宮城県立支援学校女川高等学園
平出哲朗(ひらいでてつろう)・柏卓志(かしわたかし)
NPO法人支援技術開発機構
北村弥生(きたむらやよい)
本校は、軽度の知的障害がある生徒を対象とした高等部のみの特別支援学校です。生徒一人ひとりが、社会的・職業的自立を目指し学習しています。また、県内では初の3年全寮制の学校であることも特徴の一つです。
開校は平成28年度で、東日本大震災で甚大な被害を受けた女川町は復興も道半ばであり、土地のかさ上げ、住宅や公共施設の再建等、災害の爪痕が色濃く残る中での船出となりました。通学経路も津波の浸水想定域であることから、経路上の高台へ避難する訓練も実施しました。居住地域で被災した生徒もおり、震災の記憶も新しいことから、訓練へ取り組む姿勢には積極性が目立ちました。
寄宿舎生活の中で“自治会活動”を立ち上げました。生徒は、各都道府県における自主防災組織を参考とした6班のいずれかに所属して活動します(表1)。
表1
自治会班 | 主な活動例 |
---|---|
総務班 | 自治会活動全体の取りまとめ、代表者会議のサポート 等 |
安全点検班 | 定期的な施設設備の安全点検、および点検結果の報告 等 |
環境整備班 | 消耗品の点検・補充、非常口、非常階段等の清掃・点検 等 |
救護班 | 応急処置用品の定期的な点検、点検結果の報告 等 |
給食給水班 | 定期的な食堂の清掃、冷水機への給水作業 等 |
広報班 | 各班活動の取材および記録、町内への取材活動 等 |
自治会活動では、「1.寄宿舎生活における課題の改善等、より良い生活に向けた意見交換や発信ができること」と「2.日常的に減災に向けた活動に取り組むことで、防災意識を高められること」を目的としました。さまざまな障害特性をもつ生徒たちが集団の中で主体的に話し合い、他者と調整する経験を積める工夫をしています。コーディネート役の教職員は、助言や情報・教材の提供において、生徒の実態や集団の成熟度に合わせた発信、リーダーとなる生徒に役割を与える等、生徒を主軸とした活動になるように心がけました。
班員の構成は全学年による“縦割り”です。新入生の希望に従って調整された各班では、上級生がリーダー役となることで生徒間の関わりが広がる等、コミュニケーションを学ぶ機会にもなります。また、上級生から下級生へ役割を渡していくことで、「任せる、任せられる」という関わりが活動へのやりがいに繋がることも特徴です。
開校2年目から総合防災訓練は、6班が持ち寄った企画を検討・準備します。年に1度(例年9月頃)の訓練当日には生徒が運営・進行をしながら、他班の生徒や大人に向けて体験的な活動を提供します。
活動例:
給食給水班・・・炊き出し訓練 等
救護班 ・・・応急処置訓練 等(図1)
安全点検班・・・防災リュック作り 等(図2)
※掲載者注:写真の著作権等の関係で図1・図2はウェブには掲載しておりません。
「参加者に興味・関心を持ってもらえる内容」「今後の生活に生かせる内容」に留意する等、創意工夫を凝らし、企画に対し「面白い」「勉強になる」等の前向きな評価を得ることで、学習に対する生徒のモチベーションの高まりが見られました。
本校の生徒は県内各地から集まり、卒業後は地元に戻り地域の一員として生活します。生徒の社会自立を目標とする以上、生徒が「他者に認められ、他者を知り認める」機会の創出は本校の使命です。総合防災訓練でも、地域と繋がり共に学ぶことを目標の一つとしました。
最初の繋がりとして、女川町社会福祉協議会の協力の下、震災当時の様子を知る町内居住者から講話を得ました。避難所での生活や食事の様子、住民同士協力し合い大変な時期を乗り越えた経験等、貴重な話に真剣に聞き入る生徒の様子が非常に印象的でした。また、炊き出し訓練でも外部からアイデアを得て、大鍋で作った“すいとん汁”を全員で食べました。震災当時の苦労を講話で聞いていたため、生徒たちは食事の配給も落ち着いて受け取り、大切に食べることができました。開校から3年目、本校にとっても印象深い企画でした。
生徒からも「地元で誰かの助けになりたい」といった感想が聞かれるようになりました。開校4年目には、近隣の区長を中心に地域から15名ほどの参加を得ました。生徒はプログラムの内容を地域居住者へわかりやすく伝えられるよう丁寧に説明し、地域居住者からは「よく考えている」「面白い訓練だね」等、肯定的な評価を直接伝えていただく機会となりました。「他者に認められ、他者を知り認める」ことは社会自立に向けた非常に貴重な学びの時間となり、教育活動として確かな手応えと可能性を感じました。
令和2年COVID-19の影響により、学校における行事のあり方も大きく転換を求められました。感染対策を講じた防災について学び直し、また、近年増加している豪雨災害等も新たな災害想定とし、兵庫県主催の“ぼうさい甲子園”では特別支援学校としては初めてのグランプリを受賞しました。
地域との交流でのさまざまな制約に対しては、“広報班”の生徒を中心に町内施設や店舗等への取材活動(対面、リモート等)を行い、震災の記憶と共に復興の歩みについて情報を得て校内に還元しました。同時に、校内の防災学習の様子を“防災パンフレット”として、取材に赴いた施設や店舗に配布し、地域との繋がりを保ち続けたことで、「女川で学ぶ」「地域に学ぶ」という開校当初からのスタンスを変えることなく学習活動を展開することができました。
令和4年度からは、「コミュニティ・スクール(学校運営協議会制度、以下、CS)」のパイロット校として指定され、地域からの目線や考えを取り入れた学校運営を行う体制づくりが構築されました。専門部会を整備し、運営委員の皆様の力をお借りして、地域に開かれた学校づくりの一歩目を踏み出しました。
令和5年5月には、COVID-19が5類感染症に移行したことで、教育活動もコロナ禍以前の規模へ戻し、総合防災訓練も、CS委員を通じて広く町内の皆様にお声がけし、地域住民、町内の小中学校教員、CS委員等、50名近くに生徒と交流し共に活動していただきました。非常持ち出し品を準備する“防災リュック作り”では、地域住民には生徒の考えを傾聴していただきつつ、「震災当時は○○が必要だった。△△は地域で備えてあるから大丈夫だよ」といった実体験に基づく意見を提供いただく場面もありました。
3.11の経験や教訓に触れることから始まった防災学習も、震災から13年が経ち、当時未就学だった世代が入学してきました。宮城における防災では、地域を知ることは欠かせません。ただ、求められる防災への考え方が、月日と共に変化しているのも事実です。次の時代を生きていく子どもたちが地域の価値観に触れる経験を積むことと同様に、子どもたちが精一杯学んでいることを地域に知っていただき認めていただくことも、いずれ来る子どもたちが“地域で生きていく”ことに繋がると信じています。
「地域に学ぶ」から「地域と“共に”学ぶ」へ。まだまだ駆け出しの取り組みではありますが、本校の取り組みが、社会で“共に”生きていくことの一助になることを願っています。