社会福祉法人松の実福祉会 松の実園
田邊裕子(たなべゆうこ)
株式会社すずらん すずらん相談支援
秋山和紀(あきやまかずのり)
災害福祉支援ネットワークは、東日本大震災を契機に、避難生活において福祉的な支援があれば防げた二次被害防止のために、福祉施設や福祉専門職の協力を得ながら、災害時の要配慮者に対して福祉的な側面から支援する仕組みのことをいい、都道府県ごとに独自に体制整備を進めてきました。
そのネットワーク機能の1つとして、大規模災害が発生した際に、避難所などで高齢者や障害者、子どもなど、配慮が必要な人に対する福祉的な支援を行う「災害派遣福祉チーム」(英語表記でDisaster Welfare Assistance Teamの頭文字をとり、通称DWATという)があります。
DWATは、社会福祉士や介護福祉士、介護支援専門員、相談支援専門員、保育士などの福祉専門職で構成されており、1チームあたり4~5名程度で活動し、被災自治体からの要請を受け、避難所等の生活環境の改善、要配慮者の相談支援やアセスメント、そして日常生活上の支援等を行います。
今回は令和6年能登半島地震で活動した石川県DWATの取り組みから災害時の活動を見ていきます。
私は通所施設での勤務になるため、年末年始は自宅でゆっくりと過ごしていた時間帯での発災でした。余震に気を付けながらまずは自分や家族、親戚の安全を確認し、次に近所の方々の様子等、一通りの確認作業が終わった時にふと思ったのが「DWAT活動は絶対に必要になる」でした。
そして、1月6日に、奥能登地域で一次避難された要配慮者の方々が二次避難するまでのつなぎ先として、ライフラインの整った金沢市に開設された「1.5次避難所」という全国初の取り組みとなる避難所での支援の要請が来ました。手探り状態の避難所でしたが、活動の基本は同じだと捉え、避難者へのヒアリングを行い、コミュニケーションを重ねながら、丁寧にアセスメントを行うことを心がけました。
避難者の中には、知的障害者などの配慮の必要な方も数名おり、あまりコミュニケーションが得意ではなかった方もいました。同じ施設から避難された方で、比較的お話の得意な方を窓口にコミュニケーションを重ねた結果、1月中旬には、二次避難所へ移動することにつながり、移動後のサービスも関係機関とつなげることができ、無事に次の生活先へ送り出すことができました。
さまざまな方とお話する中で感じたことは、「お互いの方言で話す」ことが大切だということです。わざわざ丁寧な標準語で伝えても通じない、ちゃんと聞いてもらえない場面もあったため、思い切って自分の地元だった加賀地方の言葉で話すと、そこから話題が広がり、(同じ石川県内でもわからない方言もありますが・・・)お互いの方言を通じて打ち解けることができて、スムーズな状況確認につながりました。
6月に、初土俵から史上最速優勝を果たした地元石川県のヒーロー大の里関とその親方である二所ノ関親方(元横綱の稀勢の里)が、1.5次避難所の慰問に来られ、時の人に会えたことがきっかけで、長期間の避難生活をされている方も明るい笑顔になり、前向きな気持ちになったように感じられました。
その結果、悩んでいた避難者の中にも、DWATが避難所内に設置した「なんでも相談」に足を運び、会話を重ねていく中で少しずつ前を向いて歩み出される方が増えてきたように感じました。避難者に寄り添う私たちも、一緒に前を向いていける力をいただけました。
また、避難生活が長期化する中で、ADLが低下してしまう方や認知症の症状が進む方もおり、自身の専門性が異なるため、一人で対応せずにDWAT隊員同士、他の保健医療活動チームと相談・協力して取り組むことで被災者を支える活動を行うことができました。
発災から1か月半が経過した2月の半ば、例年より雪が少ないとはいえ、能登の冬は日本海から吹き付ける寒風で一際厳しいものがあります。
2月の後半より、石川県DWATは七尾市内の一般避難所に配置換えを行い、発災後、初めて能登地域での活動に関わることになりました。
ニュース報道を通して、現場の様子は知っていたつもりでしたが、通水していない地域の生活は、飲料水のみならず水洗トイレも使用できない状況にあり、排泄物はその都度凝固剤で処理し、集団生活の場で清潔を保持するための手洗いもままならない状況が続いていたことに動揺を隠せませんでした。
また、入浴は訪問入浴車によるもので、仮設シャワーも玄関外に設置されていましたが、冬季であることと戸外にあることから、使用頻度は高くないようでした。
避難所内は、簡易テントによりプライベート空間は確保されていましたが、同郷とのことで仲良く集まって過ごされている方が見受けられた反面、長期化する避難生活で精神的に疲弊してしまっている方、集団生活に馴染めずにテントの入口を閉ざしてこもってしまう方の姿もありました。
活動に際しては、京都府や群馬県等の活動経験のあるDWATから助言をいただきながら、避難者への巡回や相談コーナーでの聞き取り等の対応を行い、一人ひとりの状態確認を丁寧に進めていきました。
また、リハビリチームの助言もいただく中で、靴を履くための椅子を設置したり、トイレ内に尿取りパッドやオムツの置き場を設置する等、避難生活を過ごしやすくするための環境改善に努めていきました。
限られた活動期間中に何ができるか等、多くの戸惑いがあり、ハード面の支援だけでなく、一人ひとりの思いに寄り添うソフト面の支援のあり方を考えながらの活動で、私自身学ばせていただきながら、後続メンバーに襷をつなぎました。
令和6年能登半島地震は、高齢化率が特に高い地域での被災であり、長期間にわたる避難生活となることで、福祉支援の重要性が増し、DWATに求められる役割も非常に大きなものでした。
石川県DWATはチーム組成後、初めての実践でした。また、石川県からの要請を受けて、すべての都道府県が応援活動に参画しましたが、初活動となったチームがほとんどでした。
それでも、活動経験のあるDWATによるサポートや、現場での支援者同士で連携・協働を図っていく中で、受援側、応援側ともに試行錯誤しながら支援体制をつくり上げ、被災者に寄り添った支援を続けることができました。
今回の経験を次に活かすためにも、被災した石川県だけでなく、すべての都道府県でDWATの研修や訓練のプログラム、派遣の仕組み等の体制整備が進み、全国的な底上げが図られることを望みます。