酔を使うといった方法を奨励し、本人が何が行われているかわからない状態にしていました。社会で醸成されていた差別や偏見や、障害のある人を排除するという制度の下で、その人が国に対して声を挙げるのは困難だったと思います。

 なのに一方的に国が20年たったから、国は、請求されることはないんだ、賠償される責任はないというのは不当と思わざるを得ません。

 最初の提訴から4年たった2022年2月に転機がやってきます。

 それが大阪高裁の判決です。

 直後に東京高裁でもありましたが、この高等裁判所の判決では、除斥期間を認めることは正義公正に反すると、当時の社会状況を考えないものだとされました。

 彼らが請求することは困難だったということを全く考慮しないものであるから、除斥期間という主張も許されないものだとして、国の損害賠償請求を認めました。

 ここが転機になります。

 このような高裁判決の後、現在に至るまで地裁判決、高裁判決が順々になされていて、地裁と高裁を合わせると、被害者が勝訴したものと敗訴したものは、ほぼほぼ同数で拮抗しています。

 裁判所の中でもこの20年の期間によって権利を消滅させるのかどうかは、判断が分かれるところです。

 このような状況ですので、まず高等裁判所の判決については、1件だけ敗訴したものが仙台高裁の6月の判決がありますが、それ以外は被害者側が勝っていて、いずれも上告されています。全ての裁判が裁判所に今かかっています。

 この資料に載せている年表が、提出期限との関係で最後の部分が載せられていません。

 年表の一番最後に2つの事項が入れられると思います。

 1つが10月25日の仙台高裁判決です。

 これは、後で紹介したいと思いますが、勝訴しております。

 その後、11月1日に最高裁が上告を受理、大法廷の開府というのを行いました。

 テクニカルなのですが、最高裁での審議が始まると捉えてください。

 このような訴訟の流れになり、最後に一番新しい仙台高裁判決について説明したいと思います。

 この原告は、(別の仙台の原告である)地裁で敗訴した人とは違って、仙台地裁でも勝訴しています。

 その上で仙台高裁はかなり画期的な判断をして、テクニカルなんですが、民法724条後段は、除斥期間というのは、あくまで最高裁が法解釈として示したものが、これは間違っているというふうに仙台高裁は述べて、あくまで時効だとしています。

 時効だったらどうかというと、時効は止めることができます。時効を主張するのは、権利乱用だと言える、止まる存在になるんです。

 まず時効であって、国が現在に至るまで彼らが主張しづらい状況にしたことに触れ、国の主張は権利乱用であると判断しました。

 仮に除斥期間だったとしても、その主張は正義公平の理念に反すると、一応念のため付されています。この判決は最高裁判所の判例変更を迫るものとして非常に画期的だとされています。

 次に一時金支給法(旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律)についてです。

 一時金支給法は被害者に対して一律320万円の一時金支給を認めるものです。

 この内容は、被害救済の戸を開くものとして、第一歩としては有用だと思いますが、いくつかの問題も指摘されています。

 まずは一時金支給法では、320万円の補償とされていますが、裁判所でこれまで下された判決では、1,500万円前後の損害賠償が認められているので、これに比べ金額が少ないという点があります。

 そして、被害を受けた方々に対して、一時金支給が適用されるという通知を全体に行う制度がないため、自らこの情報にたどり着いた人だけが請求をすることしかできない状況があります。

 障害のある人の中には情報に接することが難しかったり、接していたとしてもどうしたら請求できるかわかりにくい方もおられますので、現在、手術を受けたと把握できている2万5000人のうち、4%しか一時金支給の適用を受けられていない状況です。

 親族、特に配偶者の固有の慰謝料も認められていません。

 子どもを産むことができない苦しみは配偶者固有の苦しみでもありますが、そこに対する慰謝料は認められていないことも問題です。

 また調査報告書として6月に出されたものも話題になったと思います。

 国会が優生保護法に関して調査を行い報告書を出しています。この内容も、優生保護法の立法過程から手術の実施状況、そして諸外国における断種手術の状況について記載をされています。

 調査報告書の2部ではリハビリテーション協会さんをはじめとした各団体に対する調査も行われています。

 医療機関への調査も行われていますが、医療機関に対してはカルテを全面的に探索する必要まではなく、把握しているものがあれば出してくださいという、非常に消極的になっているのは問題ではないかと思われております。

 国連からも一時金支給法については十分な情報提供の機会を与えるものではなく、かつ5年に期間を区切っている点ではまだ不備があるとして勧告を受けております。

 以上が制度の説明です。

 思ったよりも時間を消費してしまいました。

 ただ、私が呼ばれたということなので、私の話をしておいた方がいいのだろうと思っております。

 私と優生保護法問題ということで、少しお話をさせていただきますが、自己紹介のとおり、私は視覚障害があります。

 全盲ではないですが、多くの文字を読むには到底足りない視力のため、点字を使ったり、パソコンではスクリーンリーダーという読み上げソフトを使っています。

 パソコンなど技術が進んだ時代に生まれたことや、親のぬくもりもあって、障害があって困ったことはないと思ってきましたが、そう思いつついろいろ考えてみると、小学校に入るときには、盲学校に行ったほうがいいと教育委員会に言われ、親が戦って普通学校(みんなと同じ学校)に行ったりということもありました。

 途中で結局盲学校に行くのですが、視覚障害者はあんま・針きゅうの仕事をしたほうがいいとか、障害者雇用で雇ってもらえるんだからそうすればいいというような、あなたの人生はこうだと決めつけられるようなことがありました。

 大学でも、私が何ができるかも聞かずに、私の授業は受けないでくださいと大学の教授に言われたこともあり、差別や排除は今までいろいろあったかなと思っています。

 私の父親は視覚障害がありまして私はおそらく遺伝したんだと思っています。

 この話をすることもはばかられて、マスコミにも聞かれたこともあったのですが、自分の子どもに遺伝するかもしれないということを話すことが怖いと感じています。

 ここではなぜお話ししたかというと優生保護法の問題に通づると思うからです。自分の子どもが障害を持って生まれることを怖いと思う気持ちを分析してみると、それは、障害をもつとかわいそうだとか、そういうことではなくて、今の世の中は、障害のある人が尊重されて生きられるようになっていないからです。

 そのような世の中で、子どもを産みたくなったとき、どういう思いになるでしょうか。私の夫は、夫の家族も含めて非常に理解があり、全く何も言われなくてびっくりしたくらいですが、障害があって結婚して子どもを産みたいというのは、多くの場合、非常に深い悩みと抵抗感があると感じています。

 この問題の根源の一つには、間違いなく優生保護法があると思います。

 優生保護法の問題を解決して、さらに、この社会には障害のある人が生きていてもいいんだ、社会の構成員の1人なんだということを根付かせ浸透させていくことができなければ、いつまでも子どもを産むのが怖いままだと思います。そのために私は、優生保護法訴訟の力になれればと考えています。

 私は初めて優生保護法の訴訟に関わった後、原告の皆さんに触れるというか出会って、非常にかっこいいと思っています。

 彼らは手術を受けた段階では、きっと煩わしい存在、この人たちは生きていても人の世話になるだけで何も作っていけない存在だと思われていたんじゃないかと思います。

 周りが思っていたかはともかくとして、法律はそう思っていたわけです。

 でもその人たちが今、立ち上がってこの社会を変えようとしている。

 言葉で言い尽くせないほど尊敬しています。

 私も障害のある1人として、彼らがとても立派な先輩に思えて、本当に尊敬するかぎりです。

 その彼らと一緒に戦っていきたい。

 それを実現するためにも、今後、裁判でできることをできる限りやっていきたいと考えています。

 この問題を解決するためには、最高裁での審理を待っている状態ですが、これだけでは足りないと思います。

 原告は70代、80代で非常に高齢です。

 この方々がお元気でいる間に解決しなければなりませんが、既に5名がなくなっており支援者の方の中にも亡くなる方が出てきています。

 抜本的に解決するには、政治的な解決が必要です。

 政治的な解決というのは、皆さんの声、国民の声によるところだと思います。

 理解を持って支援していただくことを心よりお願い申し上げます。

 以上ですが、お手元に最高裁での判断として、正義公平にかなったものをかなえるため、書名の用紙をお配りしていると思います。

 ここでは回収しないそうですが、QRコードや送り先も書いています。

 ぜひぜひご協力いただけましたらと思います。

 私からは以上です。

遠藤/板原先生ありがとうございました。

 優生保護法をめぐるいろいろな情報をわかりやすくご提示いただきました。ご自身の思いや不安なども開示していただいて、会場の人や私も含め、まだまだ優生保護法問題は終わっていない、今まさにある課題なんだなということをすごく実感できた内容でした。

 ありがとうございました。

 それでは、お時間が少しありますので、フロアの方々からご質問や感想等でも結構です。

 ぜひコメントいただければと思います。

 いかがでしょうか。

洗/感想となります。先ほど私は登壇をしていて、精神医療の現場で働いていますと紹介させていただきました。

 27年前まで優生保護法は生きていて、精神科に入院されている方たちの中にも、実はこの優生保護法の被害に遭っている方が、たくさんいらっしゃるはずなんですね。

 ワーカーの先輩の話を聞けば、紙カルテにマル優というハンコを押されているのを見たことがあるよと、そのような話を聞いたことがあります。

 いろんな思いがめぐっています。

 私たちソーシャルワーカーは、支援者の立ち位置ではありますが、実は自分たちの加害性みたいなものの怖さを改めて感じています。

 当時は法律で規定されていたので違法ではないし、人権侵害ではなかったという認識で、北さんの入所されていた施設の職員も、正しいことをしているつもりで連れていっていたかもしれない。

 そして実は多くのソーシャルワーカーが、当時、そういう立ち位置の中で仕事をしていたんだろうと考えると、やっぱり法律が全て正しいわけじゃないと、我々は認識をしなければいけないと思いました。

 医療保護入院の話もそうですが、今の精神保健福祉法も、5年後、10年後に将来振り返ったときに、こんなひどい人権侵害の法律を、当時の人は平気だったのかと批判されるかもしれない、でも、そういう未来が来てほしいとも思いますが、そういう可能性があるということを感想として感じました。これが1つ。

 先生は原告の方々を尊敬していると言われましたが、私も本当にそう思います。国が国策としての人権侵害を認めてくれない、既に十分に人権を侵されて傷ついている人が、勇気をもって原告として立っている方が、精神の国賠の人にも言えると思いますが、二次被害として国から二重三重に否定されるのは許されないと個人として思います。

 国賠訴訟のみなさんが、国を相手に勝つのは難しいと思いますが、そこを勇気を持って戦っています。昨日の議論では、国内人権機関の不在が対日審査で指摘をされたことが出されていましたが、このような訴訟でという方法ではない救済の仕組みも大事なことだと思いました。

 感想ばかりですが、お話ありがとうございました。

板原/ありがとうございます。優生保護法の関係で、じゃあ産んでどうするの、という言い方をする人がいるのと同じように、精神科でも、じゃあ病院を出てどうするの、という考えがあるのだと思います。

 過去のことを言っても仕方ないですが、出たらかわいそうだから、生まれたらかわいそうだからという理由で、閉じ込めたり産めないようにする前に、出ても生んでも大丈夫な社会を作ることを目指さないといけないと思います。

 そうだったらいいね、ということではなく、具体的に進めていかないといけません。諸外国にあるいろんな例を見習うこともできますので、子どもを生んでもこういうふうに社会で育てていけるのにね、と言えるような、そういう社会を目指す必要があると感じました。

 私は、優生保護法がまだあった1990年に生まれたので、私自身が不良な子孫だと言われたに等しいわけです。

 私がやはりこのことを忘れずに、必ず形にして後世に引き継いで行かないといけないと思います。

 48年間にわたって優生保護法のある間、多くの人がそれは仕方ないと思っていた状況がありますが、例えば、青い芝の会の方など、声を挙げた人がいました。

 声を挙げない、問題だと思わないという力は、人権を簡単に消し去ってしまうことを、私はここで知りました。

 このように偉そうに言える立場ではないのですが、この問題を引き続き検討し、将来に必ず生かしていくように努力していかないといけないと思う次第です。

遠藤/ありがとうございました。会場から、どなたかコメントのある方はいますか。

藤井/自分の年齢から27を引くと、優生保護法と自分が同居していたかどうかが分かります。

 おそらく今日お集まりの顔ぶれを見ると、大体同居してきた人が多いと思います。

 実行委員会を代表して、板原さんに来ていただいてよかったと思います。

 質問が2つあります。

 まず、大法廷でこの問題が扱われることの意味を説明していただけますか。

 また、今の日本の障害者政策の中において、優生保護法問題は、どういう位置にあるのでしょうか。過去の終わったものだという捉えられ方も少なくないです。近未来に向かって、このことを曖昧にすると未来は開けにくいという見方もあります。この2点を質問します。

板原/あくまで私の考えなので、弁護団にはまた別途聞いてもらいたいと思います。

 まず、大法廷に回付されるということについてです。「最高裁に上告する」という言い方は、一般用語としても聞かれると思います。最高裁というのは必ず審理を開くわけでなく、多くの問題については、門前払いをします。上告の書類が届いても、上告を受理しない、または受理はするが書面で棄却をするということは、よくあることです。

 そんな中、今回、受理をしたうえで大法廷へ回付するというのは、大法廷を開いてこの問題について審理をしていく、門前払いしないことを意味します。

 最高裁判所には15人の裁判官がいて3つの小法廷があります。15を3で割って、長官がどうこうという話はありますが、5人ずつで小法廷を作っています。

 判例変更をしたりとか、小法廷の裁判官が重要な問題であると認めた場合などに、大法廷で判断をします。日本では判例変更といって、これまでの解釈を覆す場合や、憲法違反など重要な問題の審理には大法廷が開かれてきました。

 ただその結果として負けることもあります。

 夫婦別姓などは大法廷で審理され、弁論が行われながらも負けてしまいました。

 これから最高裁が主戦場になるという理解です。ご説明がうまくできているでしょうか。

 障害者政策については、私は新米なので偉そうなことは言えませんが、精神科医療に対する政策と教育にも大きな影響を及ぼしているのではないかと考えます。

 障害者を分離して隔離をする。それが障害者が一般の社会には包摂されない存在なんだと観念的に結びついていると思います。お答えになっていますでしょうか。

藤井/基本的なことがよくわかりました。

 改めて板原さんに来ていただいてよかったということを申し上げておきます。

 どうもありがとうございました。

遠藤/あと1つだけコメントを受けられる時間があります。いかがですか。

会場/貴重なお話をありがとうございました。

 一時金については、4%の方しか受け取っていないということでした。

 障害者がこの種の情報を得ることは難しいにもかかわらず、あまり積極的に動いてないという話でした。

 今後どのようにしたらこういったことが広まり、受け取れる状況になるか、何かアドバイスがあったら教えてください。

板原/まず一般的に言われているのは、個別通知という制度を、一時金支給制度に織り込むことが必要だということです。もう一つは、一時金は2019年から5年間請求できることになっていて、もう終わる状況ですが、この期間を無制限とし、期間延長措置にするということです。請求に時間がかかる人がたくさんいるだろうと考えられるからです。

 個別通知については、非常にセンシティブな問題です。各家に、その方が優生手術をされたという事実をはっきり書いた書類がいきなり届くと、ちょっと心配ということもあるかと思います。プライバシーに十分に配慮した形で個別通知をしなければ、問題が起きるとか、ご本人に届かない可能性は非常に高いと思います。

 次に、これは弁護団としてではなく、あくまで私が感じていることですが、家族や支援者の罪悪感や、それでもどうしようもないじゃないという正直な意識も、一部、請求を阻んでいるのではないかと思うこともあります。

 施設に入っていたり、24時間介護が必要な方もいます。そういう方々は、周りが請求してほしくないと思っているのに、その中で請求に踏み切ることができるでしょうか。

 申請するには、手紙を1つ送るにも周りの方の支援が必要になってきます。その中で、自分は被害を受けたと周りに言い出せないこともありえるのではないかと思います。

 支援者に理解を求める活動、そして、この問題は国が政策として押し進めてきたことが問題であって、当時の家族や支援者を責めるものではないという事実と、今後、社会を変えるためにも、より多くの、全ての人が補償を受けなければならないという事実について、支援者、家族を含めた皆さんに心から理解してもらえるように、啓発活動を続けていくことが必要だと思います。

遠藤/お時間がきましたのでここで終了させていただきますが、座長から簡単に感想を述べます。

 板原先生、ありがとうございました。

 またフロアの方々からもすばらしい感想や非常に考えさせられるお話をいただき、私も勉強になりました。優生保護法は廃止になったとはいえ、今も出生前検査などが話題になり、検査の後に中絶を選ぶ人もかなり多いと聞きます。

 こういうことを踏まえて、お子さんを産むに当たって安心できる環境がまだ提供できていない社会だと、いつも考えさせられています。

 また大学の合理的配慮を進めていくときにも、配慮と称して選択をさせない風潮もあります。例えば実習先の選択についても、他の人は選択ができるのに、なんとか説得してあきらめてもらうような、配慮と称した選択させない風潮があります。悪意ではない、その人たちにとってみれば配慮のつもりの無自覚な行為に対して、もっとセンシティブに考えていかなければいけないとすごく考えさせられました。

 これは私の個人的な実践の中での感想で、あまり一般的な話でなかったとしたらお許し下さい。

 これで優生保護法をめぐってのセミナーは終了します。

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