奥平真砂子(おくひらまさこ)
私は、2001年4月からリハ協の職員として勤務しましたが、それよりずっと前からリハ協とかかわりがありました。
1981年に広げよう愛の輪運動基金(現在のダスキン愛の輪基金)がミスタードーナツ障害者リーダー米国留学研修派遣事業を始めたのですが、この事業の第1期生として、アメリカで7か月間研修に参加したのです。当時この事業は愛の輪から事業委託を受けたリハ協が実施していました。書類選考を経て、2次選考の面接などのために東京で2泊3日の合宿が行われることになり、当時京都で仕事をしていた私は、一人で上京できるのかと心配だったことを覚えています。アメリカでの研修を終えた私は1年後に再度アメリカで暮らし、3年半後に日本に帰国しました。帰国後は、東京で暮らすようになり、企業で働きました。
1988年の9月に東京で第16回RI世界会議が開催されることになり、その年はちょうど転職をした時で、会期中にそのボランティアとしてかかわったことが、リハ協とつながれるようになったきっかけだと思っています。
1993年からはアジア太平洋障害者の十年が始まり、毎年アジア太平洋の国々でこの十年を推進するキャンペーン会議(アジア太平洋障害者の十年推進NGO会議)が開催され日本からも毎年ツアーを組んでいて、私も声をかけてもらい参加していました。
1996年からは全国自立生活センター協議会(JIL)で働くようになり、そのころから週1回ほどリハ協でアルバイトをするようになりました。
1999年から始まったダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業(以下、ダスキン事業)には、第1期から実行委員としてかかわりました。アジア各国から応募された方々を選考するので障害当事者の委員が必要だったのではないかと思っています。その後、研修課で働きませんかと声をかけていただき、リハ協で働くことになりました。それが2001年の4月です。
私は研修課の職員として3期生から14期生までかかわりましたが、実行委員としてかかわった時期も含めると14年間ほどです。研修課の職員としてダスキン事業にかかわれることはとてもうれしかったです。私の人生での大きな転換点となったアメリカでの研修に参加させてもらったことへの恩返しの意味もあってダスキンの事業の役に立ちたいと思っていました。
印象に残っている研修生の1人目は、3期生の韓国のチャノさんです。チャノさんは、私がJILで働いていた時にある会議で出会いました。私がダスキンの事業の宣伝をしていたら、チャノさんが応募したいと言ってきました。当時少しだけ年齢が上でしたが、応募したいという気持ちがあるなら挑戦するといいとアドバイスをしたところ、選考に通りました。
また、やはり3期生のパキスタンのシャフィクさんも忘れられません。ダスキン事業への応募件数はそのころ350通くらい来ていました。その中から10人を選ぶのは、書類選考だけでもたいへんな作業です。その年、パキスタンは書類選考で候補者が3,4人あがっていました。面接を行ったのはシャフィクさんともう一人の2名。シャフィクさんと話をしたり行動を共にして、車いすが必要なのに無理やり歩いてみたり、長距離は歩けないので、自分はここで待っているからと言ったり、健常者に近づきたいという気持ちがあるように感じました。研修を受けることで変わるといいなと思い、シャフィクさんを推しました。結果的にシャフィクさんは今障害当事者団体のリーダーとしてすごく成果を出して活躍しています。私の眼に間違いがなかったこの時の面接のことがとても印象に残っています。
JILで働いていた時に日本の障害者の多くのリーダーたちと出会いました。メインストリーム協会の廉田俊二さんもその中の一人で、「仕事は楽しくなきゃ仕事じゃない」「仕事は楽しくないと続けられない」と言われ、影響を受けました。
私はダスキン事業に実行委員としてかかわっていた時から、日本の障害者団体や自立生活センターを研修先に入れることを提案していました。そのころ、研修先の候補は施設的なところばかりでした。研修先として最初に推薦したのがメインストリーム協会でした。それ以来、日本各地の自立生活センターや当事者団体に研修生を送るようになりました。
スキー研修も採り入れました。私がアメリカで研修を受けた時にスキーに行かせてもらい、その時に「自分もスポーツができるんだ」と初めて思いました。その経験があったので、ダスキン事業にスキー研修を採り入れたいと思いました。それまで体育の授業はありましたが、スポーツといわれるものをする機会がありませんでした。けれどアメリカでは、1982年当時から障害者スキーなどのスポーツがあったので、「日本でもできるのでは?」と思い、実施している団体を探しました。スキー研修は今でも続いています。
先ほどのシャフィクさんも活躍していますが、台湾のリンさんも今ではリーダー的な存在で、政策やサービスをいろいろつくっています。女性で頑張っている一人です。
ダスキンの研修生は帰国後も日本の障害者団体が応援しています。まずあげられるのは、「志ネットワーク」。メインストリーム協会が中心になり、大阪の2~3の自立生活センターと共同でやっています。
日本とのつながりの他にアジア太平洋の研修生のネットワークもできています。シャフィクさんやリンさんの他に、カンボジアのサミスさん、ネパールのクリシュナさん、モンゴルのバヤールさん、ベトナムのヒョーさんも入って、アジアの自立生活センターのネットワークをつくって各国で活動をしています。
みんなのすごいところは、普段は使わない日本語を今でも覚えていること。研修生のネットワークができていることは、アジア太平洋の障害者の生活向上にすごく役立っているので、うれしく感じます。
リハ協はどんな障害も偏りがなくカバーしているので、とても貴重な団体だと思います。リハ協はその特徴を活かして、もう少し今の社会の課題などを把握してどの方向に進むべきかを考えていくといいのではないか、と思っています。それと併せて、日本の障害者運動全体にいえることですが、やはり世代交代は重要だと思っています。
今私は企業の世界にいて実感するのは、ディサビリティ・インクルージョン、DEI(ダイバーシティエクイティインクルージョン:多様性・公平性・包括性)の動きが活発化していて、それに取り組んでいかないと、企業として、特にグローバル企業は生き残っていけないということで、変革を求めています。これは重要な課題で、リハ協もそういった動きをキャッチして活動していくことを期待しています。