日本障害フォーラム 代表者会議構成員
(NPO法人DPI日本会議 議長)
平野みどり(ひらの)
日本障害フォーラム(JDF)は、2004年の設立以来、国連障害者権利条約の制定に向けて障害者団体の連帯を軸に、条約の実現へと貢献してきました。9回に及ぶ特別委員会に傍聴団を派遣し、障害当事者である東俊裕弁護士を日本政府団顧問として推挙し、当事者主体の議論が活性化し、“私たちのことを私たち抜きで決めないで”を基本とした条約が実現したことは特筆すべき展開でした。その後、2014年の日本政府の批准以降は、最初の政府報告の審査に向けて、当事者側からのパラレルレポートを、加盟団体による丁寧かつ粘り強い議論の積み重ねによって作成し、2022年の国連障害者権利委員会による画期的な総括所見へとつながっていったこともまた、大きな成果といえます。
そんな権利条約を中心とした取り組みの一方、JDFの真価が問われたのが、災害における障害者の救援活動ではないでしょうか。わが国は1995年の阪神・淡路大震災、2011年の東日本大震災など、次々と大きな災害に見舞われてきました。そして災害においては、被災者の中に、障害者など、いわゆる「脆弱性のある人たち」が多く存在し、その方たちへの支援・救済においては、一般の方たちとは異なる視点での対応が必要であることが、災害が起こるたびごとに明確化し、そこにこそ、JDFの本領が発揮されてきました。
JDFでは2011年3月に「東日本大震災被災障害者総合支援本部」を設置し、被災障害者の支援を続けてきました。さらに2016年には熊本地震が発災し、新たに「JDF災害総合支援本部」が設置されました。2024年の能登半島地震の支援も行うとともに、東日本大震災ならびに熊本地震等の復興支援についても引き続き取り組んでいます。
私は、熊本市に住んでおり、隣の震源地益城町よりは若干弱かったものの、震度6.5を経験し、その後も多くの余震に不安な日々が続きました。発災後は、福祉避難所の開設(熊本学園大学や熊本県障害者福祉センター)が進み、倒壊した自宅を離れ、人的支援やバリアフリーが担保されている環境での避難生活を送る仲間たちもいました。また、最寄りの避難所が障害理解のないスタッフにより運営されていて居づらかったり、バリアフリーが整っていないためにそもそも過ごせないなど、地域に暮らす仲間たちの悲痛な声が聴かれるようになり、障害者制度改革のリーダーであった東俊裕さんが、地元の災害においても強力なリーダーシップを発揮して「被災地障害者センターくまもと」を開設し、24時間の困りごとに対応する体制をつくりました。私もこのセンターのスタッフとして、電話受付や他県からのボランティアの皆さんの後方支援などに当たりました。この動きとほぼ同時に、JDFもスタッフを熊本に派遣し、東さんや地元の障害者団体、県や市行政と連携し、被災障害者の支援に物心両面にわたって精力的に展開してくださいました。あらためて、地元を代表して厚く御礼申し上げます。
私も震災を経験した後、インクルーシブ防災のあり方について講演やセミナーで提言することが度々ありますが、日本においてはこれからも続くであろう、地震、豪雨災害、台風などの災害時に備えるための取り組みや、発災後の一日も早い復旧支援に、障害種別を超えた連帯によるJDFの経験の蓄積を大いに活かしていかなければなりません。障害者権利条約第11条「危険な状況及び人道上の緊急事態」の完全な実現を、私たちの道しるべとして。