広島市歯科医師会広報部委員長
三保浩一郎(みほこういちろう)
「シューシュー」、静かな部屋に響き渡るのは人工呼吸器の動作音です。そう、私は人工呼吸器を装着した、57歳のALS患者です。広島市内の自宅に妻、大学生の娘、犬と猫と暮らしています。ALSとは進行性の神経疾患で、全身の筋力が動かなくなり、人工呼吸器を装着しなければ息もできなくなる病気です。現在の私は胃ろうから栄養摂取し、自在なのは眼球運動が唯一です。しかも困ったことにALSは原因不明、治療法なしとされており、難病に指定されています。
発症までの私は元気そのもの。歯科医師として自院で診療するかたわら、モトクロスレースや柔道に熱中していました。2010年に体調異変を感じ、2011年病名告知、2013年胃ろう造設、気管切開、2016年人工呼吸器装着と、順調に(?)ALS階段を歩んできました。現在、就寝時以外はほぼ車椅子上で過ごし、視線入力パソコンで仕事をし、ごく普通に外出もします(写真1)。
※掲載者注:写真の著作権等の関係で写真1はウェブには掲載しておりません。
ALS発症以前の私は、もっぱら診療後に仲間たちとの宴会を楽しみにするだけの歯科医師会員でした。しかし、発症直後に最も心配し、相談に乗ってくれたのは歯科医師会の仲間でした。病状進行期には休んでいましたが、人工呼吸器を装着して生活が落ち着いてくると、仲間の活躍がまぶしく見えて、無性に仕事がしたくなり、「診療ができない分、他の先生より時間があるので仕事させてくれ」と掛け合いました。現在は広島市歯科医師会広報部委員長、会史等編纂特別委員会委員長として、会報誌の編集、広報用動画の作成、歯科医師会の歴史を後世に伝える等、思う存分、忙しく仕事があります。身体の動かない私に仕事を任せてくれている歯科医師会に恩義を感じ、「病人だからできない」と思われることのないように、全力で取り組んでいます。
他方では広島県歯科医師会の会報誌に臨床歯科医向けのコラムを連載しており、多くの同業者から「ALS患者と一緒に読んでいる」「ALS患者の診療アドバイスを」と嬉しいメールがあります。そして治療可能になる日が来ると信じて、いつでも診療に戻れるように(無意味と思われそうですが)、勉強を続けています。難病を経験した今は、それまでの私より優しい歯科医になれそうです。私の本業はALS患者ではなく、現在も、これからも、歯科医なのです。
同業の仲間との仕事は何よりも楽しく、私の生活に活力を与えてくれます。そして、仲間の仕事ぶりから刺激を受け、「寝とるわけにはいかん!ワシも頑張らなければ!」と奮い立つのです。私の努力に応じてくれる仲間の存在もあって、歯科医師会はとってもバリアフリーです。付け加えると、歯科医師会活動は利益を追求する企業ではなく、診療後のボランティア活動なのもよかったのかもしれません(写真2)。
※掲載者注:写真の著作権等の関係で写真2はウェブには掲載しておりません。
ALS発症後に人前で話すきっかけを与えてくれたのは歯科医師会主催の市民公開講座でした。歯科医師らしく、口腔ケアと自らが経験した誤嚥性肺炎の話をしたのですが、それ以来、次から次へと講義の依頼があり、現在では多くの大学のリハビリテーション学科、教育学部、医療系専門学校の非常勤講師を務めています。対象となる学生に合わせて講義内容を変え、動画やオヤジギャグも含んだパワーポイントを視線でパソコンを操作して作っており、学生からのレポートを読むのを楽しみにしています。時には徳島大学医学部まで海を越えて赴き、将来医師になる医学部の学生に向けて「ALSでも仕事を持ち、社会参加できる!」という講義をしています。医師の中にも「ALS患者=何もできない」と考える方が多い中、意義のある講義だと思って取り組んでいます(写真3)。
※掲載者注:写真の著作権等の関係で写真3はウェブには掲載しておりません。
気管切開を済ませた2014年、患者団体である日本ALS協会広島県支部の支部長に就任して以来10年間、患者さんのために活動してきました。楽しいイベントが大好きな私は、プライベートで観戦して、車椅子に人工呼吸器でも快適だったマツダスタジアムでのカープ観戦交流会を企画しました。専門職でも「ALS患者=外出できない」と考える人の多い中、仲間がいれば外出へのハードルも下がるはず、と考え、多くの患者さんに声を掛けた結果、ALS患者が9名、家族や支援者など、総勢60名でパーティールームを貸切っての観戦交流会を2023年に開催できました(写真4)。
※掲載者注:写真の著作権等の関係で写真4はウェブには掲載しておりません。
また、広島県を飛び出して、全国組織の日本ALS協会理事も2022年から務めており、広島県内のみならず、全国の同病患者のために汗を流しています。
私の姿を見て、多くの人は「自分がこんな姿になるのはイヤ」と感じることでしょう。私も病名告知時に「ホーキング博士のような生き方も可能です」との医師の言葉に、「何の慰めにもなっとらん。絶対にイヤだ」と感じたものです。不安で不安でしょうがなかった時期もありました。しかし、ALSと対峙するうちに「こりゃあかなわん相手じゃ。病気を受け入れて、その中で自分のベストを尽くそう!」と考えが変わりました。それと同時に「胃ろうや人工呼吸器は延命措置ではない!」とも考えるようになりました。
現在の私は仕事もプライベートも充実しており、「今が一番幸せ」と感じています。仕事があること、社会の中に自らのポジションがあることは、生きる力に繋がると考えます。病気によってできなくなったことを憂うのではなく、努力すればできることは無限大にあります。身体が動かないことで学んだこともたくさんあります。病気によって失ったものが10とすると、得たものは6くらいと感じます。これからの生き方次第で6を10に、12に、15にできるものと信じて、私は生きます。