ひと~マイライフ-歩み続けるということ

「新ノーマライゼーション」2024年10月号

桑野あゆみ(くわの)

1972年宮城県仙台市生まれ、茨城県在住。多発性硬化症(MS)患者。難病カフェ「アミーゴ」代表、MSいばらき会長、防災士、防災介助士。HPなんびょうステーションAmigoにて「難病患者のための防災ガイドブックvol.2改」を無料で公開中(https://www.amigo-55.jp/)。ぜひご一読ください!

世紀末といわれた1999年3月のある朝、それは目覚めた瞬間に起きました。目の前のものが二重に見え、激しいめまいと吐き気と耳鳴りが!そして立ち上がることもできずトイレにも這いつくばって行く始末。「なにこれ!?」

宮城県仙台市に生まれ、当時自由気ままなフリーター。アパートで一人暮らしをしていた私は、何とか自力で近所のクリニックを2週間かけて数件回りました。でも原因は分からずじまい。やっと行き着いた耳鼻科の検査で右目が動いていないと言われ、紹介状を持って大学病院に行きました。そこでも耳鼻科、眼科を渡り歩き、脳神経内科に行ってMRIを撮ってもらったところ、脳に白い影があるということで様子を見ながら通院を続け(最初の症状はもう治っていました)、その秋右指に痺れが出たため入院「多発性硬化症(MS)」と診断されました。MS、それは脳や脊髄などに繰り返し炎症を起こす難病のひとつです。当時は資料も少なく、会社の帰り本屋さんで読んだ分厚くて古い医学書にはざっくり「余命は発症後20年くらい」と書いてありました。「20年かぁ…」休日はサーキットにレースの手伝いに行くほどの車好きで、平日も食事や寝る時間も惜しんで友達と遊び回っていましたから、きっと神様が「そんなんじゃいけないよ!」とブレーキを踏んだんだろうな、そんなことを思いながら部屋の小さなテーブルに白い紙を広げて20年でやりたいことをリストアップしました。のんきな性格です。ただ「あれ、やっておけばよかったな」そんな後悔は絶対したくないという強い意志がありました。

縁があって結婚をし、茨城に来てからは、専門医が近くにいないという不安に加え、慣れない土地での子育てや、健康そうに見える「見えない障がい」が誤解や偏見を生んだりして苦悩することもありました。でも難病患者有志で「疾患を問わず、難病患者が集える交流会を開催しよう!」と「難病カフェアミーゴ」を立ち上げると、悩みを抱えながらも日々勇敢に戦っている仲間が集まって来ました。そして、今までなかった難病患者のための防災ガイドブックを自分たちで作ろうということになった時、子どもが宿題をしている横で私も家事の合間に一緒に防災の勉強を始め、防災介助士、その後防災士の資格をとることができました。幼少期に宮城県沖地震を体験、東日本大震災では愛する故郷の大惨事に何もできなかったという無力感に襲われた経験がきっと私を机に向かわせたのでしょう。難病患者当事者であることもそこでは大きな強みになりました。防災に関わる中で一番感じたのは、発災直後、病気や障がいがあるだけでは支援の対象にはなりにくいということです。近年の異常気象で災害も増えていますから、他人事ではなく、自ら進んで災害に抗う備えや訓練をしておくことが必要なんです。現在は難病カフェでの交流を続ける中、難病や障がいをもつ方が自ら災害に備えることの大切さを伝える活動もしています。

不自由はありますが、有難いことに20年といわれた命の期限も医療の進歩でとっくに過ぎてしまいました。後悔したくないとあの日思った気持ちは、今も全く変わっていません。実は大きくなったら…この先おばあちゃんになったら哲学や心理学をじっくり勉強して自分の人生の伏線回収をしてみたいという夢があります。せっかくあゆみという名前を付けていただいたんですから、この人生を最後まで歩み続けたいと思っています。

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