本人を中心にした支援ができるチームを育てることが支援体制の深化につながる
「新ノーマライゼーション」2025年7月号
一般社団法人全国手をつなぐ育成会連合会 副会長
立原麻里子(たちはらまりこ)
重度知的障害で自閉症とてんかんのある娘が、初めてお友達の手を嚙んだのは、保育園に通い始めた4歳の頃でした。障害児の通園施設で男の子に足を噛まれたことはありましたが、娘が家族やお友達を噛んだことはなく、とてもショックで、相手のお子さんには申し訳ない気持ちでいっぱいでした。それが娘の他害行為の始まりで、そこから他害だけでなく自傷行為や、物を投げたり服を破ったりといった行動の問題が続き、頻度の増減はあってもそうした行動がなくなることはなく、現在に至ります。
今から思えば、健常の子どもたちと一緒に生活をする保育園は、娘には厳しい環境だったのだと思います。園長先生をはじめ、保育士の先生方やお友達もその保護者の方々も皆あたたかく接してくれたのはとてもありがたいことでしたが、その環境に甘えてばかりもいられず、医療や療育を求めて奔走しました。当時、その地域の保育園には月に1回臨床心理士が巡回指導に来ていましたが、話してみると自閉症に対する理解がまったくなく、親の私がなんとかしなければ、と思っていました。
その後、学校や療育の先生方に恵まれた娘でしたが、それでも行動が落ち着くことがなかったのは、自分の力不足だったと思い、どこで間違えたのか、どうすればよかったのかと考えてしまうこともありました。娘が小学生の頃は、個別指導計画はまだ一般的でなく、一部の理解のある教員が作成していて、担任が変わると引き継がれず、積み上げてきたものが崩れてしまうこともあり、切れ目のない、つながりのある支援は本当に大切で必要なものだと、身をもって感じていました。
娘は現在、地域にある入所施設で暮らしていますが、強度行動障害支援者養成研修を受けた支援者がいるのに、何かうまくいっていないと感じることがありました。研修を受けた人はわかっていても、全体で共有して支援することが難しいのかもしれない、と思うこともあったので、中核的人材によって標準的な支援が行き渡り、施設全体の支援力の向上につながることに、とても期待しています。学校でも施設でも、個別の支援が基本とはいえ、担当者一人に理解と支援力があればOK、というわけにはいきません。一人の支援者に頼ることは、その人だけに依存することになり、その人がいないとダメ、となっては、地域で暮らすことは難しくなります。
また、強度行動障害の状態にある人の支援を、ひとりで抱え込むことは危険です。それは家族でも支援者でも同じだと思います。本人と支援者、双方のストレスを減らし、虐待のリスクを減らす意味でも、チームで支援することは大切です。本人を中心にしたチームで標準的な支援をベースにした支援を共有し、ベテランでも新人でも「その人に合った支援」ができるチームを育てることが、地域での支援体制の深化につながるのではないかと思います。そのためにも、中核的人材研修の受講者が増え、地域のすみずみに標準的な支援が届くことを願っています。
生まれつき強度行動障害の状態の人はいません。成長とともにさまざまな環境に置かれ、意思の表出が困難で適切な表現ができなかったり、行動を誤学習したりして、強度行動障害の状態になってしまい、一度そうなってしまうと、リカバリーには長い時間がかかります。そう考えると、幼児期や学齢期から、強度行動障害にしない、予防的な教育と支援も必要だと思います。
日々大変な思いをしていると、誰しもいい結果がほしくなると思います。そこで立ち返っていただきたいのは、その支援は「誰のための支援なのか」ということです。本人のためになっているか、という視点を忘れずに、いいことも大変なこともチームで分かち合って、支援にあたっていただければ幸いです。