日々の思いをネットの海へPodcast「視覚障害者ゆりさんの日々」

「新ノーマライゼーション」2025年3月号

藤川由里子(ふじかわゆりこ)

週末のルーティン

「こんにちは、藤川由里子です。視覚障害者ゆりさんの日々へ、ようこそお越しくださいました」

週末の夜中、あるいは明け方、私は胸元にピンマイクを付け、iPhoneのボイスメモというアプリを立ち上げて録音を始めます。その週の初めから、こんなことを話そうか、あんな話題も共有したいと、自分なりのお題を頭の隅にあたためながら過ごして、金曜日になるとパソコンに向かい、1600字程度の文章を書いてみます。これが、約5分間のお話の準備となるのです。何度もパソコンの読み上げソフトで文章を確認するので、書き終わる頃には、何を話したいかということは、すっかり覚えてしまいます。そして、しんと静まりかえった夜中、あるいは夜明けのひととき、iPhoneに話しかけ、自分の話をPodcastアプリにアップロードして、インターネットの海にそっと放流する…それが、私の週末のルーティンになっています。

きっかけはコロナ緊急事態宣言

2021年1月からPodcast番組を始めて丸4年が経ち、今年5年目を迎えました。何がきっかけだったのかと考えた時、あの最初のコロナ感染症による緊急事態宣言が大きく影響しています。

私は今から10年前、50代初めに視覚障害が発覚し、4年前に失明しました。失明直前の約16か月間、日本点字図書館の自立支援室で、視覚障害者のための訓練(点字、白杖歩行、スマホやパソコン操作)を受けました。晴れてすべての訓練が修了した2020年の春、まさにコロナ禍の幕開けとなってしまったのです。

外出自粛やステイホーム、人と会うことも控えなければならなくなり、私は日々の目標を失いました。それでも、せっかく訓練して覚えた点字の読み書き、スマホの操作、読み上げソフトを使用したパソコン操作、白杖を使って安全に歩くことを忘れないようにと、自主練習をすることが、当時の日課となりました。

「ああ、つまらないなぁ」と思っていた時に、友人が電話でこんなことを言いました。「今、YouTubeで自分の考えや面白く思ったことを発信するのが流行っているよ。声だけだとPodcastというネットラジオがiPhoneアプリひとつでできるんだって。お話好きなゆりさんに合うんじゃない?」

新しいこと、面白そうなことに興味を引きつけられる私にとって、それは朗報でした。それからの数か月間、私は自分がどんな話ができるだろうか、誰に何を伝えたいのだろうかということを考えたり、技術的にiPhoneにダウンロードしたPodcastアプリの操作ができるかどうかを、調べることに費やしたのでした。

あの日の私へ伝えたかった

さて、インターネットに向かって自分の声で話を発信するということについて、少なからずの怖さはありました。一旦ネットの海に放たれた自分の発言に対して、責任を持たなければならないと自分を戒めました。私は偉くもなんともない、普通のシニア世代の入口にいる視覚障害者であることを忘れてはならないとも思いました。幾千、幾万のきら星のような数々の番組の、ほんの片隅にお邪魔するという感覚で始めなければと思ったのです。

話を聞いてもらいたいターゲットはただ一人でした。「あの時の私」です。医師に視覚障害者であること、いずれ失明の可能性があることを告げられて、悲しみに打ちのめされたあの時の私に向けて、時空を越えて話しかけたかったのです。

当時、驚きと悲しみ、そしてなぜか怒りの気持ちでいっぱいになり、視覚障害・失明の可能性という壁に打ちつけられていた私は、ネット検索で何とか情報を見つけようと必死になっていました。当事者が書かれたブログを懸命に探し、見つけては読みあさりました。しかし、短い記事に込められた、書き手の悲しみとやるせなさ、困りごとは痛いほど共感できたのですが、いつしかブログは終了していくものがほとんどでした。その書き手は元気になったのだろうか、それとも今なおさまよい続けているのだろうか。私は「その先」が知りたかったのです。

Podcast配信を始めた2021年から2022年にかけて、自分が受けた16か月の訓練を「冒険の書シリーズ」として、少しずつ話していきました。情報や専門的な支援につながることが、どんなに助けになったかを思い返しました。訓練についての話が一段落してからは、見えにくくなること、見えなくなることは、見える世界から見えない世界へ旅をするようなものだという考えについて話していきました。いずれ見えなくなったら、見える世界から越境して、見えない世界の住人になるのです。そこで新たに、見える人が大多数のこの世界で暮らしていくのです。それは旅であり、冒険ともいえます。当事者だからこそわかり合える、ちょっとした工夫や失敗、いら立ち、人の親切の嬉しさ、ありがたさを知ってもらえればと、自分なりに感じた日々のエピソードを話し続けていきました。

祈りを込めてネットの海へ

毎週1回配信する話題について、困ることはほとんどありませんでした。「あの時の私だったら、何を聞きたいだろう。どんな情報や励ましの言葉がほしかっただろう」と考えると、日々の生活のそこここにちりばめられている「視覚障害と私」について、語ることはたくさんありました。

白杖を持って一人で外出する時のドキドキ感、点字の自主練を続けて、点字でお手紙を書いて出した嬉しさ、通りすがりの心ない人の言葉に傷ついたこと、視覚障害者の友だちができたこと、初めてラジオに出演した驚きと誇らしさ、ちょっとした便利グッズについて知ったこと、そしてたまに、若い時に外国で暮らした時に経験した、楽しい思い出についてなど、話し続けてきたエピソードは200本を越えました。

番組を聞いてくださる方の大切なお時間を長々といただいては申し訳ないと思い、1回のエピソードの長さは5分間ほどと、最初から決めていました。また、どんな話でも負の感情で終わらないように、最後にはホッとできるようにと思いながら話しています。

このPodcastを続けてきて、嬉しいことがありました。一つは、自立訓練の後輩訓練生が、訓練を受けるきっかけのひとつに、「視覚障害者ゆりさんの日々」を聞いたことがあると伺ったことです。本当に光栄なことだと嬉しくなりました。

もう一つは、この4年間、自分の言葉で自分の思いを語り続けていくことによって、私自身が癒やされ、元気になり、以前の悲しみや怒りを忘れられるようになったことです。10年前、5年前、1年前の自分に思いを向けていくと、応援したい、自身の気持ちをいたわってほしい、助けをもらうことに恥ずかしさを感じる必要はない、少しずつ明るい気持ちが増えますようにと思える、気持ちの余裕ができたのです。

番組の最後は、この言葉で締めくくっています。聞いてくださる方とまだ見ぬ誰かにあてた祈りの思いです。

「今日もお聞きくださいましてありがとうございました。皆様の日々が、安全で、お幸せでありますように、心からお祈りいたします。では、また次回」


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