本人の立場に立ち各所が連携して地域で支えるしくみが整備されることを期待
「新ノーマライゼーション」2025年7月号
青森県自閉症協会 強度行動障害部会担当幹事
木村ひとみ(きむら)
1. 息子のこと
昭和61年12月、廉は次男として我が家に生まれました。3歳で知的障害を伴う自閉症と診断を受けた頃には、毎日割られるガラスや日に何度も飛ばされる家族のメガネ修理に振り回される日々でした。
少し目を離したすきに玄関の3つの鍵をはずし、忍者のように信号をくぐり抜け、靴を隠せばよそ様の玄関からサンダルを無断で拝借し、いきたいところへ行ってしまう。何十回警察のお世話になったことでしょう。警察からはついに家から出さないでくれと言われる始末、175cmを超えた彼をどこに縛り付けておけるでしょうか。13歳の時、短期入所をしたことのある函館の自閉症児専門施設への入所がやっとのことで決まりました。
2. 20歳で退所し地元へ
児童施設ですので基本的には18歳になったら出なければなりません。でも八戸に戻り、また警察にお世話になる生活になったら…、ではどういう形なら八戸で暮らせるのだろうか。行動障害が知れ渡り、どこの入所施設もお断り、家に戻ればまた同じことの繰り返しに、人や物の刺激に弱いのだから一人がよいのではという専門家の言葉を頼りに、郊外に小さな一人用の家、「廉ハウス」を建て、昼は生活介護、夜は父か長男が泊り、それ以外はヘルパーさんが、そんな綱渡りのような暮らしをスタートしました。
パニックになるたびに、電気、ドア、暖房器具も壊されていき、存在そのものにイライラして壊すので復活させることもできず、最後は電気スタンド一つの生活に…。爪はぎの自傷も4本、8本、10本と増えていき、薬が増え体を壊してしまい、一人なら刺激もなく安心して暮らせると思っていましたが、重い自閉症の暮らしというのはそう単純にはいきませんでした。ヘルパー時間の増加も見込めず我が家にいる時間が増えたことで、男性ヘルパーさんがいても苦手な私への攻撃が一気に増え、180cmの彼がパイプ椅子を私に振り上げた日に、緊急入院をお願いしました。3か月後の15年前の年末、やっと他市のグループホームが手を差し伸べてくれました。
3. 強度行動障害の方ばかりのグループホームへ
引っ越しは変化に弱い自閉症にとって最大の変化です。廉ハウスにいた時と同様あらゆるものをホームでまた壊し始めました。「もう無理です」の連絡が来るのではと不安の日々でした。支援者さんたちも試行錯誤しながら彼の特徴に添った支援を工夫してくださいました。彼自身が大きく変わったわけではありませんので、今もストレスを感じるたびに爪はぎの自傷もあります。ホーム生活も15年目となり、父は大丈夫ですが、母の面会は変わらず断固拒否、これから先も私が廉の顔を見ることはないでしょう。でも15年前退院したら2人で死ぬしかないのかなぁ、と考えていたあの頃を思えば些細なことです。
4. 新たな施策への期待
「強度行動障害支援者養成研修」が始まった時、彼らの支援がよくなり、行き場のない人の受け入れに繋がるはずと期待したことを思い出します。先日「中核的人材養成研修」の仕組みと目的の説明を受け、この計画どおりに地域で支える仕組みが整っていったらどんなによいだろうと感じました。熱心な方、センスのある方が孤立し追い詰められ現場を去っていくのをたくさん目にしてきました。中核的人材が力を発揮するためには経営者の理解と後押しが必要です。また訪問し集中的支援を行う広域的支援人材の役割にも期待しています。援助を求めることを恥とする閉鎖的な事業所はまだまだ多いように感じます。虐待を受ける可能性の高い行動障害のある人たちが、困った人ではなく、とても困っている人であることをご理解いただき、彼らの側に立ちながら各所と連携をしつつ、根気強く彼らの生活を支えてほしいと心より願っています。