ひと~マイライフ-病気になっても希望~HOPE~が持てる世の中に

「新ノーマライゼーション」2024年4月号

小林俊介(こばやししゅんすけ)

静岡県在住、30歳。2009年(当時16歳、高校1年生)に再発性多発軟骨炎(以下、RP)を発症。気管軟骨の炎症を繰り返し、気管狭窄が進行したため25歳の時に気管切開の手術を受ける。現在は病院の管理栄養士として働きつつ、RPの患者会であるHORPにて活動し、疾患を持った患者も希望が持てる世の中を目指し奮闘中。

高校1年の9月、高校生活にも慣れて部活動でも代替わりがあり新学期を頑張ろうとしていた矢先にRPを発症しました。RPという病気を簡単に説明しますと鼻や耳、関節や気管支、心臓の弁など全身の多くの場所の軟骨を本来外部からの菌やウイルスに反応する自分の免疫が誤って攻撃して炎症を起こし、一時的に良くなっても再発を繰り返す自己免疫疾患です。発症当時はRPという病気は医師の中でも認知度が低く、診断までにも私の場合は発症から2か月かかりました。そのうちの1か月半は違う病気の治療を受けることとなってしまい、病状は悪化する一方でした。たまたま、RPを知っている先生に出会ったおかげでRPとしての治療をスタートすることができましたが、他の患者の方で当時は1年以上診断がつかなかったという話も聞いたことがあります。

私が発症する少し前に現在の患者会の前身である患者支援の会が発足しました。最初は母が連絡を取っていろいろと相談をしていたのですが、20歳になるのを機に自分の病気のことは自分で何とかしようという気持ちが強くなり、患者同士の交流会などに積極的に参加するようになりました。患者支援の会も患者が主体で動くような患者会へとなり、名前も「希望」を意味する“hope”と再発性多発軟骨炎の略称である“RP”をかけてHORPとなりました。

患者会ではまず医師の中でのRPの認知度を上げるため、指定難病への認定を目標に署名活動をし、厚生労働省へ嘆願書を提出しました。5回にわたり合計約60万筆の署名を提出し、熱意を伝えることがかない2015年の難病法の改正時に指定難病への仲間入りを果たしました。その効果は大きく発症当時は全国で300人ほどといわれていた患者数も2021年時点で特定医療費(指定難病)受給者証の取得者数だけでも約1,000人に上り、それまで症状があるのに診断がされなかった潜在的な患者を見つけることにつながりました。

RPが指定難病になったことで早期診断・早期治療開始につながった上、医療費の面でも患者の負担がだいぶ軽くなりました。そして、次に見えてきた課題が治療薬の保険適応の問題です。

RPの治療には炎症を抑えるステロイド薬、自己免疫疾患であるためその機能を抑える免疫抑制剤、そして説明が難しいので省略しますが生物学的製剤という治療薬が使われます。しかし、現在RPの治療に保険適応が認められている治療薬は厳密にいうとステロイド薬しかありません。そこで患者会ではRP患者の調査で特に効果が大きいと実感している生物学的製剤の保険適応を目指して現在動いています。

この活動はRPに関わる医師、RPを診る機会が多いリウマチ科の医師によるリウマチ学会、生物学的製剤を作っている製薬会社、保険適応を認可する厚生労働省など多くの組織を巻き込みながら進めていかなければなりません。でも、保険適応が認められることで患者の治療の選択肢が広がることにつながり、それが患者の希望につながってほしいと私は思います。

私がRPになってから約15年が経とうとしており、患者としてはベテランだと自負していますが、患者会の中では若い部類に入ります。そんな自分がRPという病気を抱えながらも元気に楽しく過ごせている姿をみせることでこの病気になってしまった人の不安が少しでも軽くなったらいいなと思います。患者さんの希望~HOPE~になることが私の人生の目標です。

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