弁護士
板原愛(いたはらあい)
私は、1990年に先天性の角膜変性により、両眼の視力が共に0.02程度、視野が30度程度で生まれ、現在まで障害当事者の女性として生きてきました。中学2年生のころから弁護士になりたいという思いがあったため、司法試験に挑戦し、2018年に合格し、2019年に弁護士登録をしました。
現在は、企業や個人の方から依頼を受け、民事事件、家事事件、刑事事件等幅広く業務を行っています。
業務と並行して、障害当事者でもある弁護士として、日本弁護士連合会人権擁護委員会障がいを理由とする差別禁止法制に関する特別部会に所属するなどし、障害のある人に対する差別、虐待、障害のある人の修学、就労の問題等に関し、研究や政策立案に関する活動も行っています。
最近は、障害のある方、家族や支援者の方、障害者団体などからご相談を受けたり、研修や講演を行うことも増えてきました。
ところで、ご承知のとおり、障害のある女性は、障害者であり女性であることで、複合的な困難を抱えているとして、障害者権利条約6条などにより、複合差別の規定が設けられていますが、現在でも、私のところには、障害のある女性から、性的虐待や嫌がらせ被害等を受けたという相談が寄せられることもあり、異性介助の問題も含め、障害のある女性の権利保障について法的、制度的に課題が多いと感じます。
私自身も弱視であることから、お願いしていないのに誘導と称して男性に何度も手や肩に触られたり、待ち伏せをされたりなどの不快な思いをすることは時折ありました。しかし、幸いなことに厳しい差別や重大な被害にあうことがなかったため、恥ずかしながら、これまで複合差別の問題にあまり目を向けてきませんでした。
しかし、そんな私が、弁護士として活動する中で、女性であり障害者であるということの困難さを強く感じたきっかけがありました。それは、優生保護法被害東京弁護団への加入でした。
「優生保護法」は、1948年から「母体保護法」へと改正される1996年まで存在し、障害者などへの強制不妊手術などを定め、約25,000人が同法に基づく不妊手術の被害を受けています。現在、同法に基づき手術を受けた39名が、全国で国に対し賠償を求めて訴訟を提起しており、本年7月3日には、最高裁判所大法廷がそのうちの一部の訴訟について判決を言い渡し、旧優生保護法の規定が日本国憲法に違反するものであると断じたうえで、被害者らへの賠償を命じています。
優生保護法裁判の原告の方の中には、子孫の出生防止という旧優生保護法の目的(それ自体が重大な人権侵害ですが)ではなく、生理介助をなくすためという目的で、子宮を摘出されてしまった障害のある女性が複数名いらっしゃいます。目的だけでなく、子宮の摘出という手段も、旧優生保護法で認められていない、当時においても違法なものでした。
障害があることで、女性としての権利や人間としての尊厳が無視され、他人の世話になる存在として、迷惑をかけないようにと子宮が摘出されることが当たり前に行われていたことに衝撃を受け、障害のある女性の人権があまりに簡単に蹂躙(じゅうりん)されることを知りました。
恋愛、結婚、出産、ライフスタイル、それらは、障害の有無や性別にかかわらず、誰もが自分で決定できなければならないということは、当たり前のことだと思いますが、それが当たり前ではない現実があります。私は弁護士として、障害のある女性として、これらの「当たり前」を、社会全体が共有し、二度と忘れることのないように、弁護団活動をはじめとして、種々の活動を続けていきたいと思います。
現在、NHKの連続テレビ小説「虎に翼」が話題になっており、劇中では、女性が弁護士になることに対する制度と差別意識の壁や、男性弁護士と異なり女性弁護士には依頼が来ない現実が描かれています。また、このドラマでは、女性であることと貧困や国籍の障壁などの複合的な困難も描かれています。
近年、障害のある弁護士の数が増えてきましたが、障害のある女性弁護士はまだまだ少ない状況です。
視覚障害のある人については、野村茂樹弁護士が、拡大読書器の使用などの合理的配慮を受けて司法試験に合格され、1983年に日本で初めての弁護士となられてから、日本で初めて点字により司法試験に合格された竹下義樹弁護士をはじめ、男性の視覚障害者数名が弁護士となりました。一方、視覚障害女性の弁護士はしばらく現れず、法務省が司法試験合格者の障害と性別の情報を公開していないものの、2018年に私が合格したころまで、少なくとも点字や拡大読書器の利用などの合理的配慮を受けて司法試験に合格した女性は見当たりませんでした。なお、中途の視覚障害により盲導犬を連れて活躍されている方など、視覚障害者の女性弁護士自体は複数人います。
一方、私自身は、弁護士になりたいと思い始めてから実際に弁護士になるまでの間、障害があることや女性であることで、弁護士になることができないかもしれない、または、弁護士にならないほうがよいかもしれないと感じたことは一度もありませんでした。
しかし、私が司法試験受験を体験して思うことは、視覚障害者が法曹になる道は、家族、学校、周囲の人々のこれでもかというほどの支援によって成り立っているもので、私はそれらに恵まれた故に、障害があることや女性であることを大きな障壁だと感じずに済んでいたということです。
その「支援」には、金銭的な支援だけでなく、精神的な支援、無理解や偏見の排除、周囲の環境等、多岐にわたり、同じ視覚障害があっても、女性と男性の間に、この「支援」の差があったからこそ、視覚障害のある女性法曹の出現に35年以上の時間差が生じたのではないかと想像しています。
「虎に翼」に描かれた女性に対する差別は、程度は変われど、多くが現在の日本にも残っています。
障害のない女性であっても、将来を考える時には、しばしば差別や偏見にぶつかります。例えば、私が1年間の浪人生活をするため予備校に通っていたころ、東京大学法学部を目指していた友人が、親に「女なのに浪人してどうする、嫁のもらい手がいなくなる」と言われたという話をしたところ、そこにいた医師志望の友人が、「あなたなど4年制大学を目指しているんだからまだましだ。私は「女なのに浪人したうえに、(6年制の医学部で)6年間も勉強してどうする」と言われた」と言ったことを覚えています。
ほかにも、「結婚に有利だから、女性は女子大に行ったほうがよい」「学歴のある女性はモテないからほどほどにしておいたほうがよい」などという話がしばしば話題に上がることもありました。
また、私が結婚したことをお世話になった方に報告した時には、「仕事は続けるんですか?」と返事が返ってきて、女性が結婚すると仕事を辞めるという固定観念が表れていることに驚いたこともありました。
弁護士になった後も、同僚の男性弁護士とあるご相談に対応した際、男性弁護士の後に続いて私が名刺をお渡ししようとしたのに、相談者の方に目の前で名刺入れをかばんにしまわれたことが何度かありました。その方々は悪意があるわけではなく、私の名刺を目にして弁護士であるとわかると、慌てて名刺入れを取り出されます。私が弁護士ではないと頭から信じ切っていたから、名刺交換は終了したと認識されたのでしょう。
東京にはおしゃれな建物が多く、視覚障害のある私は歩いている時、よく透明なガラスの壁やドアにぶつかってしまいます。そこに壁やドアがあると知らず、ある程度の速さで正面衝突して、向こうから来た人にすごく驚かれたり笑われたりして恥ずかしい思いをします。
特に女性の社会進出を阻む障壁を指して、「ガラスの天井」という表現が使われることがあります。ガラスの天井と聞くと、私はきっとそれも見えなくてぶつかるだろうと思います。
きっとこの先も、新たなガラスの天井が私の行く先を阻むと思いますが、私にはどうせ見えない天井ですから、恥ずかしがることなく派手にぶつかり、少しでも社会のガラスの天井を破壊して生きていきたいと思います。