第16回リハ協カフェ報告

法政大学名誉教授 松井亮輔

令和5年5月10日に開催された第16回リハ協カフェでは、来日中の国際リハビリテーション協会(RI)社会委員会副委員長・RI100周年記念誌(デジタル版E-Book)(注1)編集長であるジョセフ・クウォック(香港)を招いてその内容、活用の仕方、これまでRIにかかわってきた主な加盟団体やそれらの関係者およびそのとりまとめにあたっての苦労談や課題などを中心に通訳を含め、1時間20分程度で話をしていただいた。

そのあと、ジョセフとわたしの対談(日英で約50分)、そして、それに引き続いて、全体について質疑応答(ただし、質問者は、時間の関係であらかじめ指定されていた3名の方に限定。)が行われました。

以下では、この対談の内容を中心にご報告させていただきます。

RI100周年貢献賞について

RIは、昨年100周年を迎えました。その記念式典・イベントは、コロナ禍の関係で昨年ではなく、今年5月20日(土)~23日(火)に北京で開催されます。5月21日の記念式典では、この100周年に因み100の団体(43団体)と個人(ジョセフを含む、57人)に貢献賞としてそれぞれ1万ドルずつの賞金とメダルなどが、ハイディ・ザン(中国)RI会長から手渡されること、日本からは2団体(日本障害者協議会(JD)と国際協力機構、および1個人(高木邦格国際医療福祉大学理事長)が受賞されること、また、この記念イベントの一環として5月23日(火)午前に開催される国際セミナー「社会的包摂と障害者組織」では、JD代表の藤井克徳さんが「社会的包摂における障害者組織の機能を十分に発揮するために-日本における障害分野のNGO活動の現状と課題」というテーマで基調講演をされることなどが、ジョセフから紹介されました。

RIと日本のかかわり

ここでは、わたしからRIと日本とのかかわりの経緯などについて説明するとともに、そのなかでジョセフが経験されたことについて感想などを伺った。

RIに日本から最初に加盟したのは、日本肢体不自由児協会(以下、日肢協。1948年設立、1950年加盟)です。1965年に東京で第3回RI汎太平洋地域会議開催が決まり、その主催団体として日本障害者リハビリテーション協会(以下、リハ協。当初の名称は、日本肢体不自由者リハ協。1970年に、当時のRIの名称(国際障害者リハ協)を踏まえ、現在の名称に変更)が、日肢協内に設置(リハ協が、単独の団体となったのは、1984年)されました。

リハ協がRIに加盟して以降、RIのネットワークを活用してつぎのような活動が展開されてきました。

①第3回RI汎太平洋地域会議の開催

同会議は、「障害者のリハビリテーション(以下、リハ)」をテーマとする日本ではじめての国際会議です。「リハ」が保健・医療、教育、職業および社会にまたがる総合的なサービス体系であること、また、それは、肢体不自由や内部障害を含む、身体障害だけでなく、知的障害や精神障害および社会的障害のある人びとをも対象とするものである、という理解が深まる大きなきっかけになりました。

②リハ交流セミナーの開催

第3回RI汎太平洋地域会議のあと開催されたRI世界会議(1966年ヴィズバーデン(ドイツ)、1969年ダブリン、1972年シドニー、1976年テルアビブ)やRI汎太平洋地域会議(1968年香港、1975年シンガポール)などに参加した日本の関係者が、それらの会議で学んだり、経験したことについて情報共有するとともに、それらを踏まえて国内で総合的なリハを推進することを目的に、1977年から3年間は有志で、1980年からはリハ協主催によりリハ交流セミナー(1991年からは総合リハ研究大会に名称変更)が毎年開催されています。

③国際アビリンピック(IA)の開催

同大会は、身体障害者の雇用の促進を目的に1972年から国内で開催されてきた身体障害者技能競技大会を、1981年の国際障害者年の記念行事のひとつとして拡大・実施することを意図したものです。その主催団体は、現・独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構(以下、機構。当時は、労働大臣認可法人身体障害者雇用促進協会(1977年設立))で、RI事務局の全面的協力を得て、各国のRI加盟団体などに同大会への参加要請が行われました。同大会は、その後原則として4年ごとに開催されることになります。同機構は、同大会後RIに加盟しました。

ジョセフは、1991年に香港で開催された第3回大会の役員を務めて以降、この大会にかかわっています。

④障害分野の国際協力・交流事業の展開

1981年の国際障害者年を契機に、日本でも障害分野で様々な国際協力・交流事業が展開されることになりました。1980年に国内で国際障害者年を推進するための民間組織として国際障害者年日本推進協議会(現・日本障害者協議会(JD))が結成され、その事業の一つとしてリハ中堅職員研修が、RIアジア太平洋地域各国加盟団体などの協力を得て、1980年~82年に実施。そして、1984年にはその事業は、国際協力機構(当時は、国際協力事業団)の事業のひとつとなり、その実施はリハ協に委託。ジョセフは、1985年の同研修に研修生として参加しています。

⑤RNNキャンペーン会議とAPDF会議の開催

障害者の「完全参加と平等」の実現をめざす国連・障害者の十年(1983年~1992年)をアジア太平洋地域で引き続いて実施するため、国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)総会でアジア太平洋障害者の十年(1993年~2002年)が決議されたことを受け、同十年を推進するためアジア太平洋地域NGOネットワーク(RNN)キャンペーン会議(以下、RNN会議。事務局は、リハ協)をRIアジア太平洋地域各国加盟団体などの協力と参加を得て、各国持ち回りで開催。ジョセフは、1993年に沖縄で開催された第1回RNN会議以降、後述のアジア太平洋障害フォーラム(APDF)会議も含め、すべての会議に参加。また、1998年に香港で開催された第6回RNN会議では実行委員長を務めています。

RNN会議は、2002年の大阪会議で終了。第2次十年を推進するために同会議にかわる組織として、RNN会議同様、RIなど、アジア太平洋地域の障害団体を中心にAPDFが2003年に結成され、その事務局はリハ協が継続。同会議は、原則として隔年、各国持ち回りで開催されました。同事務局は、2012年秋インチョンで開催された第2次十年最終年ハイレベル政府間会合後、韓国障害者リハ協に引き継がれました。

(注)紙幅の関係で、1988年の第16回RI世界会議(東京)および2002年の第12回RIアジア太平洋地域会議(大阪)については触れることができませんでした。

RIの現状と打開策について

2010年ごろまでは、RI加盟団体は、100か国以上の1,000団体にも上るとされていたのが、近年はその団体数は年々減少し、いまではその実数は100団体程度になっています。こうした加盟団体数の減少に伴い会費収入が減り、その結果、事務局による加盟団体へのサービス機能の低下をもたらす、そして、それがさらなる加盟団体の減少を招く、という悪循環に陥っているのが現状です。そうした現状を打開することが、ポスト100周年のRIにとって最優先課題と思われます。その打開策としてジョセフは、つぎのような提案をしました。

アジア太平洋地域におけるRIネットワーク活動の再活性化に向けて、同地域の有力な加盟団体(日本、韓国、香港、台湾、ニュージーランド、オーストラリアなど)およびRIアジア太平洋地域事務局(マカオ・フホン協会)による、情報交換と相互交流のための定例のオンライン会議の開催。

こうした情報交換などをとおして、相互の連携を深め、共同による取組みに繋がる可能性があること、それはまた、RIアジア太平洋地域加盟団体の国内および国外への発信力を高めることにもなる、ということです。

なお、この提案は、RI100周年記念式典・イベントにあわせて北京で開催されるRI役員会に諮られ、そこで具体化に向けての議論が深められることを期待したいと思います。

(注1)E-Bookは、つぎのURLからアクセスできます。www.rimacau2019.org

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