「障害児・者」の高校進学を実現する連絡協議会 代表
関やす子(せきやすこ)
娘めぐみは21歳になります。ダウン症です。この6月からチャレンジ雇用のハローワークで働いています。
高校受検の際には私が今年の4月から代表を務める「障害児・者」の高校進学を実現する連絡協議会(以下、連絡協)の応援がありました。
連絡協は1985年9月に結成され12月に東京都教育委員会(以下、都教委)に要望書を出し、都教委交渉を始めています。これ以来毎年、生徒が受検を不合格になってもさまざまな話し合いを繰り返して、
〇「定員内不合格」はさせない
〇受検において「本人が安心して受検するために必要な措置」を希望に基づいて行う
〇通学至便な学校を受検する場合加点される「選考の特例」
を勝ち取り、今も多くの後輩たちはその成果を受け続けています。
連絡協の学習会と都教委交渉は年3回ずつあり、毎年都教委交渉の1回目に要望書を出し、定員内不合格を出さないことを確認しています。毎年確認するのは、「東京都立高等学校入学者選抜実施要綱・同細目」(以下、入試要綱)には記載がなく運用で行っているという理解でしたが、都教委は毎年秋に出す入試要綱に「合格候補者の決定において入学手続き者数が募集人員に対して過不足がないように、適切に決定する」と記載があることをもって「定員内不合格を出さない」としていると、今年入学選抜担当課長と面談で確認しました。
私たちが義務教育後を考え始めたのは娘が小学校の高学年の頃です。療育の先輩から都立高校進学を応援をしてくれる団体があると教えてもらったのが連絡協でした。初回の学習会で東京都は定員割れしていれば、どんな子でも落とされることはない、「定員内不合格はない」と言われました。当時の定員割れはほとんどが定時制でしたので、定時制高校を娘の進路と決め、中学に入ってすぐ担任に進路は定時制と伝えました。
中学生になり、定時制高校生の保護者を紹介してもらい、学校公開に行きました。夕方、先生や介助員や生徒たちとの給食の時間から授業中の様子を保護者の話を伺いながら見学しました。授業中は介助の方が隣に座っていたのでそのことを伺ったら、学校へ依頼しなくても付けてくれると言われました。小中はお願いしてもなかなか付けてもらえないのに義務教育ではない高校で簡単に付けてもらえるのだと驚きました。
中3最初の連絡協学習会で前年の受検で全日制の定員割れがあったと報告がありました。私学助成を追加した影響で今後も全日制の定員割れの予測がされました。娘も進路指導の時間で高校の話をしているからか、お昼の学校に行きたいと言いだしたので、家から電車通学が可能な範囲の定員割れの可能性がある学校探しをしたら大田区に3校ありました。その中で普通科ではないエンカレッジスクールの蒲田高校に注目しました。エンカレッジとは勉強が苦手で学び直しをする生徒が対象になっていて、1.1クラスの生徒も少なめ、2.2人担任制で相談しやすい先生に相談してよい(1年生)、3.1・2時間目を30分3コマにして集中力を切らさないようにする(1年生)、4.定期テストがなく、簡単な確認テストが8回ほどある、5.体験学習を取り入れ座学を減らす(1年生)、の特徴がありました。
当時3校あったエンカレッジスクールの中で最も通学至便で「選考の特例」を使えるので、夏休み前から始まった学校説明会に3回以上通い、「この学校に行きます!」とアピールしてすべて個別相談を受けました。
さて、肝心の受検は学力検査はないのですが、小論文と作文と面接です。別室受検と保護者送迎の配慮申請を出していたので保護者待機室があり、小論文の課題を聞きましたが、難しくてこれが勉強の苦手な生徒向きの試験なのか、そしてまた作文もやるの?と思いました。面接は特に配慮申請はしませんでしたが、「最近ニュースで気になっていることは?」の質問に「嵐の活動休止です」と答えたそうです。結果は本人大満足の今でもとても自慢げに言う「一発合格」でした。
高校生活は毎朝混雑路線(15分弱)を含む電車通学で遅刻をしない、授業中寝ない、提出物を忘れないで、確認テストの点数をとれない分をカバーしなければならないという状況で始まりました。ダウン症という筋力が弱く体力もあまりない娘にはなかなか厳しい生活でしたが、人一倍頑張り屋の性格で乗り切ろうとしました。
とても幸運なことに担任には娘と伴走していこうという思いがあり、すぐに連絡帳のやり取りが始まりました。各教科担任との調整を適切にしてくれるので私が個別に教科担任にお願いしたりすることはありませんでしたが、学校公開は必ず行き教科の先生に学校には楽しく通っていますと挨拶をしました。
最初の校外学習の絶妙な班構成のおかげで、毎朝学校のそばの公園で待ち合わせをして通学し、お弁当を一緒に食べる友達ができたのです。2年間は同じクラスで3年生ではクラスが違ったのですが、それでも朝は一緒に通学していました。
支援員も確かに学校側からの配置でとても優しく面倒見の良い方でした。彼女が記入した毎時間の内容や提出物、1日の様子などの記録票を担任が目を通し、娘経由で私の手元に届きます。授業中に励ましてくれる友達のことや、体育の持久走は広い校庭を10周走りきった等、頑張っていることが書かれていました。
知的障害のある娘にどんな合理的配慮があるか、担任に面談や連絡帳で確認しました。評定を出す基準は個々に応じて変えられないが、課題提出の期日を伸ばしたり、内容の調整、指示の出し方や教材の工夫をすることができるとの回答がありました。評価の仕方の変更についても面談のたびに掛け合いましたが、良い返事はもらえませんでした。娘に関わる教員は教科ごとにたくさんいますから対応もそれぞれです。テストが基準に達していないと教科指導になり課題が出ます。娘はほとんどの教科が基準以下ですが教科指導の内容はさまざまで、虐待かと思うほどの教科書写しを課す教員もいました。1年の時は必死にやりましたが、学年が上がるうちにあまりに量が多い教科について担任に相談すると、できたところまでを自己申告して可となりました。担任は教科ごとに丁寧に連携してくれて娘の様子が職員室で話題になったこともあったようです。
コロナ禍があり修学旅行もなくなったりしましたが、娘の高校生活はおおむね楽しく充実して終わりました。
直近の都教委交渉で、高校側の一律指導、評価の問題が取り上げられました。
連絡協「一律ということは障害のある人に合理的配慮をしないということなので差別解消法にも違反するのではないか」
都教委「学習指導要領の中に障害に応じてできること、できないことを配慮するとなっている。その生徒の状況を見て対応していくのが大原則なので、一律ということはないと考えている」